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(Kindle小説)まるで魔法!SF×昭和末期の奇妙な融合

SF×昭和末期を舞台とした小説

さて、二ヵ月ぶりに自作の小説に関する話題を語りたいと思います。話題とは言っても、ただの進捗報告ではありません。完成報告です。えぇ、たった二ヵ月で長編小説が出来上がりました。上下編の上編だけですけど。発売は6月の中頃です。

私はしがない大学生なのですが、所属しているゼミの活動で、”自ら作品を作ってそれを世間に公表しなさい。そしてレビューという名のフィードバックを受けてこい”というお達しを受けました。芸術系の大学ではなく、某有名大学に入っているのですが…。とても変わっているゼミです。流石は俗称ポップカルチャー学部。

春学期の成績を付けるにあたって、私の制作に費やせるタイムリミットは二ヵ月だけでした。だから二ヵ月なのです。いやはや、デスマでした。

どのような作品を作ろうかな、と考えたとき、ふと最近テレビを付けるたびに昭和歌謡曲ランキングなるものが放送されているなと感じました。毎日のようにやっていて視聴率が稼げるのかな、と思ってみたものの、まぁ稼げているから放送しているのでしょう。少し前に昭和っぽい踊りも流行りましたし、一周まわったのかもしれません。であれば、昭和というジャンルは人気であると言えます。

では、昭和を舞台とした作品を作れば面白いモノが完成するのではないか!と考えた私は慧眼でしょう。多分。ということで、今回私はSF×昭和末期という設定の下作品を作ってみました!以下はその食べ合わせを組み立てた理由の解説です。


未知との遭遇

SFと言えば、皆さんはどのような世界観を想像しますか?ネオンが輝くサイバーパンク?それともくすんだ空気の漂うスチームパンク?宇宙モノも魅力的ですよね。これら全てのほとんどは私たちが住んでいる現代とは遠い未来や、それこそ全く別の世界線の話がモチーフになっています。

それでは、現代や未来とも違う、過去を舞台としたSF小説を制作することは可能でしょうか。それこそ、現代とは全く文化の違う半世紀近く前の時代を舞台としたSF作品を作ることは不可能でしょうか。

タイムマシンという装置を作中に出せば簡単に過去に飛ぶことは可能でしょう。バックトゥザフューチャー1と3はまさにそんな設定のもと物語が展開しています。私のお気に入りの映画でもあります。

しかし、作中の彼らは決して親世代の人間ではありませんし、西部開拓時代の人間にもなりえません。彼らはどこまで行ってもよそ者であることには変わりませんし、完璧に時代に順応することもできません。つまり、過去に行くことは可能でも、過去を”生きている”キャラクターの作品を作ることは大変難しいのです。少なくともタイムマシンで過去に行くキャラクターが主体の作品には不可能な芸当です。

それではどのように過去を題材としたSFを作るのか。

その方法は、「未知との遭遇」でしょう。

類人猿がモノリスに触れたり、医学の発達していない人類に謎の奇病が襲い掛かったり、全く未知の生物とコンタクトしたり、そんな理解の追い付かない何かとの遭遇こそがSFの原点であり、もっとも話を広げやすい方策であると考えられます。

私たちは日々小型の携帯電話を使い、どこからでもインターネットに接続でき、体の健康はリアルタイムで監視されています。しかし、それは昭和末期ではどうでしょうか。まるでバックのように大きな肩掛けの電話、インターネットは当然普及しておらず、健康確認は定期健診に行くしかない。そんな乖離が存在しているのです。

では、昭和末期に生きる人が未知なる技術の一端に触れるようなことがあれば、一体どのような化学反応が起きるのでしょうか。未来とは未だに来ることのない知らないモノを指します。未来の物事を過去の舞台に輸入するだけでSFは完成しうるのです。

サイバーパンク系や宇宙系も「未知との遭遇」を用いています。しかし、それは私たち読者に向けてです。読み手が見たことのない世界や技術を作中で見せることで、読者相手に「未知との遭遇」体験を仕向けているのです。

昨今は難しい設定や凝った世界観、SF自体の濃度を濃くすることが好まれがちですが、SFの最も通念的な要素である「未知との遭遇」を大事にすることも一つの手ではないでしょうか。



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