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魔の新生児期

こんにちは。Yママです。

出産後退院してからの1ヶ月を書いていきます。

わたしは帝王切開で出産したため、10日間入院をしました。退院日は旦那が迎えにきてくれ、お昼ごはんを食べて3人で昼寝をしました。
旦那が夕方仕事に行き、起きて泣いている娘に授乳をしていると、入院前よりも部屋がゴミ箱をひっくり返したように荒れているのに気が付きました。絶望感。
訳あって里帰り出来ない予定だったわたしは、慣れない新生児とのワンオペ育児に不安を感じ、泣きながら旦那に電話をしました。
「この部屋なに?!なんでこんなに散らかってるの?!」
とめっちゃキレました。
旦那には、
「だったらこれから家に戻って、今日は仕事休んで片付けるよ。その分収入減るけどいい?どうする?」
と言われました。どうしていつも選択がわたし次第なのだろう、、散らかしたのはわたしじゃないのに。散らかさなければなにもならないのに。どうして責められるような言い方されてるんだろう。どんどん思考が負のループへハマっていきました。
「いや、いい。なんとするから仕事して。」
と、「お金を稼ぐ仕事」をしていないわたしは、劣等感からそう伝えるしかありませんでした。
結局収入が少なければ、あの日に仕事を休まなければと言われるのは目に見えていました。
悔しくて必死に解決策を探しました。そこで見つけたのが地域でやっているヘルパー事業でした。
藁にもすがる思いで電話をすると、運良く今から行けます!とお返事がもらえました。

救世主現る

30分ほどで自宅にヘルパーさんが2人来てくれました。色々話を聞いてくれて、片付けから諦めかけていた水回りの掃除までやってくれました。全部で1時間ほどだったと思います。
病院にいた時はちょこちょこ助産師さんが病室に来てくれていたので話し相手がいたのですが、自宅に帰ってからは泣き叫ぶ娘と2人っきりの現実だったので、少し心が救われました。

格闘の日々

退院して数日間は3時間置きに授乳で起こすか起きるかだったのでよかったのですが、そのあとから変化が起こりました。
娘は入院中、母乳ではあまり眠らず、ミルクで必ずしっかり寝落ちしてベッドで寝ていました。
それが通用しなくなったのです。退院してからは、ほぼ完母だったのですが、母乳がしっかり出ているのか不安になり、追加でミルクを飲ませて寝落ちしたと思ってベッドに下ろすと泣く、また抱っこする、寝る、ベッドに置くと泣く、の繰り返しでした。
ついには母乳もダメ、ミルクもダメ、オムツを変えてもダメ、あやしてもダメ、暖房の温度をあげてもダメ、おくるみで包んでもダメ、抱っこでゆらゆらもダメ、沐浴してもダメ、なにをしても泣き続けるようになってしまいました。
運良くミルクか抱っこで寝落ちしても、いつのまにかベッドでは寝なくなっていました。なので、わたしもベッドで横になることができず、ソファーで娘を抱っこしたまま眠ったりしていました。どうしても横になりたい時は、娘をうつ伏せにしないように授乳クッションをうまく使いながらソファーで少し体を横にして眠っていました。
その時の娘の睡眠の記録を載せます。
日中に2〜3時間寝ることが多かったです。

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中でも辛かったのは沐浴でした。高さ的に洗面台やキッチンでできればよかったのですが、洗面台やシンクの幅が小さくベビーバスがはまらず、お風呂場で沐浴をしていました。
はじめは手際が悪かったのもあり、ギャン泣きされ、沐浴って赤ちゃんみんな気持ち良さそうな顔するんじゃないの?なんでうちの子は泣いてるの?病院で教えてもらった通りにやってるのになにが違うの?と想像と違うことに戸惑っていました。
そしてお風呂場でしゃがんで沐浴をしていたため、産後で下半身がガタがきていたのもあり、毎回腰が激痛になりました。沐浴後の保湿や着替えは、激痛で手が止まりそうになりましたが、ここで休憩してはならぬ!!!と死に物狂いでやっていました。本当にこれから出産の方には産後1ヶ月は出来るだけ無理をして欲しくないです。3ヶ月経った今でもわたしの足腰は少ししか回復せず弱くなったままです。
腰の激痛+ギャン泣きで沐浴後のわたしのメンタルはズタボロでした。全て必死に1人でこなしていたため、ご機嫌なときの沐浴中の娘の写真も撮ることができず、体も心も限界でした。そういえば沐浴中にう◯ち発射された時は、限界を超え時間が止まりました。世界が初めてスローに感じました(笑)
今思えば、沐浴のギャン泣きは浴室が寒かったからなのだろうと思います。今は浴室を暖かくしてめちゃくちゃリラックスして毎日いい顔で入ってくれています。娘よ、ごめん。

またまた救世主

旦那は14〜5時頃まで仕事で家にいなく、帰ってきてもお風呂に入って寝るだけでした。
旦那が寝ていてもお構いなしに泣き続けるため、
「勘弁してくれよ!」
と怒られたこともありました。そんな時に限って全然泣き止まず、早く泣き止ませないと、と焦る気持ちが娘に伝わっていたのでしょう。
思わず泣き止まない娘の口に手を当ててしまいそうになったこともありました。もちろんそんなことやらない、というか絶対にできません。どんなに自分の体や心が辛くても娘は大切で愛おしくて仕方ないのです。
ただ、この時初めてテレビのニュースで見かける、虐待をしている母親の気持ちが分からなくもないと思ってしまいました。育児は孤独になればなるほどより辛いと感じるものになる。あまり旦那とも顔を合わせて会話をする時間も取れなくなり、ふと気がつくと娘を抱きながら涙が出ていることが増え、きっとこの時のわたしは産後鬱になりかけていたかもしれません。
気持ちをコントロールするために、助産師さんへ電話をして、同情してもらったり励ましてもらったりして、なんとか自分の気持ちをギリギリ上げていました。
わたしの周りには娘を出産後、1ヶ月以内に同じく出産したママさんが3人もいました。が、みんな「そんなに泣かない」「泣くは泣くけどそこまで大変じゃない」「わりと大人しいほうかも」という赤ちゃんばっかりで、なんでうちの子だけ、なにか病気なんじゃないかと夫婦で悩みました。
旦那もわたしも睡眠不足で共倒れしてしまうとなったある日の朝
「実家行こう。育児休もう。」
と旦那が突然言い出しました。この日もお互い1時間くらいしか眠れていなかったと思います。
県外の義実家に今から帰ると電話をし、あまりにも突然だったのですがお義母さんも仕事を早退してきてくれて、快く迎え入れてくれました。
夕方まで義実家で過ごし、夜は娘を義実家に任せて旦那と2人で外食に行ってきました。ゆっくり会話をするのも出産前ぶりくらいでした。寝る時も娘を見ていてくれたので、お互い12時間ほど眠っていました。この日あたりから娘は夜に寝てくれるようになったと思います。

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1ヶ月検診

義実家に娘を見てもらった数日後に1ヶ月検診がありました。体重もしっかり増え、便秘気味だったので綿棒浣腸をしてもらいました。
すると数分後に、大爆発!こんなに大量にしたことがなかったので、なにから手をつければいいのか頭真っ白になりました(笑)
助産師さんと母乳の話や退院後の話をしていると、どうやら記入したメンタルチェックの用紙で心配な点があったようで、色々地域の相談窓口などを教えてもらったのですが、その時のわたしに必要だったのは、1時間でもいいからわたしの代わりに家事をしてくれる人ではなく、1時間でもいいからなんなら30分でもいいから娘を見ていてくれる人でした。話を聞いてもらうと、気持ちは少しだけ楽になるのですが、話終わった後にはまた悲しい気持ちに襲われます。
破格で利用できるヘルパーさんもすごく助かりましたが、やっぱり自分の代わりに娘を抱っこして見ていてくれる助産師ヘルパーさんが地域であればどんなに助かるか、と心の底から思います。
わたしの地域でのベビーシッターさんも調べたのですが値段が高く、今日か明日には助けてほしい!と思ってもなかなか予定も合わずで、ましてや新生児となると頼めるシッターさんがほとんどいなくて難しいのが現状でした。都心部であれば多いのかもしれないですね。
核家族が増えている今、きっとわたしと同じ里帰りできずにワンオペ育児のママさんも多いと思います。旦那さんが我が家のように育児になかなか参加できない家庭もあると思います。そんなママさんたちに助産師ヘルパーさんのようなサポートがあれば、本当に産後疲れきった心と体の救いになると思います。

ちなみにわたしは生後2ヶ月の頃になんとか里帰りすることができたので、そこから心に余裕が持てるようになり、今では育児が楽しいと感じるようになりました。娘がするひとつひとつの仕草が可愛くて可愛くてどうしようもない現在です。

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