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30歳を境に変わり始めたこと#3

#2に引き続き、成長できなかった4年間の中でも唯一手応えを感じることができた3年目、そして横ばい4年目についてです。


1.唯一手応えを感じることができた3年目

3年目は、2年目末の余波が残ったままでのスタートとなりました。そして、私をサポートして下さった先輩が別部署に異動してしまいました。さらに、新入社員の指導員をアサインされ、「こんな私に後輩の指導など務まるのか?」といった感じで、非常に不安で戸惑いが隠せませんでした。

ですが、こういった焦燥感と危機感がスイッチとなり、3年目でやっと成長を実感することができました。自己評価だけでなく、周囲も「まともになったね!」と評価してくださり、大変に嬉しかったです。仕事が一気に楽しくなりました。

そのときのチームを振り返ると、上司の管理が、良い意味でも悪い意味でも緩かったと言えます。これが意外と私にはハマったのか、自由に、のびのびと、自分のやりたい放題(というと語弊があるかもですが)に思い切って仕事を進められました。

自分で考えた改善案が採用され、現場に適用でき、効果を実感できたときは大変なやりがいを感じました。ですが、残業管理ができず、遅くまで残ってダラダラと仕事をこなしていたため、仕事にスピード感をもって取り組む姿勢は醸成されませんでした。

また、その上司は私にたくさんのチャンスを与えてくれました。今でも感謝していますが、与えられたものを100%以上活用できた感じがせず、もったいないことをしたなあ、と思います。同業他社の見学、お客様への出張、海外同業他社との国際会議など、イベント盛りだくさんの1年でした。国際会議では、事前に英語のプレゼンを用意して臨みましたが、あまりうまく伝わらず・・・これがきっかけで、

  • 「英語をしっかり勉強したい」

  • 「語を使って仕事を進められるようになりたい」

と決意しました。決意したものの、英語勉強に力を入れるようになったのは最近です。

後輩への指導は、あれほど心配したにも関わらず、ある程度うまくいったと思います。個人的には、2年目でお世話になった先輩にならった指導(進んで答えや方針を教えてそれにしたがってやってもらう)を実践しました。

ですが、唯一の失敗は、キツい物言いを何度かしてしまい、後輩を委縮させてしまったことです。ちょっと仕事ができるようになったからと言って調子に乗っている自分がいました。実際、周囲からも「やりすぎでは?」と言われたこともあります。なぜこのようなことをしたのか?それは、以下のように考えていたからだと思います。

  • 後輩がなんとなく私に似ている(オドオド話す、自信がなさそう、こちらの質問に答えない、など)

  • 私の映し鏡のようで、見ているとイライラする(本当は自分に自信がない。自分も後輩と同じくできていないことがある)

まとめると、自分に自信がないから、まだまだ知らないことがたくさんあるから、自分を強く見せたくてそういった態度をとったのだと思います。

こんな感じで、全体的には成長実感のあった3年目ですが、終盤に近づくにつれて、業務に張り合いがなくなってきました。業務に慣れてしまい、ある程度のことはできるようになった、そこで満足してしまったからだと思います。

2.停滞気味の4年目、そして異動宣告

4年目も3年目と同じ業務を担当しました。指導していた後輩も独り立ちし、私の指導員としての立場はなくなりましたが、引き続き彼のサポートをしました。昨年の成長が大きかったせいか、大きな成長実感はなかった年でしたが、楽しさを覚え、ある程度成長も実感できた仕事があります。

それは、担当する仕事が1つ加わったことで、私と私が指導した後輩とで、その仕事をメインで進めました。後輩とともに改善を重ねることで、別部署とも接点が増え、やりがいを感じました。

私は相変わらず、後輩には強い口調で指導することもありましたが、2年目になった彼は大きく成長し、私に対してあまり遠慮せず、自身の意見を伝えてくるようになりました。彼自身に助けられたこともあり、感謝しています。

私は後輩とともに、現場対応や他部署からの依頼をどんどん引き受けていきました。4年目の上司は3年目とは異なりますが、3年目と環境は似ていました。あるとき、その上司から

  • 「○○(私)さん、仕事を何でもかんでも引き受け過ぎです」

  • 「残業が毎月上限ギリギリかそれをオーバーしているから、セーブできるときはセーブするとか、計画的にできるといいですね」

といった指摘を受けました。それを聞いた私は

  • 「これって、頑張っているってことだよね?」(相変わらず残業が多くダラダラ仕事をしているにも関わらず・・・)

  • 「実際、高評価をもらっているし、特に気にしなくてもいいか」(5段階評価中の上から2番目の評価でした)

と軽く受け流していました。しかし、このような態度、当時の私の働き方が、次の年で間違っていたと気付かされることになります。

そして、4年目の終盤、所属事業部が致命的な危機に遭遇します。詳細は伏せますが、私は、鼻の頭をハンマーで叩かれたかのように愕然とし、強いショックを受けました。その後、数か月はその対応に追われ、まるでドラマやドキュメンタリーのワンシーンのような日々が続きました。

そんな中、思いがけず、異動の内示が下りました。後日、組織図を見ると、知っている方が数名、なじみのない名前もちらほら、そして、同じチームの同期の名前もありました。

そして、なじみのない名前の中に、私のこれまでの人生観、仕事への向き合い方、モノの見方や考え方を一変させるきっかけとなる人がいました。次回#4はその人との出会いから何が起きたのか?を書いていきます。


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