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緑一色

 それは、緑一色という麻雀の役でした。
 リュウイーソーと読みます。

 あれは一九五〇年頃の夏でした。
 当時、私は十歳だったと思います。父と母、そして私の三人で横須賀に住んでいました。我が家は駅前の商店街にあり、玩具店を営んでいました。暮らし向きはあまり良くなかったと私は記憶しています。父は四十歳でした。二十二歳になって除隊しましたが、私が生まれたすぐ後に召集され、そして戦地から生きて帰ってきたそうです。生きているだけでありがたい、というのが父の口癖で、そう言う度に左足の貫通銃創に触れるのです。わかるか? 父さんは銃で撃たれたんだ、と言って私にも焼け爛れた傷を触らせました。傷に触れるたびに、命のやり取りがあった現実、そして死を実感し、背中に寒気がはしった事を今でも覚えています。父の兄は生きて戻れませんでした。父は兄に関しては多くは語りませんでした。
 我が家の土間に、売り物であるブリキの玩具が所狭しと置かれていた様子を今でも思い出します。中でもブリキ製の進駐軍のジープが印象に残っています。造りは簡素で、車体は濃い緑色をしており、ボンネットには白い大きな星が一つ描かれていました。ジープは、進駐軍が捨てたブリキの板で作られたそうです。父は器用だったので、自分で廃品を拾ってきて、ブリキのジープを作ったりもしていました。人が良いのか、近所の子供のブリキ人形を無料で修理して、よく母に怒られていました。
 ある日の夕方。夕食の準備をしている母が、外出している父を呼んでくるように、と私に言いました。母はタイピストとして働いていた事もある利発な女性でした。おっとりとした父とは違い、喋りは早口だし、きつい事も平気で言いました。私が母に父はどこにいるのか、と聞くと、我が家と同じ商店街にある雑貨屋の二階、と言いました。私は母の醒めた口調が気に入りませんでした。父の事となると母はときおり冷淡になりました。父の性格が好きでしたので、私は母のそうした態度が嫌いでした。父はそこで何をしているのか、と尋ねると、遊んでるのよ、と母は淡々と言うのでした。私は母の背中を見ながら、眉を顰めました。母が苛立った時にもそういう表情をします。私はその表情が嫌なのですが、私も苛立つと、同じような表情が出てしまいました。母の命令に従うのは好きではありませんでしたが、私は父を迎えに行きました。
 
 雑貨屋は山田商店という店でした。我が家と同じく、木造の古びた家屋でした。暗くてかび臭い我が家とは違い、窓が多く、一階の壁や天井には白いペンキが塗ってありました。陳列棚には煙草が置いてあり、その奥には二十歳ぐらいの女性が座っていました。白いブラウスに赤い唇がとてもよく映えていました。私と目が合うと、女性が微笑んだので、妙に照れ臭かった事を覚えています。女性の背後には硝子戸で区切られた茶の間があり、その奥で古時計が時を刻んでいるところが見えました。店の端には二階へと続く急な木造の階段がありました。私はうつむいて、父さんはいますか、と呟きました。
 女性は階段の下に行くと、子供が来た、と言いました。思えば彼女の生の声を聞いたのは、それが最初で最後だったかもしれません。
「たぶん、俺のだ」
 と二階から父の声が聞こえました。
 私は緊張しながら、女性の脇をゆっくりと通り過ぎ、階段を昇りました。そこには十畳ほどの和室が一つあり、父と三人の男が部屋の中央にある四角い木製のテーブルを囲んでいました。窓は開け放たれていて、ときおり柔らかい風が吹き、風鈴が鳴りました。ささやかな風だけでは不十分なので、四人のうち三人が畳の上に胡坐をかき、団扇を持って忙しなく仰いでいました。
「すぐ、終わるから」
 と私の姿に気づき、父は言いました。
 私は麻雀というものを初めて見ました。もちろん、取り決めなど何も分かりませんが、自分の手牌を他人に知られてはならないという事ぐらいは分かりました。牌のうち模様のない面が相手に向けて立っていて、模様のある面が自分に向けて立てられていました。私が父の後ろに回ると、父は険しい顔をして、何があるか言っては駄目なんだぞ、と言いました。私は初心者ですから、通常なら何がどうなっているか、など分からなかったでしょう。ですがその時は、父が何をしようとしているのか分かりました。父は緑色の模様の牌を集めようとしていたのです。私は麻雀というものが、小さな牌を集めて、役と呼ばれる組み合わせを創る遊びなのだと理解できました。牌は竹が裏打ちされていて、白い部分は鯨の骨で出来ていると聞きました。つまり、死んだ植物と動物で出来ているという事です。私は他の人の牌も見ました。整然と何かが揃いつつあるのですが、父の創り上げようとしているものの美しさとは、比べようもありませんでした。牌が行きかうテーブルは、私が今まで見た事がない不思議なものでした。内側が少しへこんでいて、汚れた青色のフェルトが敷いてあり、ところどころに煙草の焦げ跡もあったので、まるで泥の沼のようでした。全体を眺めていると、真ん中にあるブロック塀のように積まれた牌の山が、少しづつ減っていくのがわかりました。あれが無くなったら終わりなのだと、父は私に小声で言いました。揃うのかどうか聞くと、父は、わからない、と答えました。リーチをかけた状態なので、他人が緑色の牌を捨てるか、自分で引き当てるのを待つしかない、と父は呟きました。リーチとは何なのか分からないので父に聞くと、運を天にまかせた状態だ、と父は答えました。
 西日が焼き付くように汚れた畳に差していた事、誰も一言も喋らなかった事を鮮明に覚えています。風鈴の音と牌が触れ合う、かちかち、という音しか聴こえませんでした。私は父に役を完成させてほしいと願っていました。どれくらい強い役なのか、全くわかりませんでしたが、とにかく揃ったところをみてみたかったのです。
 しかし、結局は揃いませんでした。
「もう終わりなの?」と私は残念に思い、父に尋ねました。
「お前は迎えに来たんじゃなかったのか?」
 名残惜しそうな私の表情を見て、父は笑いました。雑貨屋を出るときには、陽が沈みかけて、だいぶ涼しくなっていました。緑色に集中していたためか、五感が妙に冴えていました。空の一部が血のように真っ赤だった事を覚えています。騒々しい蝉の鳴き声がやたらと鮮明に私の頭の中に響きました。玩具屋と山田商店の間にある小さな橋を渡るとき、溝川の匂いが強烈だった事を覚えています。
「緑が綺麗だった」と私は呟きました。
「緑一色だ」
 父が私に言いました。
「綺麗なだけじゃなくて、点も凄いぞ」
 私には、父の態度が不思議でした。父が最下位だったのは、周りの人の態度でわかりました。お前には、底がお似合いだ、という意味の事を誰かが言って、とても腹立たしかった事を覚えています。それなのに父はあまり悔しそうではないのです。あの役が完成していれば、父が一番になった事も分かりました。勝負が終わったとき、父の牌を見て、他の人は驚き、危なかった、と言って苦笑していました。あとひとつ、緑の牌が来ていれば父が勝ったのです。
「悔しくないの?」
 私は父に尋ねました。
「楽しければいいんだよ。楽しければね」
 と父が言いました。そして、陽気に鼻歌を歌うのでした。

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