グローバル化と多様性~人類の課題解決のために

 現在の人類の課題である環境問題・感染症・戦争や人権問題について考えてみたいと思う。結論から言うとこれらの課題解決には共通のキーワードがあると思う。それが、グローバル化と多様性である。生物は地球上に誕生以来遺伝子から同じものを受け継ぎながら、少しずつ違いをもたらすことで環境変化に対応し進化してきた。つまり、同じで違っていることで生物は進化してきた。人類社会の進化も同じように、グローバル化=共通性と、多様性=異質性により進化していくことが、人類や個々人の生存・幸福に重要であると思う。
 しかし、同じと違うは反対語であるように、グローバル化と多様性も対立するものである。グローバル化は人類の一体化となり多様性の否定、多様性尊重はグローバル化を阻むものともなり得る。そこで、二つのバランスを取るためには、人類共通の普遍・共通をどう決めて個々の多様性を尊重するかが必要となる。
 私は、人類共通の普遍は、ホモ・サピエンスという同じ種であることと、個人の「生きたい・幸せになりたい」という共通・普遍的な思いであると考える。人類もかつては複数の種が存在していたが、現在ではチンパンジーより遺伝子的個体差の少ないホモ・サピエンスという一種のみであり、人種という概念は存在しない。また、人間が求めるものは多様であるが、突き詰めて見ると「生きたい」と「幸せになりたい」の二つであると思う。したがって、第一に同じ人類であることと、第二に「生きたい・幸せになりたい」の二つの共通性以外においては多様性を尊重したら良いのではないかと思う。
 しかし、現在のグローバル化は不均等に進展し、多様性の尊重も不十分である。人・もの・金・情報の流通といった経済のグローバル化に対して、政治・法は国家単位・国内法が優先され、人々の意識も人類全体よりまず国家・国民第一に考えているようで、政治・法・意識のグローバル化は進んでいない。また、一人ひとりの多様性の尊重、人権の尊重も、自国内の人権侵害を認めない国家の壁に阻まれて苦しむ人たちがいて不十分である。私は、これら不均等なグローバル化の進展と不十分な多様性尊重が、現在人類の課題(環境問題・感染症・戦争)や人権問題解決の阻害要因となっていると考える。つまり、真のグローバル化と多様性の尊重の実現が課題解決へと繋がると思う。
 真のグローバル化と多様性尊重の実現には次の三つが重要であると思う。
①    国際法の確実な実効性実現=法・政治のグローバル化
 ・国際法による国家間争い(戦争含む)の解決・抑止・更生(犯罪集団の再受入)
 ・国家・国内法に優先する一人ひとりの人権保障制度
  ⇒個人からの訴えによる裁判実施と国家への改善指導
 ※これらは、現在制度的には存在するが批准してない国が多い。
②    人類共通課題への人類社会全体としての対応=政治のグローバル化
・感染症(+医療・介護)、環境問題、貧困問題等への対応
・グローバル企業・超富裕層からのグローバル税徴収と活用
 ※コロナ対応でもみられたように各国は自国優先で対策実施を行い統一した対応はできなかった。またグローバル化により発生した格差の是正は国単位の対応では難しい。
③    全人類対象の共通人類史の義務教育化=意識のグローバル化
  ・アフリカにおける人類の誕生から現代までの人類史
  ・人類共通の負の歴史をより良き将来のために活かせる教育
例:ナチスや日本の侵略戦争に伴う負の歴史なども単に特定国家・個人・集団の責任とするのではなく人類共通の負の歴史とする。(加害者と被害者に分断しない)
 ※各国の教育は自国中心の視点で実施されることが多い。

 この三つのことが達成されれば、真のグローバル化と多様性尊重
の実現に近づくのではないかと思う。国際法の運用により戦争のリ
スクは軽減され、戦争する意義が見い出しにくくなり、軍縮さらに
は非武装化へと進む期待もできる。個人からの訴えによる人権侵害
の解消は、現在の人権問題における国家の壁を取り除くだろう。グ
ローバル税により得られた資金を中心に環境問題、感染症対策など
の人類共通課題に対して人類が一体となって解決に臨むことがで
きよう。これらの推進を支えるのが、意識のグローバル化である。
同じ人類として自国あるいは自集団優先主義に陥らずに、他者や他
集団の多様性を認める。こうした意識を多くの人類が持つことが最
も重要であり、その実現に近づけるのが教育であると思う。
 しかし、この三つのことを達成するための大きな障害は大国の存
在ではないかと考える。大国は、自身の軍事力や経済力により自力
で安全保障が可能であり、むしろ国際法は自国優位とする活動の妨
げになるからである。したがって国際法を批准しないという選択が
なされる。また国連安全保障理事会において拒否権を持っている。
一方大国以外の国は自力での安全保障は困難であり、大国の力に頼
る必要がある。したがって、ここに何らかの上下関係ができてしま
い、多くの国際問題も大国主導で進みがちである。しかし、国連総
会においては一国一票で平等である。また、権威主義といわれる中
国においても一般民衆の白紙の抗議などでゼロコロナ政策が見直
されたように、各国においても一般民衆の力は無視できない。した
がって、この三つのことを進めるには、大国以外の国の力と各国一
般民衆の力が必要ではないかと思う。
 そこで、第一の共通性である全ての人類がホモ・サピエンスという同じ種であるとの意識のグローバル化を多くの一般民衆が持つことが大切であるのではないかと思う。この意識をグローバル化することは難しいとは思うが、人間にはその力は備わっていると思う。現在行われているロシアとウクライナ間の戦争は死者数などの数だけでなく、具体的な特定個人の情報としてSNSで発信されることで共感される。つまり同じ人間として意識され、意識がグローバル化されることになる。但し、ここでもう一つ必要なのは、ロシア=悪と捉えるのではなく、同じ人間の行動としてどうしたらいいかについても一緒に考えることではないかと思う。そう考えるためには、第二の共通性である人間とは「生きたい・幸せになりたい」と思うものとの共通認識が必要であると思う。ロシアの行為は悪であるが、ロシア人=悪ではなく、そこの人間も同じく「生きたい・幸せになりたい」と思っている人間であるということ。同じように「生きたい・幸せになりたい」と思っている人が、一緒に生きていくにはどうしたらいいのか。国家・宗教・主義・文化などの違いがあっても一緒に考えていけることではないかと思う。それが、真の意識のグローバル化となると思う。
 まとめると、人類は「生きたい・幸せになりたい」と思う同じホモ・サピエンスであると認識し、個々の多様性つまり人権を尊重し合うことを国際法・教育で支え、グローバル税も活用し共通課題対応を行うことで、現在の人類の課題解決を行うことが必要と思う。

 今後、これらのことについて、順を追ってブログやnoteで発信していきたいと思う。

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