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被爆3世だから。

もう亡くなってしまったけど、おばあちゃんは長崎で被爆した。と言っても、当時は爆心地から遠く離れた場所(大村湾を挟んだ川棚町)に住んでいたため、「直接被爆者」には該当せず、「入市者」に当たる。入市者とは、原子爆弾が投下されてから2週間以内に、救援活動、医療活動、親族探し等のために、長崎市内(爆心地から約2kmの区域内)に立ち入った人だ。入市者であることは、被爆手帳に記されていたのでよく覚えている。

つまり、わたしは被爆3世ということになる。夏休みに長崎の親戚の家に行くと、黙祷していたこともあったりして、小さい頃から戦争や原爆には触れてきた方だと思う。加えて、大学でも縁あって原爆の実相を後世に伝えるためのコンテンツの制作に携わることができたため、被爆者の体験を未来に残すことに対し、ちょっとした使命感も持っている。

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NAGASAKI ARCHIVE
被爆者の体験談、被爆直後の長崎から現在に至る風景の変遷をデジタル地球儀上にアーカイブし、長崎原爆の実相を世界に伝えるためのコンテンツ。長崎の地形を立体的に俯瞰しながら、被爆者の写真と体験談を、1945年8月9日に実際に被爆した場所と関連付けて閲覧できます。

原爆投下から76年が経ち、被爆者がいない未来が来るのは遠くはない。だからこそ、核のない未来のためには、誰かが伝え続けないといけない。これから紹介する事例のように、広告コミュニケーションも重要な役割を担うはずだ。

長崎新聞(2020)

平和公園の石畳が30段全面に掲載された広告。新型コロナウイルス感染拡大防止のために規模が縮小した平和祈念式典(会場:平和公園)だったが、足を運ばなくても、それぞれの家で式典に参加できるようにした企画です。

長崎新聞が手に入らない人のために、ネットプリント等もできるようにし、全国どこからでも参加できるようになっていたこの企画。コロナ禍であろうが、被爆体験の継承を決して諦めない素晴らしい取り組みだと感心しました。

長崎新聞(2021)

見開き30段の紙面が、黒い丸で埋め尽くされた広告。この丸は、世界に存在する核兵器の数(その数、13,865個)を表現しており、そのうち2つの赤い丸は広島と長崎に投下されてしまった原子爆弾を示している。

核兵器が存在する以上、それが使われるリスクも存在しています。

と添えられたコピーは、恐怖心を煽られる。以下のツイートだけでも、4.2万の「いいね」が付いており、シンプルなデザイン構成なのに大きなインパクトを与えている。

また、裏面の15段広告にあったコピーも丁寧に綴られていたので、ちょっとでも多くの人に届いたら…と思い、全文書き起こしてみました。

平和への挑戦は続きます。
想像してください。76年前、一瞬にして命を奪われた人たちの声なき声を。75年は草木も生えないといわれたまちで、悲しみとともに生きながら、くらしを取り戻してきた人たちを。思い出したくないほどに辛い経験を、何度も語り継いできた人たちを。現実的ではないと言われながらも、核兵器のない世界の実現を信じて声を上げてきた人たちを。声なき声と、たくさんの人たちの挑戦によって、今年、核兵器禁止条約が発効されました。不可能だといわれていた核兵器のない世界が、一歩ずつ、現実へと近づいているのです。核兵器のない世界が実現するその日まで、私たちの挑戦は終わりません。今日世界がどんな朝をむかえようと、長崎は世界に、伝え続けます。核兵器が存在している以上、それが使われるリスクも同時に存在している。核兵器の問題は、私たち全員が当事者です。8月9日を、忘れないでください。

ひろしまタイムライン(2020)

NHK広島放送局の被爆75年企画「1945ひろしまタイムライン」は、炎上はしたものの、戦争や原爆の記憶を若い世代に伝えるための発信手法としては新しく、挑戦的で、個人的には素晴らしい取り組みだったと思っている。

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「もし75年前にSNSがあったら」という設定で、実在した広島在住の3人が書いた日記をもとに、1945年の出来事を2020年にTwitterに投稿するものだ。中学1年生「シュン」くんのアカウントは、実際に広島在住の10代が複数人で運用するなど、同世代の若者が追体験している。3人の投稿は、以下にまとめられているので、原爆が落とされた8月6日、そして終戦した8月15日だけでも見ていただければ。

奈良新聞(2020)

原爆とは違いますが…この記事でも紹介した、2020年の終戦記念日に奈良新聞に掲載された広告。ファクトは強い。数字は強い。原爆は戦争の恐ろしさを伝えたはずなのに、世界はぜんぜん終戦していない。

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長崎市長の平和宣言

2021年8月9日、田上市長が核兵器のない世界の実現に向けたメッセージを発信した。その言葉が、ボディコピーかのように、とても印象的だったので、掲載しておきます。

「長崎を最後の被爆地に」
この言葉を、長崎から世界中の皆さんに届けます。広島が「最初の被爆地」という事実によって永遠に歴史に記されるとすれば、長崎が「最後の被爆地」として歴史に刻まれ続けるかどうかは、私たちがつくっていく未来によって決まります。この言葉に込められているのは、「世界中の誰にも、二度と、同じ体験をさせない」という被爆者の変わらぬ決意であり、核兵器禁止条約に込められた明確な目標であり、私たち一人一人が持ち続けるべき希望なのです。この言葉を世界の皆さんと共有し、今年から始まる被爆100年に向けた次の25年を、核兵器のない世界に向かう確かな道にしていきましょう。

2021年1月に発効された核兵器禁止条約に、日本は批准(同意)していない。批准している50ヵ国は大きな力を持っている国とは言えず、アメリカ様におんぶに抱っこの安全保障では署名に踏み出せないのは分からなくもないが…唯一の被爆国だからこそ、切り開ける“核のない世界”があると信じたい。


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