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高速バスに乗って異常なまでの責任感が芽ばえる女の話。

「安心とは、車の後部座席で眠ること」
と言ったのは、チャーリー・ブラウンらしい。

中学生くらいのころ、変に達観した少女漫画のキャラクターがこう言っているのを見た気がしていたのだけれど、そもそもなんの漫画だったのかさっぱり思い出せないし、もしかするとそれは私の夢だったのかもしれない。

ともあれ、高速バスの7列目で揺られながら、本当にそうだなぁ、と、チャーリー・ブラウンの言葉を受け入れる。

高速バスの3列目以降に座ると、子どもの頃の日曜日のことを、わたしは思い出すのだ。
父は土日休みのサラリーマンだったけれど、月に一度程度、日曜日にもかかわらず隣の市の取引先に顔を出さなければならない時期があった。
私の住む市は、生活するには不便ではないけれど、都会的な遊びをするには物足りず、東西どちらかの隣の市に出なければショッピングもできない町だ。
どうせ仕事で行かなければならないのだから、と、家族全員で父の仕事について行って、ついでにデパートでショッピングをしたり、近所にまだなかったサーティーワンのクレープを食べたりと、都会的な遊びを満喫するのがお決まりだった。

車に酔いやすいわたしは、道中必ず眠っていた。
母親が助手席で「危ない!」「ブレーキ踏んで!」と叫び、父親が「踏んどるがな!」と声を荒げるのを聞きながら、わたしは窓の外も見ないままに「ぜんぜん危なくないのにな〜」などと思い、うとうとと眠りに落ちていく。

「ゆかこ」と、わたしを呼ぶ声がうっすらと聞こえたときには、もう車は街中を走っているのだから、わたしはいつもタイムスリップをした気分だった。

あの頃はそれが当たり前で、安心だなんてちっとも思っていなかったけれど、大人になってみてようやく、何もしていないのに気づいたら何かが終わっていることなんてまずないんだよなぁ、と気づいた。

高速バスの3列目以降の席が、大人になったわたしを思考停止させ、ささやかな安心へと誘うと同時に、いつも何かを案じ思考し行動するようになってしまった現実を実感させるのだ。

それにしてもこの「3列目以降の席」というのが、なんともリズムが悪く邪魔である。
もしも私がこの文章を添削する立場なら、こんな限定は読者にとっては無意味だと真っ先に消してしまうだろう。

それでもわたしは「3列目以降の席に限る」と主張し続ける。
高速バスの1・2列目に座るわたしは、いつも「このバスに乗ったおよそ20名の運命共同体の命を守るのは、他でもないこのわたしよ!」という気分で乗っているからだ。

乗車したらまず緊急停止ボタンの説明を読みボタン位置を確認。非常時の対応や非常扉についての説明がある場合も熟読。そして①運転手の体調不良や居眠り②不審者や不審物の発見③交通事故や自然災害発生の3パターンの最悪の事態を脳内でシミュレーションし、それぞれの場合の対応や乗客への指示を考える。バスが動き出したら運転手の注視、車体が道路の白線に著しく近づいたり遠ざかったりしていないか、スピードの急激な変化がないかを確認、休憩所では見覚えのない人が乗り込んでいないか一人一人をチラ見するなど、なんやかんやと忙しくしているうちに目的地に着いている。

運転席が見えるし、いざとなれば緊急停止ボタンでバスを制御できる、という状況が、わたしに謎の責任感を背負わせるのだろう。

内心、バスの運営会社でもないのにここまで張り詰める必要ないよな、とか、運転手さんもここまで緊張してないよな、とかうっすら思うのだけど、実際何かが発生したときにスムースに動けるのはわたしだけだ、と謎に自負するわたしがいつも勝ってしまう。

もしも許されるなら、1列目と2列目の乗客で緊急時対応の打ち合わせをしてから出発したいくらいなのだが、そんな世界になったら日本中でわたししか2列目までの席を予約しなくなるので、バスの運営会社にとっては良い迷惑である。


帰りのバスの座席は1-A。
乗客の中で最も責任感を持つべき座席だ。
たらふく食べて飲んでから乗車する予定なので睡魔に襲われることが想定されるが、この席を予約したからには、しっかりと任務を遂行したい。


……久しぶりのnoteなのに一体何を書いているのやら。

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