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嘘の作文【花やふる道具日記】

花と古道具を扱う店で働く私が営業中にふと考えたこと。

見出すってなんだ?

今日読み終わった本は、わびさびに関する本。

みんなが知っている千利休。
たった二畳で茶室を作ったことで有名だが、
将軍でも、天皇でもない、お茶をたてていた文化人が
なぜ500年も時を超えて名前を残しているのだろうか。

茶の湯と聞いて現代人が思い浮かべるのは、
質素なお部屋で静かにお茶を飲むこと。

私たちがイメージする茶の湯の前は、
豪華な道具を褒めたり、広間で人を集めて茶を飲むことが主流だった。

ただ、利休は豪華な道具に興味を示さなかった。

美しいものの基準はこれ!と決められていたので、
みんなその基準に沿って、より珍しいものを追い求めた。

利休は、唐や高麗の茶碗(今のだいたい中国や韓国)ではなく、
日本で作られる陶器を好み、
決して高価なものでなくても大切に使っていた。

今まで見向きもされていなかったのに、
利休がその美しさを見出したと言われる。

そして茶室も何年も野に吹きさらされたような、
質素なものが美しいという美意識に変化して行く。

今まで目にも止まっていなかったものが、美しいとされる。

それは自分に何かを追加して行くことで手に入れるものではなく、
手放して行くことで手に入る美しさ。

ただ、
手放して行くこと、
諦めること、
たどり着いた先で美しさを見出すこと、
の方が難しいのかもしれない。

まだ上手くまとめられないけど、
多くの人の美意識を覆してしまうような変化はどのようにもたらされたのか。
そして、今まで見向きもされなかったものに美を見出すとは、どういうことなんだろうか。

最近の興味のあること。

解けない謎は一生残る。

ここまで話しておいて、私は茶の湯にトラウマがある。

それは、今から4年前の大学3年生まで遡る。

専攻は建築学。その中でも意匠設計を選択していた。

『茶室から学ぶ』という設計課題が出た。

この課題は激ムズだった。

茶室から学んで、茶室を作るのではなく
設計手法を作って、他の建築に転用する。
という課題だった。

茶室の図面をかき集め、柱の位置を抽出しプロットし、終わってしまった。
単位も危うかったトラウマの課題である。

それ以来、茶の湯や茶道は頭から離れず
たまに課題を思い出す。

あの課題を、こういう発想で解いたらどうだろうと、考えている時がある。

学生時代、設計課題では上手くいったと思える作品は作れなかったので、
大半の課題の内容が残っている。

たまに、課題について思い出し考え始めている時がある。

解けない謎は4年経った今でも私の頭に残っている。

なぜ人は懐かしいところに戻りたくなるのか

時代劇を見ていると、家族から離れて支えていた家来が
「故郷に帰らせてください」
と、言うシーンがよくある。

生まれ育った町で暮らしている時は感じなかったが、
地元を離れて暮らしてみると、実家から最寄り駅までの道を思い出すことがある。

別に綺麗な景色ではない、歩道橋の上から見た大きい道路。

あとは、駅から高校まで歩いた長い道のりとか。

美しい景色は心を癒してくれるけど、
支えてくれるのは懐かしい景色なのかもしれない。


褒めて欲しかった空想の作文

私は、小学生の作文で話をでっち上げたことがある。

お題は多分「夏休みについて」。

猫が好きで、おばあちゃん家にいる猫に会いに行くのが楽しみだった。

夏休みの記憶なんてほとんどなかったのかもしれないが、
私はその猫のことについて作文を書いた。

内容は、その猫の散歩の後をつけて、
猫たちが何をしていたのかについて書いた。

都会では珍しいが、
東京でも下町の方にあった祖母の家は、
戸建ての間に狭い道があり、裏に神社がある。

拾ってきた猫たちばかりだったのでみんな好きな時に散歩に行って、
家に帰ってきた。

台所の窓から飛び出していってしまうし、猫が通る道はとても狭いので、
もちろん着いて行ったことはない。

けど、想像で書いて見た。

もうその作文は残ってないので、詳しい内容はわからないけど、
思い返せば、全くの想像で原稿用紙を埋められたことは割とすごいことじゃない?

その時の担任の先生には、
「これ本当の話?」
と聞かれてビクッとしたのは覚えている。

疑わしかったのが、
突拍子な内容からか、ディテールが不鮮明だったからかはわからない。

事実を文章にする訓練はしたけど、
なぜか空想を表現することを学校ではやらなかった。
タブーすら感じる。

国語で扱う物語はほとんどが創造されたものなのに。
なんでだろう?

今日も、最後まで読んでくれてありがとうございます。


いただいたサポートは、花と民芸の表現の追求にあてさせていただきます。