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ぬいぐるみとしゃべる人は

「ぬいぐるみには、命が宿るんだよ。」
母は私に言う。だからずっと大切にしなさい、と。

私の家系は、「ぬいぐるみは生きている」家系だった。
話しかけると声が返ってくる。一緒にご飯を食べて、一緒に出かける。

もちろん、同じ布団で毎日一緒に眠る。
母は、「この子たちは、貴方が眠った後にみんなだけで遊ぶから、遊べるように早く寝なさいね」と言った。

私にとってぬいぐるみは、きょうだいのような存在だった。
そんな、ぬいぐるみを抱きしめて眠る、「わたしたち」の話。

「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」

タイトルを見た時、「なんだ、私の映画か」と思った。と同時に、私と同じ人間がこの日本にいっぱい居ることに、少しだけ驚いた。
23年生きてきたのに、「ぬいぐるみとしゃべる」星に生まれた人は、大学時代の友人たった1人しか、家族以外に見つけられなかったからだ。この映画を教えてくれたのも、先に鑑賞して感想を教えてくれたのも、他でもないその友人だった。

映画では、ぬいぐるみは登場人物たちの感情を背負う。「相手を傷つけたくない」という気持ちをどうにか解決するために、人ではなくぬいぐるみに感情を吐露する、「やさしい」人たちの感情を。

ある人は、平和にならない世界への叫び。ある人は、恋愛について。ある人は、ジェンダーからくる加害性について…。

さて、わたしはぬいぐるみと何を話してきたかな、と思い返した。

今日のご飯何かな。美味しかった?
少し汚れてきたね、お風呂に入ろうか。
外綺麗だね〜〜気持ちいいね、外見える?

私にとってみんなはきょうだいだったから、
ぬいぐるみじゃなくて、家族だったから、
映画の中のように、ぬいぐるみにつらかった話を直接はしなかった。
そりゃあ、泣きじゃくって抱きしめたことは何度もあるけれど。

だって、私の価値観では、ぬいぐるみも生きているから。
ネガティブなことを話されると、人と同じように、傷つく。

だからって私は、「ぬいぐるみも傷つくんだからそんなネガティブな話ばっかり投げかけないで!ぬいぐるみのことを考えて!」とは、言わない。

映画で大切にされていたのは、ぬいぐるみそのものより、「対話」だったと、思う。


予想外のことで傷ついた時、「大丈夫だよ」と振る舞う癖がある。
この間、飲み会でとてつもなく嫌な気持ちになって帰ったことがあった。麦戸ちゃんのように、今まで他人事だったものを目の当たりにしたからこその、表現出来ない悔しさと苦しさを感じた夜だった。
恋人や友人にひと通り話したあと、「私は大丈夫だから」と何度も言った。でも、涙はしばらく止まらなくて、前より人が怖くなった。

電話を切って、ひとり泣きながら、もうちょっと助けを求めても良かったんじゃないかとか思ったりした。相談下手くそじゃん!と自分を叱ったりもした。
結局誰にも言えなかったけど、私は全然、大丈夫なんかじゃなかった。

映画を観て、私も下手くそながらに「対話」をしたいな、もっと伝えなきゃいけないことがたくさんあるな、と思った。

傷ついているとき、大丈夫なはずが無いとき、
何も言わず「大丈夫」と言ってしまうことは、手を差し伸べてきてくれた人のその手を振り払うようなもの。だと、最近の私は思えるようになった。

「大丈夫じゃない」と言ってみること。
「私がいるから大丈夫だよ」と伝えてみること。
そして「大丈夫じゃないよね」と認め合うこと。
決して他者に無関心にならず、手を取り合ってみようと試みること。

映画の彼らがぬいぐるみを抱きながら対話をしたように、
泣きながらでも、不完全でも、下手くそでもいいから。
とにかく対話をしよう、話をしよう、伝えよう、と思った。

それで、七森と麦戸ちゃんみたいに、「全然大丈夫じゃないね」って、ちょっとでも分かりあえたら嬉しいな。な〜んて。

忙しくて時間が取れずにいたけど、
私も、ぬいぐるみとまたいっぱいしゃべってみようかな。
私と長く共に生きたきょうだい達、
これからもよろしくね🧸

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