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#卒論公開チャレンジ 【プラットフォームによる一望監視施設(パノプティコン)を受け入れる「利用者」と拒絶する「消費者」】



Twitterとかでチラッと見たので、
自分も #卒論公開チャレンジ してみようと思います。

今読み返しても何書いてるかわからんし、途中で尻切れトンボですが、
たまに卒論の話になるので、いつでもアクセスできるようにって目的もあります〜。

5年前の地道が必死こいて書いた卒論です。
学生なりに汗かいてたと思うので、温かい目で読んでください。

変な箇所とかも多分当時には気づけなかった
OR いろいろ訳があって見て見ぬふりしたんだと思います 笑


では、スタート!
※読みづらかったので少し改行とか変えてますが、ほぼ原文ママ

~~19年3月1日追記~~

【どんな内容なのか】

ジェレミ・ベンサム設計の一望監視施設に対する
フランスの哲学者ミシェル・フーコーによる

”完全に個人化され、たえず可視的である”

”〈一望監視施設(パノプティコン)〉は、見る=見られるという一対の事態を切り離す機械装置であって、その円周状の建物の内部では人は完全に見られるが、決して見るわけにはいかず、中央部の塔のなかからは人はいっさいを見るが、けっして見られはしないのである。”

といった論考について、
GAFAをはじめとするのデータ活用を巧みに行う大企業の活動にも当てはまると考え、
昨今のアドブロックやGDPR、サービス設計におけるUXに通じる考え方を社会学的にまとめています。


データ活用によってターゲティングが精緻になると、
生活者は「監視されている」「気持ち悪い」といった態度に変わり、
新たなプライバシー観が生じていくのでは?といった主張です。

データを活用する企業や団体が、監視対象となる生活者を
 ー「自サービスの利用者」と捉えた活動をすると、
  彼らは監視に自覚的に組み込まれる
 ー「データを吸い取る消費者」と捉えた活動をすると、
  彼らは監視を拒絶する

このまま後者の世界線に進むと生きづらくなるだろうなぁ。


ってことが言いたかった論文です。

~~追記終わり~~



プラットフォームによる一望監視施設(パノプティコン)を受け入れる「利用者」と拒絶する「消費者」

2014年1月14日提出 地道悠介

はじめに

 21世紀の大学生として有意義に学生生活を送るためには、PCやスマートフォンによるインターネット利用を欠かすことはできない。授業の履修を考える上でもインターネット接続が必要であり、授業に必要な教科書もネットショッピングで入手することもある。授業の課題としてレポートを作成する場合も、検索サイトを通してWEBページを探し出し、根拠を裏付ける出典とすることも多い。このようなことは日常茶飯事であり、インターネットは社会にとっても欠かせないものとなっている。

 このように、日常を支えているPCやスマートフォンや検索サイト、ネットショッピングなどを提供している企業に、我々はどっぷりと依存した状態で生活している。ここ最近、それらの企業は商品やサービスを提供しているのではなく「プラットフォーム」を提供していると表されることがある。また、それらの企業がとる戦略を「プラットフォーム戦略」という。平野敦士カールらの『プラットフォーム戦略』では

プラットフォーム戦略は、リーマンショック以降も着実に成長し続ける企業に共通した、いまもっとも注目されている世界最先端の経営戦略です。多くの関係するグループを「場」(プラットフォーム)に乗せることによって外部ネットワーク効果を創造し、新しい事業のエコシステム(生態系)を構築する戦略、それが「プラットフォーム戦略」です。
(平野,2010,p.1-2)

と説明されている。要は、商品やサービス単体を提供するだけではなく、それらから生まれる「場」(プラットフォーム)に重きを置いている。ネットショッピングなどの場合は、プラットフォームだけを準備して出店者に解放し、そこで生まれる取引に直接は関与しない場合もある。検索サイトでも個々のWEBページへの窓口といったプラットフォームとなっているが、その先のページを用意しているわけではない。そのようなプラットフォーム群に我々は取り囲まれて生活している。

 そのプラットフォームは我々の生活を支えているが、その代償として我々の大切なものを奪っているのではないだろうか。筆者はプラットフォームに深く関われば関わるほど、常に生活を覗かれている感覚を覚えるようになった。そのきっかけは、パーソナライズされたメールマガジンや広告などによってだ。それらを窓にして、その先にある監視塔の存在を疑うようになった。我々は、プライバシーを通行手形にしてプラットフォームに出入りしていると言えるのではないか。それを考察するのが本論の目的であり動機である。監視されている状況を分析するにあたり、過去の先人によって作り上げられた〈一望監視施設(パノプティコン)〉というモデルを軸にしていく。また、本論においてプラットフォームとは「営利・非営利問わず、団体によって作られた場」を指す。また、プラットフォームという場によって作られるエコシステムまで含んだ、広い意味でのプラットフォームについて言及する。

第1章 〈一望監視施設(パノプティコン)〉は現代にもあるのか

 1.1 〈一望監視施設(パノプティコン)〉とは

 本研究では、〈一望監視施設(パノプティコン)〉と名付けられた監視モデルは現代でも当てはまるのかという問いについて検証する。同時に、現代の人々が様々なプラットフォームによる監視を受け入れる時と、それを拒む時の条件の違いについて考えていく。それら主張の根拠をしめす前に、いくつか前提となる事柄についてまとめる。

 〈一望監視施設(パノプティコン)〉とは、イギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムが設計した刑務所のことである。その構造は中央に監視塔があり、それを円環状の建物が囲んでいる。監視塔にはいくつもの窓があり、周囲を一望できる。周囲の建物は独房に分けられ、独房内には監視塔向く内側に一つ、その反対側の外側に一つ窓がある。外側からの光で独房内には影ができるので、人物が監視塔からは見えない位置にいたとしても簡単に監視できるという仕組みだ。以下の絵は、J・ベンサムによる〈一望監視施設(パノプティコン)〉の設計図である。


図表1. J・ベンサム作 一望監視施設(パノプティコン)の設計図

 (『監獄の誕生』 ミシェル・フーコー 1975=1977,図録)

 フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、『監獄の誕生』でこの施設のことを詳しく分析し、〈一望監視施設(パノプティコン)〉によって生じる権力構造について考えた。彼は、この施設によって監視されるものは

完全に個人化され、たえず可視的である
(フーコー, 1975=1977,邦訳書,p.202)

といい、従来の監獄にあった騒がしさや、囚人同士の連帯による脱獄の可能性がなくなったと考えた。こうした群衆が解消され、見つめられる孤立性が生まれることによって〈一望監視施設(パノプティコン)〉はより重要な意味合いを持ったという。

それは、

権力者の自動的な作用を確保する可視性への永続的な自覚状態を、
閉じ込められる者に植え付けること
(フーコー, 1975=1977,邦訳書,p.203)

だそうだ。

また、

そうであるためには、囚人が監視者に絶えず見張られるだけで十分すぎるか、それだけではまったく不十分か、なのだ。
まったく不十分というのは、囚人が自分は監視されていると知っていることが肝心だからであり、他方、十分すぎると言ったのは、囚人は現実には監視される必要がないからである。
(フーコー, 1975=1977,邦訳書,p.203)

ともいった。そのためにJ・ベンサムは、権力は可視的で確証されえないものであるべきだと考え、この意味合いをより強くする措置を講じた。それは監視塔に簡単な細工することだ。中央棟の監視部屋の窓によろい戸をつけ、室内を仕切る直角な壁をいくつか設けた。また、その壁によって生まれた区画間の移動は扉でなく、ジグザグな通路にした。その細工によって、少しの物音にも、戸からもれる光にも、揺れ動く影にも「人」を感じるようになるのだ。囚人達には、監視塔に本当に人が「いる」のか「いない」のか、こちらを「凝視している」のか「凝視していない」のかがわからなくなった。

そのことをM・フーコーは

〈一望監視施設(パノプティコン)〉は、見る=見られるという一対の事態を切り離す機械装置であって、その円周状の建物の内部では人は完全に見られるが、決して見るわけにはいかず、中央部の塔のなかからは人はいっさいを見るが、けっして見られはしないのである。
(フーコー, 1975=1977,邦訳書,p.204)

と分析した。
この構造の結果、見られる側の人は常に監視塔からの視線を意識して生活することになる。そのため、囚人たちは自己規律を高めるので、独房には鉄格子も錠前も不要になるのだ。極論を言えば、監視塔に人がいなくても「見られているのかもしれない」と思わせることができていれば、監獄として成立してしまうのである。

 この〈一望監視施設(パノプティコン)〉の仕組みを現代の日本に当てはめた論文はいくつかあるが、メディア学者であるジョン・キムが『逆パノプティコン社会の到来』(2011)で〈完全透明化社会〉という社会の到来を主張している。今までは政府や大企業が国民やユーザーを管理していたが、ジュリアン・アサンジュによって2006年12月に創設されたWikiLeaksを代表とする機密暴露サイトの登場により構図が逆転したという。国同士の外交に関する機密文書や、大企業の不正などは内部告発とハッキングによってWikiLeaksを通じて全世界に発信される。世界的な暴露サイトの創設者のJ・アサンジュは「政府や企業によって行われている非倫理的な行為を暴露する人たちを支援する」(キム,2011,p.26)というミッションを掲げている。J・アサンジュの理念に賛同した人たちは、様々な不正を告発するためにWikiLeaksに集う。そして、サイト運営や世間への影響を考えて、計画的に情報が世界中に発信されている。その効果は凄まじく、2010年4月にYouTubeに投稿された「Collateral Murder(巻き添え殺人)」と名付けられた映像は、米軍ヘリによるバグダット空爆で民間人に死傷者を出したことを暴露し、多くのメディアに取り上げられて世論を動かした。このような事例は、他にも数多くある。このサイトには賛否両論あるものの、いつ不正の事実が世に出るかわからないと焦っている国や企業は多いはずだ。そのことをジョン・キムは〈逆パノプティコン社会〉と称した。WikiLeaksによって不正が広められるかもしれない、いつ誰が告発するかわからないという「見られているのかもしれない」という構造は、〈一望監視施設(パノプティコン)〉そのものだ。これにより、国や企業は健全な運営にシフトしていくだろうとジョン・キムは主張している。

 1.2 本論の主張

 さて、前置きが長くなったが、ここからが本論の主張だ。ジョン・キムが主張する〈逆パノプティコン社会〉は間違っていると考える。確かにWikiLeaksは「見られているのかもしれない」という不安を生み、国や企業の自己規律を高める作用があるだろう。ただ、完璧に構図が入れ替わったわけではなく、互いに監視し合うだけだと考える。インターネットを利用して国や企業を監視しWikiLeaks等を通して暴露するには、まずは自分自身がインターネットを通して誰かに監視されることを承諾しなくてはならない。もちろん、匿名で告発できるから暴露サイトは広まったのだが、それは限りなく匿名に近いだけなのである。場合によっては国を越えて捜査機関が告発者を捜索することもあり、その際に用いられる情報の多くはインターネット関連企業などから提供される。いわば、インターネットという道具を使ってどこかの誰かを監視をする場合、個人を特定される可能性のある情報を差し出すことが義務になっているのだ(もちろん、やろうとおもえば情報を偽装することも可能だが、嘘の情報であっても差し出す必要がある)。その情報は常に監視されているわけではないが、どこかの誰かが正式な手続きで申請し、それが認められるといつでも情報を引き出すことができ、いつ見られるかわからないのだ(国の法律によって手続きは異なるが、アメリカや日本といった先進諸国の多くは捜査令状を出せば閲覧可能)。言い換えると、互いに〈一望監視施設(パノプティコン)〉の監視者になり、被監視者になる関係と言えるだろう。ジョン・キムも例に出しているGoogleやFacebook、Amazonなどのインターネット業界の大企業は、J・ベンサムが発案した〈一望監視施設(パノプティコン)〉より強化された監視構造を構築しており、監視する力は我々より強い。先に挙げた3つを代表するインターネット上でサービスプラットフォームを展開している企業は、サービスで得られたページ閲覧記録や入力記録などを元にユーザーの情報を統合して行動を追跡している。ユーザーがWikiLeaksという監視装置を使い、「見ているぞ!」と脅迫していても、それらを突きつけている背後でGoogleやAmazonはより大きな監視装置を抱えているのだ。

 そのような監視に気づいた時に起こるであろう行動の変化によって現代の〈一望監視施設(パノプティコン)〉はどのように対応していくのか。J・ベンサムやM・フーコーが考えていた理論は、現代の人の考えや行動とインターネット企業に当てはまるのかというところを見ていきたいと考えている

 1.3 本論の展開

 これから次章では現在の監視の状況を確認し、J・ベンサムが考えていた〈一望監視施設(パノプティコン)〉とM・フーコーの解釈を掘り下げ、それらについての先行研究をいくつか取り上げていきたい。また、ジョン・キムの主張には他にAmazonやFacebookのことについても触れられている。軸としてはGoogleを代表するインターネット企業が行う、顧客情報利用の仕組みの分析や問題点のあぶり出しを行っていくが、可能な限り類似の構造を持つプラットフォームを分析していく。もちろんWEB関連にとどまらず、リアル空間でのマーケティング戦略としての〈一望監視施設(パノプティコン)〉もいくつか検証したい。ここ最近聞かれるようになった「ビックデータ」といった類いもプラットフォームによる監視の一部として作用している。生活者の購買行動や趣味志向といったデータを集め、セールスに結びつけるうごきが活発化している。たとえば、カルチュア・コンビニエンス・クラブが発案したTポイントカードが有名だ。統一のポイントカードによって顧客のデータを管理・共有し、他業種の連携サービスとの相乗効果を狙っている。それらの分析によって、古典的な〈一望監視施設(パノプティコン)〉が現代の社会に本当にあてはまる理論なのかを考えたい。そして、少し前のSF作品などでは国家やコンピューター、ロボットに人々の一挙手一投足が監視される未来が多く描かれた。それらは当時の人たちが感じていた予兆から未来を想定し、行き過ぎた未来への警鐘といった側面があったと思う。しかし、今の状況はまさにSFの通りになっているとは考えられないだろうか。そのような視点からも検証し、様々な文献や資料にあたっていきたい。

 それら一連の研究を通して、「プラットフォーム企業に見られていることに気づいていない多くの囚人たち」がどのように変化していくのか。オリジナルな考えとともに、今後の広告の姿やマーケティングのあり方を提示し、その他の分析も合わせた結論を最後に示しながら、今後の課題を挙げていきたい。

第2章 進んで監視される利用者と監視を拒む消費者


 2.1 現在の監視

 前章でも記したとおり、国際的に展開しているプラットフォーム企業によって我々はそのプラットフォーム内での行動を監視されている。

 Googleを例に出してみると、検索サービスを代表とする様々なサービスからユーザーの情報を抽出しているのだ。現在、Googleが提供しているサービスでは、検索や動画投稿、地図などのサービスにおいて業界トップレベルのシェアを誇っている。その中でも、Google=検索と考えられているように、検索エンジンはWEBの入り口としてたくさんのキーワードが入力されている。そのことによって、WEB上での行動のほとんどがGoogleに「見られている」のだ。言わば、検索エンジンを軸とした様々なサービスにおいて〈一望監視施設(パノプティコン)〉の監視塔が乱立されている状況である。しかも、それら同士が綿密に連携されていて互いに監視の穴を補っている。そして、その監視で得た情報を、彼らの本業である広告に活用していくのだ。「ニキビ」と検索した人には良い皮膚科や肌に優しい洗顔料の広告を。環境破壊についてのニュースサイトやブログ記事を読んでいるユーザーには、自然保護団体の募金募集の広告を。昔の友人にGmailで転職の相談をしている人には転職サイトの広告を表示までする。いわゆるターゲティング広告という技術で、利用者のデータを活用し、そのユーザーに最適な広告を効果的な場所に出す技術である(Google公式ヘルプより)。はじめはみんな監視されていると気付けないが、Googleの提供するサービスというプラットフォームで活動すればするほど監視に目に気がつきはじめるのだ。広告という窓を通して、Googleの監視塔を発見するのである。しかも、この「広告」というのはGoogleのサービス上でなくても登場する。いま、GoogleはWEB広告のシステムをもサービスとして提供している。大手企業サイトから、主婦が更新しているブログでもGoogle経由の広告は現れる。そして、その広告からもユーザーの情報が収集され、より強固な監視網を作り上げていく。

 ただ、この〈一望監視施設(パノプティコン)〉はまだ不完全なのだ。M・フーコーが分析したように、「見られているのかもしれない」という心理的な作用が生まれると、自己規律によって行動が変化するはずなのだ。しかし、Googleのプラットフォームを利用する多くのユーザーはまだその監視の目を意識しきれていない。気づいている人もいるが、それがマジョリティではないだろう。その「Googleに見られていることに気づいていない多くの囚人たち」が監視の目を意識し出すとどうなるのか。現に監視を嫌がっているユーザーは広告に自分のデータを使えないようにしている。それは抜け道ではなく、Googleの公式な対応なのだ。もっと行動的な人は、Googleのサービスから逃れだすだろう。

 また、大手通販サイトのAmazonではユーザーの購買記録に基づいて、効果的な「おすすめ商品」のリストアップを行っている。ECサイト開発やネット広告代行を行うWEB制作会社の株式会社LIGによると、Amazonのおすすめ商品の仕組みは、はじめに何の商品を買ったか記録する。その後、同じ商品を買った購買者の類似度を比較してグループ化し、同じグループ内でよく購入されているが、そのユーザがまだ購入していない商品をおすすめとして表示する。といったスキームを使って全ユーザーにより購買につながりそうな情報を提供していると説明されている(株式会社LIG ブログページより)。Amazonのおすすめ商品の表示は「見られている」という監視の目に気づく窓としては見つけやすい形で現れる。Googleのそれと比べると監視の目を意識しやすく、本名や住所を登録し商品を購入するというサービスの性質上、より個人の情報や趣味嗜好を表す情報なので監視を嫌がる人は多いはずだ。しかし、マイページに表示するおすすめ商品の判別に使用する際の「自分の購入履歴」の編集は可能であるが、自分が何を購入したのかという情報を他のユーザーのおすすめ商品に利用させないということは今のところできないようだ(もちろん個人を特定する情報は含まれてなく、在庫管理などの商品情報の一部なのでこちらからでは左右できそうにない部分ではある)。

 この通り、今挙げた2社のサービスで、形は異なるが我々のプラットフォーム上での行動を監視・記録し、各々の事業に利用している。また、大きく先駆者としてGoogleやAmazonが目立っているだけで、その他のインターネット上のサービスは似た構造を持っているのだ。そのような監視を嫌がる人は、監視の目から逃れたくても逃げ場のない状態に我々は陥っている。しかし、現代で生きて行くにはインターネットは欠かすことのできないインフラと化しているので、どこに行っても監視されているインターネットの構造に気づいたときに、真の自己規律が生まれるのだと考える。

 2.2 揺れ動くプライバシー観

 このようなプラットフォーム手動の監視は他のウェブサイトでも行われているが、それらとは少し性質が異なる監視も存在する。世の中で流行しているSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)やBlogを利用する際は、自分で公開する情報を選別し公に晒し、ユーザーが進んで情報を提供し、監視下に自ら入っていると言えるだろう。

 自ら監視下に入り情報を提供し、それが前出のGoogleなどのように利用されている例をFacebookで説明する。世界中に10億人を超えるアクティブユーザーがあるFacebookは、2013年初頭にグラフ検索という新たな検索システムを発表した(日本ではまだ利用できない)。従来のオープングラフと違い、同じワードで検索したとしても検索した人によって結果が変わる仕組みだ。たとえば「同じ趣味の人」と検索すれば、検索者が登録している趣味と同じ趣味を持つ人や類似する趣味や興味の組み合わせをもつユーザーをリストアップする(Facebook 公式ページより)。

 この場合、利用される情報の全ては、ユーザーが自主的に提供しているものだ。そして、全体に公開している情報を使って検索結果として利用している。Facebook上にアップロードする個人の経歴や書き込み、写真や位置情報などは自分の個人アカウントに紐付けされて人に見られることを前提としている。よって、Googleなどの監視とは違い、アップロードの前に一定の自己審査を行ったコントロールされた情報といえる。これは、「常に誰かに見られるかもしれない」という認識が生む自己規律とも言えるだろう。もちろん、ページ閲覧履歴や非公開情報としてアップロードしている情報を基にしてFacebook社から広告を表示されるときもあるが、それもGoogle等と比べれば比較的簡単にオプトアウトでき、広告が現れる範囲も小規模である。

 前出のGoogleやAmazonの監視とFacebookの監視で違う部分はどこなのか。Google検索等で採取される情報とFacebookで採取される情報の違いは何なのか。それを考えたときに、最初に気づく差異は「コントロールされた情報かどうか」という点だろう。もちろんGoogleとAmazonでも差し出す情報をコントロールすることは可能だが、Facebookの場合と比べると利用する事前段階で情報管理を意識しているか、意識していないかの差があるように思われる。不特定多数に進んで公開し交流することを目的にしているFacebookと違い、GoogleやAmazonは日常生活と根深い部分まで関わるサービスが多く、「情報をコントロールする=利用しない」といった選択に近くなるのだ。

 法哲学者の仲正昌樹がプライバシーについて考えた『「プライバシー」の哲学』(2007)では

「プライバシー」という言葉の意味が、「私生活における社会的に公表されるのが恥ずかしい秘密」というかなり特殊な意味での個人情報から、住所、電話番号、メルアドのようなものまで含む“個人についての情報”一般へと拡大しつつあるということは、「私に関する個人情報が、私の知らないところで他人に利用されているのは我慢ならない」と感じる人が増えていることを指していると言えよう。(中略)このことは法的な権利としての「プライバシー権」の意味が、「一人で放ってもらう権利」から「自己情報コントロール権」へと次第にシフトしていることに対応している
(仲正,2007,p.16-17)

という風にプライバシーという言葉の概念の変化が考察されている。日本において「プライバシー権」が一般的に広まったきっかけは、1960年代に三島由紀夫の小説『宴のあと』(1960)をめぐって行われた訴訟や判決を巡る一連の騒動であるとされているが(仲正,2007,p90)、その当時の考え方と比べるとより現在のプライバシー権のほうが「コントロール可能かどうか」という点に比重が置かれていると考えられる。その視点から考え直すと、やはりGoogleやAmazonといった形での監視では、自分がコントロールできない(コントロールをすれば、サービスを受けることが困難になる)情報まで収集されている点に違和感を感じるのだ。その分、Facebookの場合だと、たとえば住所は書き込まず、住所を推定されるような情報もアップロードしなければ一応はコントロールできる(書き込んでいるデバイスが、どこの基地局から電波を送受信しているかという情報は送られるが)。しかし、自宅付近の地図を見たいときにGoogleMapを利用することは生活範囲の特定につながる。

また、安岡寛道 他 の『ビッグデータ時代のライフログ』(2012)によれば

 プライバシーはまず、十九世紀末の米国において、大衆誌による著名人のゴシップ報道等が問題になったことから、『ひとりで放っておいてもらう権利(the right to be let alone)』として主張された。このようなプライバシー概念が誕生したのは、撮影・印刷技術の発達によって、より一般的な形での秘密の保護が求められたためである(第一期のプライバシー)。

 その後、二〇世紀半ばには、情報技術の発達に対する人々の不安感・危惧感を踏まえて、「自己に関する情報をコントロールする権利(自己情報コントロール権)」として、プライバシーが管理されるようになった(第二期のプライバシー)。この権利は、他人が保有する自己情報の開示・訂正・削除、さらには第三者への提供の禁止を積極的に求めることを内容としている。このような「自己情報コントロール権」が認められた背景には、行政活動や経済活動に際して提供される情報(その意味では「秘密」ではない)が保存され、流通することが懸念されたためである。

 さらに最近では、ICTの高度化により、個人の情報がこれまで以上に大規模かつ容易に収集・検索・結合され、しかも広汎な人々に利用されるおそれが高まった。こうした状況も踏まえて、従来の「自己情報コントロール権」を超えて、情報システムの適正なコントロールを求める第三期プライバシー概念や、プライバシー権を「法と経済学」の観点から新たに構成する学説も、米国では有力化している。
(安岡寛道 他,2012,p.62-63)

図表2 プライバシー権の変遷

といったことが書かれている。これによると、「プライバシー」という概念は時代や情報伝達の技術の変化によって意味を変えている。ということは、現状の利用者の反応等を分析すれば、今後生まれる新たなプライバシー概念が予想できるのではないか。ただ、今まで例に挙げてきた監視のプラットフォーム企業は全て米国発の企業であり、企業側の対応も世界規模なものとなるので国内からでは簡単に予見することができない。文化圏や法制度も異なるので、日本の感覚をそれらの企業に当てはめるのは何とも言えないズレが生じると考える。よって、一旦国内の事情に目を向けたい。米国のそれらと同じような監視体制や、〈一望監視施設(パノプティコン)〉の条件を持つようなサービスを展開している日本国内の企業はどうなのだろうか。

 2.3 国内におけるライフログを利用したマーケティング戦略

 これまでGoogle、Amazon、Facebookといったアメリカ発のネット企業における監視の仕組みを考えてきた。この節では、日本企業におけるライフログを利用した事業やビッグデータ関連の事例を考えていく。しかし、上記の3事例のような大規模に展開しているインターネット企業が日本国内には少なく同条件の比較ではないが、Yahoo! Japan、TSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(以下CCC)、JR東日本とNTT docomoの4社についての事例とそれに対する利用者の反応をまとめていきたい。

 まず、Yahoo! Japanについて説明する。Yahoo! Japanは月間500億PV、6000万人を誇る日本最大のポータルサイトである(大元隆志,2013,p.89)。米国のYahoo!の日本語版で、ソフトバンクグループのヤフー株式会社が運営している。検索を軸に200ほどのサービスを展開しているので、日本版のGoogleとも言えるだろう。Yahoo! JapanもGoogleと同じくターゲティング広告を活用している。Yahoo! Japanの場合は、

ヤフージャパンユーザーの過去28日間の検索履歴、閲覧履歴、広告クリック履歴をビッグデータに蓄積し、広告出稿側の興味・関心の属性情報を持ったユーザーに配信する仕組みとなっています
(大元隆志,2013,p.89)

といった仕組みで広告を表示している。また、ソフトバンクグループということもあり、携帯端末から接続された場合はキャリア情報を判別し、auやNTT docomoユーザーにSoftBankモバイルへの乗り換えを促す広告やクーポンを表示することもある(大元隆志,2013,p.89,90)。事業や仕組みを考えると、条件はほとんどGoogleと同じと考えてもよさそうだ。

 つぎに、CCCについて説明する。CCCはレンタルサービスのTSUTAYA事業、EC事業、Tポイント事業を統括する事業持ち株会社である。CCCはTポイント事業を軸にしてビッグデータを活用し、プラットフォームを築いて監視の仕組みを構築している。具体的には、日本全国で提携している166のTポイント提携先(2013年9月30日現在)でデータを収集し、それを活用して販促や広告出稿に役立てている(166の全提携先が全ての顧客データを相互利用しているわけではなく、それぞれの事業内容や情報保護の方針に沿っている)。その提携先には幅があり、飲食店から新聞社、銀行や旅行代理店まで様々ある(カルチュア・コンビニエンス・クラブ T-SITEより)。その中でも、賛否両論が起こっている提携先が2つあり、一つは前出のYahoo! Japanとの提携である。2013年7月1日に、今までのYahoo!ポイントがTポイントに、T-IDはYahoo! JAPAN IDへと統合されることになった。現在はポイントやIDの統合だけを優先して行われているようで、情報の利用はしていないと明言し、Yahoo! JAPAN執行役員セントラルサービスカンパニー長の谷田智昭氏はこのように語っている。

まずはポイント・IDの統合に注力するということで、情報の連携について今はまだ検討する前の段階。これからポイントが統合され、お客様に利用されていく中で、それらでたまっていく情報をお互いに利用できるのかということを検討していくステップを踏む。検討する上でも、お客様が感じる『気持ち悪さ』を無くすことは一番重要だと思っており、事業者視点ではなく、ユーザーファースト、ユーザー目線で考えていきたい
(INTERNET Watch 2013年7月2日記事より)

 Yahoo! Japanにしても、Tポイントユーザーにしても、これまで利用していたポイントやIDから一律して統合されることになったので様々な否定的な意見もあり、スムーズに移行したとは思えない。やはり、自分を特定できるような情報を、自分が許していない企業や事業に利用されることに抵抗がある人は多い。しかし、まだ統合されて時間が経っておらず、まだまだ様子を見る必要がありそうだ。

 もう一つ、話題になっている提携先がある。2013年4月1日にオープンした佐賀県武雄市の武雄市図書館だ。2012年5月4日に佐賀県武雄市は5年間の委託契約をCCCと結び、指定管理者にCCCを任命した。このことを発表した時も、インターネットを中心に批判が飛び交った。公営の図書館を民間事業者が運営することや、図書館利用のさいにTカードを利用することに対して個人情報流出を心配する声が、団体や個人から多く寄せられた(大元隆志,2013,p174,p.178)。

 この2つの事例について共通しているのは、やはり自分の情報をコントロールできず、知らないところで勝手に利用される可能性があること。また、その事実が見えないという部分に違和感を感じているようだ。Yahoo! JAPANの谷田氏も話しているとおり「気持ち悪さ」という点は、どの事例でも関わってくるキーワードになりそうだ。その気持ち悪さの正体については、次章で解明していきたい。

 そして、さいごにJR東日本とNTT docomoの事例について。この両社の事例は似ている部分があり、共に「自社が保有している顧客データを、ビッグデータ解析に利用する」といった具合だ。個々に見ていくと、JR東日本は総発行枚数約4300万枚の交通系ICカード「Suica(スイカ)」の乗降履歴などを、2013年7月1日から日立製作所へ販売していたということを同年7月25日に公表した(朝日新聞DIGITAL2013年7月26日付の記事より)。この事例で問題になったのは、利用者に事前説明もないまま販売していたところにある。2013年6月27日には日立製作所のニュースリリースとして、このことが発表されていたがJR東日本からの説明はなく、販売の承諾等を利用者から取ることはなかった。また、個人を特定できないようにする情報処理を当然すべきであるが、総務省がパーソナルデータの利用規程として求めている「適切な匿名化措置」が施されていなかった(ITpro 2013年7月24日付記事より)。その後、データの販売利用を希望しない利用者から申請があれば、その方のデータは除外すると発表し、7月26日から31日までの6日間で計8823件もの申請があった(朝日新聞DIGITAL2013年8月1日付の記事より)。そして、最終的には9月1日までに除外希望者は約3万9千人に上った。それを受けて、9月3日に専門家らによる有識者会議を社内で設け、データの販売や周知のあり方を再検討すると発表した。そして、その結論が出るまでデータ販売を一時凍結するという結果に落ち着いた(朝日新聞DIGITAL2013年9月3日付の記事より)。この騒動についてのTwitter等のSNS上でも様々な意見が語られ、インターネットでの声をまとめた以下のような記事が見つかった。

これに対しネット上では、「行動が監視されてる感じがちょっと嫌」「気持ち悪い。何だか嫌だ」と不快感を覚える人の声が多数。また、Suicaの履歴からはその駅周辺の「居住者」「訪問者」といったデータも詳細に分析可能で、「住所氏名がないだけで、立派な個人情報ではないか?」といった声や、「私は自分のSuica利用履歴を、JRが第三者に開示することに同意した覚えはない」と規約の不明瞭さを指摘するものなど、批判・疑問の声が多くあがっています。
(ねとらぼ 2013年7月1日付記事より)

このように、ねとらぼの記事でも「気持ち悪い」といった言葉が出てきた。また、主にtwitterのつぶやきをまとめたNAVERまとめでも、Suicaの乗降履歴などを販売していると判明した当初からのつぶやきがまとめられ「気持ち悪い」といった声や、説明を求める声、

セキュリティ研究者で産業技術総合研究所情報セキュリティ研究センター主任研究員の高木浩光氏による解説なども寄せられた(NAVERまとめ 2013年7月3日更新の記事より)。このような利用者からの声が、データ販売の一時凍結に繋がったのであろう。

 NTT docomoでは、2013年9月6日の「モバイル空間統計の実用化および携帯電話ネットワークの運用データ利用について」というプレスリリースで、顧客データを2013年10月からビッグデータ解析に利用すると発表した。どういったデータを利用するかというと、

「モバイル空間統計」は、携帯電話サービスをお客様に提供する過程で必要となる運用データの一部(携帯電話の位置データおよびお客様の年齢、性別、住所)に非識別化処理、集計処理、秘匿処理をドコモ内部で実行し作成する、お客様のプライバシー保護に配慮した統計情報
(NTTdocomo公式ページ2013年9月6日発表9月10日更新のプレスリリースより)

というように明記されている。ドコモのグループ会社の株式会社ドコモ・インサイトマーケティングでそれらの情報を解析し、各種調査依頼などに基づいてそれらの情報を提供する。もちろん、この事例でも、利用者が希望すればモバイル空間統計から除外する利用停止手続を行うことも可能だ。JR東日本の事例もあり、NTTdocomoでは事前に周知して、利用停止手続を行う時間も設けられていた。また、JR東日本の場合と違い、匿名化処理も施された後にグループ会社内で解析等が行われることもあり、JR東日本のそれと比べるとそこまで大きな騒ぎにならなかった。しかし、この事例もまだ運用開始されて期間が経っていないのでどのような結果になるかまだ予想がつかない。

 2.4  ポスト・〈一望監視施設(パノプティコン)〉

 これまでの事例や考察を総括すると、自分が進んで情報を公開し「利用者」というスタンスで扱われる監視やライフログの活用に関しては歓迎や容認する姿勢が見られることが分かった。それとは逆に、自分がコントロールや関与できない次元で企業側などから「消費者」や「ターゲット」というスタンスで扱われ、商用利用される監視やライフログの活用に関しては、抗議やオプトアウト、ひいてはサービスの利用停止やイメージダウンにまで繋がるおそれがありそうだ。

 さて、「現代の人々が様々なプラットフォームによる〈一望監視施設(パノプティコン)〉と名付けられた監視システムを受け入れる時と、それを拒む時の条件の違いについて」という問いについては、ある程度の道筋が見えてきたが、もう一つの問いである「〈一望監視施設(パノプティコン)〉モデルは現代でも通用するのか」という主張を検討する。今回事例として扱ったものの多くは、「常に見られているかもしれない」といった感情が生まれる仕組みが内在されていた。その点は〈一望監視施設(パノプティコン)〉の肝心な部分と共通するだろう。ただ、第一章で引用したジョン・キムの主張のように「逆一望監視施設(パノプティコン)」といった特徴もあり、二つ合わさり相互監視となる要素も内在している。また、いくつかの監視塔が同時に連携を取りながら監視している複雑性も持つようになった。それらのことを加味し、監視システムを受け入れる時と、それを拒む時が存在することを考えると、〈一望監視施設(パノプティコン)〉を基にした新たな監視モデルを提言できそうだ。〈一望監視施設(パノプティコン)〉を超えた監視モデル、ポスト・パノプティコン時代を示すモデルについて、次章で考える。

第3章 未来の監視


 3.1 被監視者のモデル分け

 まず、新たな監視モデルについてだが、被監視者が積極的に監視に協力する場合や、監視塔(プラットフォーム)同士の連携が密になっていくと監視を拒む場合があることを整理しておきたい。これは、監視塔の種類によって変わるものではなく、被監視者の考え方や姿勢によって変わる。先に挙げたGoogleやAmazon、Yahoo!JAPAN、CCCのTポイントなどにおいても、始めから協力的に情報を提供し、「利用者」のスタンスで関わるものもいれば、FacebookやTwitterなどのSNSでも情報を利用されることに違和感を感じ、監視している企業から「消費者」と見られることを拒絶する者もいるはずだ。よって、監視モデルの構築以前に、被監視者のモデル分けを行う必要がありそうだ。それは前章でもまとめたように、以下の表のように分けられる。

図表3 被監視者の監視に対する姿勢のモデル分け

 また、これをもっと理解するには日本国内における「プライバシー権」に対する考え方を調べる必要がある。

 3.2 日本の「プライバシー権」

 日本におけるプライバシー権の考え方の起源は前章にも挙げた三島由紀夫の小説に関する訴訟によるものだが、いまの日本人は監視されることをどのように考えているのだろうか。そのことについて調べた調査が安岡寛道 他 による『ビッグデータ時代のライフログ』(2012)の第4章(p.114-133)内で行われている。全てを引用するには長すぎるので調査結果だけを引用すると以下のようになる。


図表4−2 ライフログの提供に関して抵抗を感じる点(上位5項目)


図表4−3 ライフログを提供するにあたり最低限必要となる条件
(上位5項目)

 以上の結果を見ると、現代の日本でのライフログ提供へ対する考えの半数は否定的だ。そして抵抗を感じる理由と70%以上の人が答えた2つは、共に安全性への懸念だ。何の用途で使用するかを明記し、ハッキングやウイルス対策を万全にすることが求められている。また、3位以降の理由にはインセンティブが有効のようだ。提供データの種別にもよるのだが、たとえば移動履歴・医療情報履歴は金銭的インセンティブとして1000円をもらえれば約50%の人が提供すると答え、移動履歴・商品購買履歴・健康情報履歴は被金銭的インセンティブとしてサービスが利用できると提供するというアンケート回答があった(安岡寛道 他 2012 p.114-126)。

 そしてこの調査の後に、もうひとつ実証調査が行われた。WEBアンケート結果だけでは本当に必要な金銭的インセンティブの値ではない結果が出ることを考慮し、実際にライフログを提供してもらいそれに見合った金銭的インセンティブを答えてもらった。その結果、実際に提供をお願いする実証調査のほうが同条件のインセンティブでも提供率が高かった(安岡寛道 他 2012 p.126-130)。その理由として考えられるのは、必要以上にライフログの提供に不安感を感じているのだろう。逆に言うと、頭では危険性を十分に理解していてもインセンティブを目の前にすると基準が緩まるのかもしれない。そう考えると、今起こっているプライバシーの問題やデータ利用に対する「気持ち悪い」という反応の理由や解決策に多くの示唆がある。

 なぜここまで情報提供のハードルが高いのだろうか。前章の事例などを踏まえても理由が明確ではない「気持ち悪い」がネックのようだ。この調査でも、必要以上に情報の保護に気を遣っているように思われる。前章でも引用した(仲正昌樹,2007)によると、2003年に成立し2005年に施行された個人情報の保護に関する法律(略称は個人情報保護法)が日本のプライバシー権を前進させたとある。この法律は今ではおなじみだが、施行前後では世の中は大きく変わった。成立の経緯も複雑で、通信傍受法や住民基本台帳法、テロ対策特別措置法といった法案との関係もあって個人情報保護法はプライバシー権の問題から左右のイデオロギー対決にまで発展した。その効果もあってか、審議中から注目を浴び、施行される頃には個人情報が過保護気味になっていた。必要以上に個人情報を気遣うという姿勢がこの頃に作られ、先ほどの調査でも現れたような結果を生み、ひいては「気持ち悪い」といった感情を生んでいるとも考えられるのではないか。生活レベルでも、学校の連絡網が廃止されたり、住所を書き込んだりする際には個人情報に関する同意書へのサインを求められるようになったことにより、それらの管理に対する意識が育ったと考えられる。企業や役所には、個人情報保護法施行以後に様々な対応が求められ、必要以上に法律を過大解釈して自主的に保護レベルを引き上げていることもある。しかし、そこまで法の中身も知らずに生活している者からすると、その過保護さが当たり前になる。何かを利用するたびに同意を求められることで、必要以上に情報流出を怖がったりしているのではないだろうか。

 3.3 米国のオプトアウト、EUのオプトイン

 では、監視システムを構築しているAmazonやGoogle、Facebookが生まれたアメリカでは、個人情報の利用に対してどのような立場が主流なのか。もちろんアメリカでも監視について野放しなわけではなく、日本と同じようにプライバシー対策の動きがある。その中でもインターネット上のプライバシー問題などについてアメリカ政府に提言する非営利団体「CDT(Center for Democracy and Technology)」が2007年に「Do Not Track」という提言をした。当初は何も動くはなかったが、2010年にFTC(米国連邦取引委員会)が出したプライバシー問題に対する新しい枠組みとして出されたレポートに取り上げられて業界が対応をはじめた。これは読んで字のごとく、WEB上の行動を監視してそこから導き出されたデータで広告を提供するターゲティング広告を停止できる仕組みの提言だ。この呼びかけに業界は対応し、主要なブラウザでトラッキングをオプトアウトする仕組みが実装された。しかし、このFTCによる提言は自主規制を促す程度で法的強制力はなかった。「Do Not Track」を義務づける法案も議会に提出されたが、業界に反対されなかなか前進することはなかった。しかし、2012年にオバマ政権が「A Consumer Privacy Bill of Rights(消費者プライバシー権利章典)」と発表し、それと同時にGoogleやYahoo!、Microsoftなど400社からなる業界団体Digital Advertising Allianceと「Do Not Track」の対応を約束づけたことで大きくプライバシーに関する対策は前進した。この消費者プライバシー権利章典とは、アメリカに以前からあった分野ごとに対応するプライバシー保護法だけでなく、包括的なプライバシー法が必要だという声によって作られた。これには大きく7つの消費者の権利が定義されている。一つずつ挙げると以下のようになっている。

①個人ごとのコントロール
②透明性
③コンテキスト(背景)の尊重
④セキュリティ
⑤アクセスと正確性
⑥対象を絞った収集
⑦説明責任

(城田真琴,2012 p.193-200)


図表5 米国が2012年2月に大統領名で打ち出した
「消費者プライバシー権利章典」(A Consumer Privacy Bill of Rights)
の草案の骨子

これらの権利を踏まえてオバマ政権はプライバシーの保護を目指す。この中でも特に気をつけるべき点はコンテキストの尊重だと言われている。収集した目的が変わった場合はそのことをユーザーに伝えるべきであるし、無断で当初の目的とは違った利用をすべきではない。

 このアメリカにおけるオプトアウト方式と違う形でプライバシーを保護しているのがEUのオプトイン方式だ。簡単に言うと、事前に確認を取り、許可を得られない限りはデータを収集できないのだ。嫌だと思った人が自主的に手続きをしなければいけないオプトアウト方式より良心的でユーザー目線の対応だろう。この方式はEUの電子プライバシー保護指令(E-Privacy Directive)によって規定されている。この指令も年代によって改正されているのだが、この大元の「データ保護指令」はインターネット時代以前の1995年に制定されている。現在、改訂作業が行われているが、その中でも注目すべき点を挙げる。

①「忘れられる権利」の導入
②ユーザーの明確な同意なしに、個人のデータを処理してはならない
③「データポータビリティの権利」の制定
④説明責任の増大

(城田真琴,2012 p.201-203)

この草案はEUで承認された後に発令されるが、EU圏内で企業活動する外資系企業も対象になるため、GoogleやFacebookといった企業のサービスの足かせになる。そのため、今盛んにロビー活動が行われているようだ。

 これらの諸外国のプライバシー権に対する動きなどを見ると、日本も見習う点が多くある。まず、このような改正や新法案の動きが遅いという点は、アメリカやEUを見習って欲しい。特にアメリカの消費者プライバシー権利章典の③コンテキスト(背景)の尊重や、EUのデータ保護指令改正草案の①「忘れられる権利」の導入などは、大いに参考にすべきだろう。コンテキストの尊重という姿勢があれば、JR東日本の事例のようなことは起こらなかっただろうし、忘れられる権利があれば若い頃にSNSで書いてしまった失敗を引き金に、現職を首になるかドキドキする心配もなくなる。これらのことを注意深く観察し、オプトインやオプトアウトを問わず消費者の利益になるプライバシー保護法を早急に作るべきだ。また、これらの考えを用いた訴訟が起きないかどうかも注視すべきだろう。

 3.4 「気持ち悪さ」という理由からの拒絶

 欧米諸国のプライバシー保護法を日本風にローカライズ使用とする場合、やはり前章で出てきたキーワードの「気持ち悪さ」についてもう少し掘り下げる必要がある。「気持ち悪さ」という感情や言葉が表す本質は一体なんなのであろうか。それを紐解くには、もう一度プライバシーについて考える必要がありそうだ。前章でも引用したように第三期のプライバシー権として確立されていない権利が侵害されているからだと考えられる。

さらに最近では、ICTの高度化により、個人の情報がこれまで以上に大規模かつ容易に収集・検索・結合され、しかも広汎な人々に利用されるおそれが高まった。こうした状況も踏まえて、従来の「自己情報コントロール権」を超えて、情報システムの適正なコントロールを求める第三期プライバシー概念や、プライバシー権を「法と経済学」の観点から新たに構成する学説も、米国では有力化している。
(安岡寛道 他,2012,p.63)

 恐らく、ユーザーの中で情報提供をする価値があると感じたり、その必要性を受け入れていたり、インセンティブに納得いっていると「気持ち悪い」と思う余地もなく監視を受け入れるのだろう。そうすると、「気持ち悪い」と感じる条件はもう解明されたと等しい。今まで見てきた事例や、日本で行われたアンケート調査と実証調査、プライバシー保護の法律などを見返しても「気持ち悪い」という言葉が使用されているときは特にユーザーをないがしろにしてデータ収集や利用を行っているのだ。実際は配慮をしていたとしても、それは全く不十分といえるのだろう。従来の「自己情報コントロール権」を超えたプライバシー観を持っているユーザーに対して、情報の取り扱いについて不透明なまま、オプトイン方式でもなければオプトアウトの方法も満足に説明せず、コンテキストを尊重しない形で事業を拡大したり内容を変えたりし、場合によっては第三者に情報を提供しているからだ。また、酷い事例や対応を知識として持っている心配性なユーザーは、その監視者がどうであれ「あの酷い状況に陥る可能性がある」と思わされるだけで「気持ち悪い」と感じるのだろう。いくら丁寧に説明されても、オプトイン方式で事前認証を求められても、そのような考えのユーザーまでも保護する法律が施行され、最悪な場合でも裁判で勝てるといったようなことが言い切れない限り気持ち悪さは付いてくる。それはさきほども例に出した個人情報保護法にまつわる様々な運動や流れを発端にした個人情報過保護が引き金にしているのかもしれない。この過保護も、業界団体などが決めたガイドラインによって行われることもあり、どういった基準で保護されることになったのかといった説明がないのも問題だろう。ただでさえ、個人情報保護法の範囲も分かっていないユーザーがここの業界団体のガイドラインなど調べることは少ないはずだ。するとこう思うのだろう。「全く知らないところで、一切知らないルールに基づいて、私の情報が管理・利用されている。その事実も今まで知らなかったし、どうなるのかもわからない」と。このような気持ちや考えをひっくるめて「気持ち悪い」という言葉になっているのだ。

 3.5 因果思考から相関思考への転換

 また、気持ち悪さを紐解くもうひとつの視点として、思考の転換ができていないことも考えられる。我々人間がなにかを理解しようとする時に、大抵目の前の結果が引き起こされた原因を探りたがる。物事には必ず因果関係があると考えがちなのだ。〇〇だから、△△によってなどと理由を付けて物事を考える。”好きだから”選択したと考え、”おいしいから”食べたと思う。”嫌いだから”無視をするし、”苦手だから”逃げ出したと思う。

 しかし、ビッグデータなどを使った商品レコメンドやターゲティング広告の場合、今まで蓄積したユーザー個人のデータと他のユーザーから得たデータを分析したものを根拠にしている。これらは、個人の因果にスポットを当てているのでなく、あるデータとあるデータが相関関係にあるという一点で成り立っているのだ。なので、例えばAmazonがAという書籍をおすすめした場合、そのテーマや筆者が好きだからすすめるのでなく、たまたま近くに住む多くの20代の男性が買っているからといった理由ですすめることがある。その時点のAmazonには「なぜある地区に住む20代の男性」がAという本を買うのかという理由には興味も無いし、理由を知っているわけでもない。ただ、データを分析した結果そういうおすすめになったのだ。そこで働いているアルゴリズムが趣味志向まで理解しているわけではない。

 このことを冷静に考えれば理解できるし、仕組みを知っていれば特に何も感じないだろう。しかし、因果思考で考える癖が染み付いていると「なぜこの本をレコメンドされたのか」という風に考えてしまう。そうすると、今までそのAmazonで買ったことも検索したことも無いが大好きな作品シリーズをお勧めされると「なぜ知っているのか」と感じるだろうし、全く興味がない商品であれば「こんなものが好きだと思われているのか」と落胆するかもしれない。だが、それは因果がある提案ではなく、たまたま相関関係であっただけなのだ。個人の趣味志向まで筒抜けということではないし、洞察が乏しいわけでもない。

 このような、考え方と仕組みのギャップも気持ち悪さの一因ではないか。先の気持ち悪いの考察はまだ見ぬ不安という側面だが、この気持ち悪いの考察はなにかしらの結果を見て感じる後発的なものだ。どちらか一つだけというわけではなく、両方関わっていることもあるだろう。

 3.6  data is the new oil の時代

 ここまで色々な事例やデータ、文献をみてきたが少し気になったことがある。個人情報と言われるデータを始めに打ち込んだり登録したりするは我々利用者なのである。なにもFacebookのマーク・ザッカーバーグがアカウントを作ることを強要してくるわけではないし、Googleで検索する言葉は全て自分の好みにすべきというわけではない。こんなことを書くと「そんなことは分かっている。その次の段階の話をしている」といった指摘もされそうだが、個人情報を提供することで得られるメリットと、提供することによって付随するデメリットはトレード・オフな関係のことが多い。正しい住所を書かなければTSUTAYAはレンタル機能の付いたTカードを発行してくれないし、Facebookに偽名で登録していると誰も見つけてはくれない。自分を信頼してもらうという目的で可能な限り多くの情報をヤフオクで取引するときは教えるし、本当に学生だということを信じてもらうために学生証を提示してSuicaを持つ。選びきれないほど在庫を誇るAmazonでレコメンド機能を使わずに運命的な出会いをするのも厳しい(いつも欲しいモノが自覚できているとは限らないから)。

 それらを提供しなければ利用できないような構造がいけないと批判する人もいるだろうが、これらの監視をする企業はその多くが営利目的で事業を行っている。慈善事業でもない限り、彼らはより利益を得られる形でサービスを設計するものだ。それよりも、ここ最近急にコンテキストを無視してまで個人情報を集めて利用しようとしていることに注目すべきだ。その背景には、今までは個人の確認程度にしか使われていなかったデータも、他のデータと組み合わせることで価値を持ったり、今までだと処理できなかったデータを簡単に処理できるようなったり、データを買い取る業者が現れたことが関係している。価値がないと思われていたモノが、新たな技術によってとても価値のあるものに生まれ変わってしまったのだ。まさに、データは21世紀の石油とかしている。私たちは情報提供料として受け取るべきインセンティブを横取りされているのだ。これは、「気持ち悪い」と感じて拒絶するプライバシーの考え方とはまた異なるプライバシー権だ。自分のデータをコントロールすることがプライバシー権だとするのならば、一番高く買い取ってくれる企業に提供するといったことまで首を突っ込むこともできるはずだ。今までとはまた違った角度でプライバシーを侵害してくるのならば、私たちも違った角度で権利を主張することもできるだろう。少し話は逸れたが、これも新たなプライバシー権を考える上での一つの立場だろう。

 3.7 さいごまで自己決定 〜拒絶にも強弱をつける〜

 さいごに、これまで見てきた調査結果や、諸外国のプライバシーの考え方を踏まえた上で、前章に挙げた事例について考え直してみる。国が新たな法律や方針を示すまでに、我々ユーザー主導で何処まで対策ができるのか。もちろん、監視されていても気にならない人もいるだろう。その人はこれまでと同じように情報を提供し、それなりに自分が納得いくインセンティブを享受する。問題は、「気持ち悪い」と感じたり、監視から逃れたくなったりしたなった人はどうすべきなのだろうか。一番簡単なのは、全てを投げ出すほどの強い拒絶をすることだ。いきなり不便にはなるが、Facebookで繋がっていた人とは他の連絡先でつながりを保ち、Google検索で調べていたことは図書館に行ったり人に聞いたりして調べよう。しかし、そんなことできる人は少ない。いまやインターネットは電気水道ガス並のインフラと化している。もちろんなくても死なないが、現代で生きる上では欠かせない。Googleから逃れようとするとインターネットを捨てることになると言っていいほど、今のGoogleの監視の目は何処にだって現れる。それから逃れるためには、できる限りオプトアウトをしつつ、監視者を欺くしかない。いくつかのアカウントを持ち、そのアカウントごとにメールアドレスを取得し、各々に人格を設定し、使用用途を絞ってその度使い分けるのだ。今の技術では、それらを統合することは簡単なのかもしれない。それでも、一つのアカウントで全てを拾われるよりはましだと考えよう。サービスを利用しつつも、情報を取得されることに弱く拒絶するのだ。そして、新たな法律やガイドラインが完成することを待つことになる。これは、まさに〈一望監視施設(パノプティコン)〉が当てはまっていると言えるだろう。〈一望監視施設(パノプティコン)〉の肝心な部分は「見られているのかもしれない」と思わせることによって行動を変えてしまうところにある。そうすれば、実際に監視はされていなくても、常にどこかからの目を気にして利用することになる。

おわりに —最悪な事態に備えて—


 ユーザー目線で考えると、こんなに手間をかけて常に何かを考えて利用するほど大変なことはない。情報過多の時代なので少しでも自己決定を減らしたい。しかし、それらを減らすことが可能なターゲティング広告を受け入れるかどうかで自己決定。その広告を見て購入するかどうかも自己決定。購入すると決めたショッピングサイトの利用規約を受け入れるかどうかで自己決定。後に考えが変わった時、それらを拒絶するかどうかも自己決定・・・・・・。人間を人間たらしめる要因の一つに「自己決定」をするということがあるが、今までの技術革新や文明の発展は自己決定を減らし責任から逃れる方向に進んできた。それを、また自己決定を増やし責任を取り返す形に新たなプライバシー権が後押しするのだろうか。

 そうとも言えない動きもある。2013年11月22日付けの日本経済新聞電子版によると

政府は「ビッグデータ」と呼ばれる膨大な個人情報の利活用に関する法整備に着手する。匿名化した個人情報なら本人の同意がなくても第三者に提供できるよう法律で定め、ビジネスなどでの活用を促す。一方で個人を特定できないよう技術的な措置を事業者に義務付けるほか、運用が適正か監視する第三者機関も設け、消費者のプライバシー保護への不安を和らげる措置も講じる。
(日本経済新聞電子版 2013年11月22日付記事より)

といった動きがあるようだ。この取り組みの問題点はいくつかあるように思う。まず、いくら匿名化したとしても完璧なことはないという点だ。匿名化されたデータを第三者に提供したとして、その第三者側にも名前や住所といった深い個人情報があった場合、個人を特定するつもりは無くても欲しいデータを求めて分析する過程で、結びついてしまうことはあり得るからだ。例えばYahoo!JAPANが楽天から匿名化データを引き次分析した結果、「楽天のデータから”ミネラルウォーター”を良く購入し、Yahoo!JAPAN検索結果から”大阪市”に住む”関西大学”の学生で”地道”という言葉をよく検索する”プロレス”好きの男性は、近々”引っ越し”の予定がありそうだ。楽天のデータでも急に”,一人暮らし用の家具”を購入しているから。」といった人物像があがったとしても、Yahoo!JAPANは個人を特定する目的ではないかもしれない。(もちろんこれは例である。こんな意味のなさそうな分析はしないだろうが。)一見無関係なデータから相関関係が見られ、それに価値があることがビッグデータ活用のうまみでもあるだろう。そのことを踏まえると、個人特定を恐れて匿名化しすぎてもメリットは薄れるし、簡単に二次・三次利用できるようにするのもどうかと思われる。

 また、プライバシー権の前提で「自己決定による事前認証(もしくは事後認証)」といった価値観がある以上、匿名化すれば新たに許可は取らなくてよい等といった方針になった場合、絶対に提供したくないと考えている所へ情報が行くのを止めることができないといったことになる。これはプライバシー権の発展というよりも後退だ。そうならないためにも、プライバシー権の考え方を飛躍させ、情報提供者の自己決定以外に情報利用者側にも責任があるような形にプライバシー権を発展解消することも考える余地はあるだろう。もう足跡をどこにも残さずに生活することはできないと受け入れ、情報はある基準までは漏れると考えるのだ。基準値以上漏らした企業はペナルティという形で罰則を作り、それに満たない企業はお咎め無しといった時代がくるのかもしれない。

 デメリットを減らし、より多くのメリットを享受しようと監視を受け入れてきたが、監視によるメリットをデメリットが上回っていくのだろうか。筆者としては、気楽にできる限りのメリットを享受したい。今の状況はあまりにも複雑すぎるので、より健全を常に目指すべきだと考える。それが今後の国、企業、そして我々の課題であろう。





以下、参考文献とか引用文献、各種URLのリストです。
めっちゃ量が多いです。スクロール地獄なので要注意





【引用・参考文献】

p.40-p.119 

p.28-p.106 


【引用・参考URL】(2013年11月29日調べ)

Google公式ヘルプ 「Google AdWordsについて」
https://support.google.com/adwords/topic/3121763?hl=ja&ref_topic=3119071

株式会社LIG ブログページ 2013年4月10日「Amazonとかでよく見るおすすめ商品を表示する仕組み、レコメンドを全力で解説する」
http://liginc.co.jp/web/programming/other-programming/22262

Facebook 公式ページ 「グラフ検索」https://www.facebook.com/about/graphsearch

ギズモード・ジャパン 2013年1月17日「Facebookのグラフ検索って何?」http://www.gizmodo.jp/2013/01/facebook_51.html

ビジネスジャーナル 2013年2月15日「Facebookグラフ検索で、知らぬ間に自分が危険人物に?トラブル防止策を伝授!」
http://biz-journal.jp/2013/02/post_1495.html

カルチュア・コンビニエンス・クラブ T-SITE 「Tポイントの主な提携先」
http://tsite.jp/pc/r/al/list.pl

INTERNET Watch 2013年7月2日「Yahoo!ポイントがTポイントに統合、T-IDはYahoo! JAPAN IDに統一」
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20130702_606045.html

JAPAN.INTERNET.COM 2013年6月4日「Yahoo!ポイントは T ポイントに--ヤフー と CCC がポイント/ID を7月1日に統一」http://japan.internet.com/busnews/20130604/9.html

生きるってお金がかかる!(個人ブログ)2013年7月1日「Yahoo! JAPAN IDとTカードの連携を解除・変更する方法。」http://rinco51.seesaa.net/article/368831816.html

周回遅れの日記(個人ブログ)2013年6月4日「YahooポイントとTポイントの統合が嫌な感じ」 http://d.hatena.ne.jp/hinkyaku49/20130604/1370360999

朝日新聞DIGITAL
2013年7月26日「Suica履歴、JR東が販売 利用者に事前説明なし」  
http://www.asahi.com/national/update/0726/TKY201307260002.html

2013年8月1日「Suica履歴、削除申請8823件 JR東の販売問題」http://www.asahi.com/national/update/0801/TKY201308010298.html

2013年9月3日「Suica履歴販売、有識者会議で再検討へ JR東日本」http://www.asahi.com/national/update/0903/TKY201309030415.html

Business Media 誠 2013年7月19日「Suica利用履歴販売、JR東は「個人情報に当たらない」との見解」http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1307/19/news141.html

日立製作所公式ページ ニュースリリース2013年6月27日「交通系ICカードのビッグデータ利活用による駅エリアマーケティング情報提供サービスを開始」
http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/month/2013/06/0627a.html

ITpro 2013年7月24日「Suica乗降履歴データの外部提供で問われるプライバシー問題---JR東日本に聞く」 
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20130724/493665/

ねとらぼ 2013年7月1日「「行動が監視されてる感じが嫌」――日立の「Suica履歴情報販売」に批判の声」http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1307/01/news103.html

NAVERまとめ 2013年7月3日更新「気持ち悪い…批判殺到!日立が「Suica履歴」をビッグデータとして活用開始」http://matome.naver.jp/odai/2137243146151948501

NTTdocomo公式ページ ドコモからのお知らせ 2013年9月6日(9月10日更新)「モバイル空間統計の実用化および携帯電話ネットワークの運用データ利用について」http://www.nttdocomo.co.jp/info/notice/page/130906_00.html

ケータイWatch 2013年9月6日「ドコモがモバイル空間統計を実用化、商圏調査でも利用可能に」
http://k-tai.impress.co.jp/docs/news/20130906_614408.html

ITpro 2013年9月6日「ドコモがインフラ運用データを使った「モバイル空間統計」を10月から実用化、数百万円から」
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20130906/503062/

WirelessWire NEWS 2013年9月6日「ドコモ、『モバイル空間統計』の実用化を10月から開始」
http://wirelesswire.jp/Todays_Next/201309061712.html

日本経済新聞電子版
2012年5月25日「米国「プライバシー権利章典」の衝撃 出遅れた日本」http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2201O_S2A520C1000000/

2013年11月22日「ビッグデータ活用へ法整備 匿名なら同意不要」http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS21027_R21C13A1MM8000/


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