見出し画像

花は束ねなくていい【花やふる道具日記】


花と古道具を扱う店で働く私が営業中にふと考えたこと


人の体は一定でない

昨日は倒れるように寝てしまった。

気づいたら朝の5時。
長野に引っ越してきたから、初めてのことだ。

近頃急に冷えたからだろうか。
特に雨が降って、寒い日だった。

寒いと体力を使うのかどうか気になり、
昼休憩中に簡単にスマホで調べてみた。

やっぱりそうだよね。
寒いから体力が削られるというよりも、
寒いと血行が悪くなるため体にエネルギーが行き届かなくなる。

また、寒いと水を飲む機会も減るし
体が縮こまるから筋肉も緊張している。

それが連日続いたためか、よく眠った。

まあ、人の体も自然の一部。
季節が変化するように、体も変化する。

暑かろうと、寒かろうと体にいいことって変わらないようです。

人間であること

変化する自然に対して、
人間は一定でもいられる。

それが習慣だと思う。

環境が変わっても、
自分を保つものを続けること。

それが大変な理由と大切な理由は変化する世界の中で
一定であるということは、それだけ難しいと言うことだろう。

話飽きっぽいひと

植物は動けないからこそ、
多様な生存戦略を持ち合わせている。

大地の栄養素では足りないので、
虫を食べるようになったり、
水が少ない場所でも生きれるよう、葉に水分をため込んだり。

一見不利な条件に思えても、
それを乗り越えることで、個性が生まれる。

私は飽きっぽい。
飽きっぽいがゆえに変化がない環境をすぐに変えたくなってしまう。
こんな私はどうやって生きていけばいいんだろうか。

植物を見ながら考えている。

世界に次々と新しいものが現れるのは、
飽きっぽい人が一定数世の中に存在しているからだろう。

アーティストは常に新しい表現を模索している。
だからこそ、アートは私をドキドキさせてくれる。

時代を経て伝わるものも大切だけど、
刺激になるのはいつでも実験的試みだ。

そして、その試みは十年後でも色あせないことがある。
時代を変えようとする試みは、衝撃を内包しているのかもしれない。

おしゃれってなんだろ

花屋っておしゃれな方がいいよね。

ファッションではないのに、
どうしておしゃれであることが必要なのだろうか。

花と人間の関係は時代が進むごとに複雑になっている気がする。

食べ物を
実を大きくして食べやすく、
病気に強くして収穫しやすくするアプローチは
生命に関わる問題であるからこそ、
あまり不自然には感じない。

それに対して花はどうだろう。
より鑑賞しやすいように長持ちさせたり
花びらを豪華にしたりと改良が進んでいる。

花がなくても、生命には支障をきたすことはないだろうに。

虫がつかないように、作られた花は完全に
人間の眼のためだけに存在している。

花の感動は本来そこにあるだろか。

そことは、
根のない状態。
環境の多様性が感じない状態。

目の前の花たちは、
同じ方向に伸び、同じように花を咲かせている。

コンテクストと切り離された商品としての花に、
どこまで感動があるだろうか。

人が精神を満たすために見出したものは、
ただ生きているだけではなく、置かれた環境に対して、
生きようとする、その命を読み取ることにあると思う。

それでもなお、自然の法則に従って生きようとする花たちには頭が上がらないのだけど。

今日も最後まで読んでくれてありがとうございます。


いただいたサポートは、花と民芸の表現の追求にあてさせていただきます。