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生理前のアラサーがわかめと自分を比較したり湯婆婆になったりする話

夕飯をつくろうと思ったら、キッチンの作業台の上、シンクギリギリ崖っぷちのところで、ふえるワカメが増えていた。
昼に買ったわかめを瓶に補充したときに、ひとかけ落としたのだろう。
作業台に落ちていた、たった一滴のしずくを吸って、ふえるワカメは増えていた。

いつものわたしなら、「え、一滴でこんなに増えるの!?!?すごーい!!」と言って、早速同居人に報告しているだろう。
けれど、今のわたしは生理前なので、「わかめもこんなに成長するのに…一体わたしは何をしているのだろう…」と、わかめと自分を比べて意気消沈するのである。

生理前はいつもこんな感じだ。
毎日投稿していたnoteが途絶えたのも、生理前のやる気のなさと眠気に一日を支配されていたからである。
ちなみに学校なり職場なりに通っていたときは、PMS(月経前症候群)も生理痛もほとんどない人間だと思っていた。
けれども仕事をひとたび辞めてみて、何にも一日を強制されない生活を送ってみると、特にPMSがひどいことに気づいたのである。
1週間ちょっと前から眠くて眠くて起きていられないし、自分でも引くほどのマイナス思考に陥るのだ。
何かにつけて自分の話を引っ張り出してきては落ち込むので、ふえるワカメですらわたしを落ち込ませるのである。
生理痛も、自分の認識よりもひどかったことに気がついた。
「わたしね、生理痛、ほとんどないのよ」「えぇ~、いいなぁ~」と友人と言い合ったあの一連の流れはすべて嘘だったのである。

そう考えると、わたしの「~せねばならない精神」は、異常なのかもしれない。
こんなにしんどいしこんなに眠いのに、職場には行かねばならないという思いから、感覚すら麻痺させているのだから。
思い返すと、生理前の授業はぼーっとしてほとんど内容が入っていなかったし、仕事でも眠くてやる気が起きなくて作業効率がだだ下がりしていた。
そうなってくると、本当に意味のない「~せねばならない精神」である。
どうせ眠くて何もできないのなら、家で寝たほうが良い。
けれど当時のわたしはそんなことは考えられなかったので、感覚をごまかして15年ほど過ごしてしまったのだ。


わかめを見て落ち込みながら夕飯を考えた。
キャベツの芯と、その仲間みたいな部分が余っているので、今夜のスープは最近ハマっている「千切りキャベツのペペロンスープ」にしよう。

「キャベツの芯の仲間」とは、ホンモノの芯のまわりにあるあれで、切っているうちに固さを感じて「あれここもう芯?」と不安になってくる、どこまで食べてどこから捨てれば良いのかわからない、あの芯なのか芯じゃないのかわからない部分である。
昔、実家で「キャベツの芯の仲間」の部分をスライスしていたら、母に「そんなところ美味しくないけぇ食べなさんな!」と言われた。
母は多めに芯を見積もるタイプである。
ほう、そうなのか、と思ってから、「キャベツの芯とその仲間」は食べていなかった。
けれど、キャベツとちゃんと向き合ってみると、「葉」と「仲間」と「芯」に境界線はほぼないことに気づく。
春キャベツでもなければ、キャベツって葉の部分もそんなに柔らかいわけではないし、芯の本当に下の方の汚い部分以外は食べても問題ないのでは?と思えてくる。

そう思ってから作るようになったのが、この「千切りキャベツのペペロンスープ」である。
芯をそのままスープに入れてしまうと、柔らかくなるのに時間もかかるし、ちょっと味気ない感じもしてしまうが、「葉」も「仲間」も「芯」も全て千切りにして、ペペロンチーノのような味付けで炒めてからスープにすると、芯なんてどこにいったかわからなくなり、キャベツの甘みが出ておいしいスープになるのだ。

「千切りキャベツのペペロンスープ」を作ろうと思って、ひたすらキャベツの千切りをしていたときに、大事なことを思い出した。
そういえば、このあいだ、鷹の爪をすべて使いきってしまったのだ。
前に住んでいた家の近所のおばあちゃんがくださった唐辛子を株ごと干して、2年近く大事に食べていた。
私たちと一緒に引っ越しまで経験し、新しいお家でも干されていた唐辛子だが、少し色が変わってきた気がして、最近は急いで食べていた。
だから、ついこのあいだ、使い切ったのだった。

「千切りキャベツのペペロンスープ」に鷹の爪がないだなんて。
それじゃあ「千切りキャベツのスープ」じゃないか。
わたしの確認不足のせいで、この子から「ペペロン」部分が奪われてしまった。
なんてわたしは罪深いんだ。
極悪人だ。
「千切りキャベツのペペロンスープ?贅沢な名だね。今からお前の名前は千切りキャベツのスープだ。いいや、まだ贅沢だね。そうだ、今からお前の名前は千だ!いいかい、千だよ。わかったら返事をするんだ、千!!!」という気分である。
わたしがもしも銭婆のような人間だったら、この子は「千」になる必要なんてなかったのに。

ナニイッテンノ、コノヒト、と思うかもしれないが、生理前のわたしは、わかめと自分だって比較するし、湯婆婆にすらなる。
これをアラサーの女がひとりで真顔で、ときに泣きそうになりながらやっているのだから、正常状態の人間からみるともはやコントである。
生理前にくだらないことで泣いているわたしを見た同居人が「うそでしょ、泣くポイントあった?」と笑っていることがあるのだが、今こうやって生理前のわたしを客観視してnoteに書いてみると、笑ってしまうのもよくわかる。

ちなみに「千切りキャベツのペペロンスープ」もとい「千切りキャベツのスープ」もとい「千」は、鷹の爪なしで完成してからチリペッパーパウダーをパラッとかけただけで「大当たり~」と湯屋のみんなから称えられ、無事に「千切りキャベツのペペロンスープ」という名前を取りもどしたのだった。


生理前に落ち込んだことをnoteに書いて笑う。
完全に情緒不安定だけれど、なんだかわたしのメンタルを保てそうなのでそれで良し。

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