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何かしらの断片

 ここ数日はよく文章を書いていて、その中でもよくわからない、思い付いたまま書いて、飽きたらやめていた断片をここに載せてみる。特に意味はないです。


 目の前に差し出されたチョコレート。「はい」ってきみはあたりまえのように言って、ぼくは何も言えず、ただ、それを受け取った。「ありがとう」って言えればいいだけなんだけどな。そんな言葉さえ、自分の中から出てこなくて、「ごめんなさい」なんて、またあなたを困らせてしまう。歓びを表現するのがこんなにむずかしいことだなんて、子どものころは想像もしていなかった。あの頃は泣きたいときに泣けていた。思えば、ぼくはもう何年も悲しいときに涙を流したことがなかった。

 坂道を上っていく。私が住んでいる街は坂が多い。よくこんなところに家を建てたものだと思うことがよくある。そこまでして家を建てて、生きたいと昔の人間は思ったのだろうか。それとも、そんなことを考えることもなく、あたりまえのように土地があり、あたりまえのように家を建て、あたりまえのように生活をしたのだろうか。
 少し遠くの方から、小さな男の子が歩いてくる。まだ小学校低学年くらい。ランドセルは背負っていないけれど、胸のところには名札がついている。大きく黒い文字で「長田」と書いてあり、私はその男の子のことを見ながら心の中で「長田くん」と呼んだ。長田くんは歩きながらポテトチップスを食べていた。食べることに夢中で、まったく前を向いていない。長田くんの腕は恐ろしく細く、私に魚の骨を想像させた。そういえば、あの人はとてもきれいに焼き魚を食べる人だった。そんなことを思い出していたら、気づいたら長田くんはもう目の前におらず、振り返ってみても、まるで最初から長田くんはいなかったかのように、その姿はなかった。

 書くことがなくなってからが、書くということのはじまりだ。そんなようなことを先生は言った。「先生は、」私は言った。思えば、それは私の反抗期のはじまりだった気がする。「先生は、私に書かせてばかりで、自分では何も書かないじゃないですか。いや、書けないんでしょう? だから、自分より弱い人間に対してえらそうにして、まるで自分はなにかを知っているかのような態度をとる。あのね、先生。私たちってバカじゃないんだよ。先生がなにを考えているのかなんて、わかってるんだから」校舎の三階の隅っこにある国語準備室という、普段は生徒はおろか先生もほとんど使わない部屋は散らかっていて、私の声によって埃が舞っていくように感じられた。

 夢から醒めて、それでもまだ夢にいて、ぼくは夢と夢の間に閉じ込められてしまったようだ。

 帰ってきたら恋人がいかにも感傷的な映画を観ている。静かな映画なのだが、ここぞというときにピアノのやさしい音が流れ、それが私にはここが感動するべきところだと言っているように聞こえ、俗っぽい映画だなと思ってそれをなんとなく眺めていたが、恋人はその感動的なシーンを観て本当に感動しているような様子で涙を流しており、私はその姿を見て感動してしまった。この人は本当に愚かで、私はこの人のことが本当に好きだ。

 「今日、こういう夢を見たんですよ。」私は田村さんに向かって話しはじめた。「自分がお弁当屋さんみたいなところに行ってて、たぶんお昼ご飯を買いに行ってたんだと思うんですけど」田村さんはスマホをいじるのをやめて私の方を見る。「それで自分がのり弁を買おうとしたんですね。のり弁。じっさい、私いつもリアルでもそうしてるし」自分で話しておいて、現実のことをリアルと表現した自分のことが気持ち悪くなった。「それで、なんだっけな、ああ、そうだ、のり弁、のり弁を注文したのね、なんか中年の女の店員だったわ。」私はその頃には田村さんが真剣に私の話を聞いていないことには気づいていたが、しかしやめられないでいた。「でも、その女、私が注文してもぜんぜん何にも言わないで、ずーっと俯いてるの、ちょうどお昼時だったから、後ろも人がいたのにさ、だから焦ってさ、のり弁をくださいって大きな声でもう一度言ったの」私はすぐにでもこの話をやめたかった。なぜならば私は夢なんてまったく見ていなかったのだ。

 人間は足が遅い。猫にすら勝てない。どんなに偉そうにしている人間も、猫より足が遅いと思えば、なんてかわいいやつなんだと思える。人類最速であるウサイン・ボルトでさえ猫に勝てない。人間が地球を支配している理由はただ一つで、それはこの地球の生物の中でいちばん弱かったからだ。

 
「それって、左?」
「え?」
「ギター」
 常田は僕の言うことの意味がわかったようで、
「うん、そういえば、不思議だよな。物によって、右利きか左利きか違うなんて」
 と言ったあと、
「いや、逆に全部が右利きのやつばっかりっていう方が、不自然じゃない?」
 と僕に訊くでもなく言った。

 人の日記を読むことが好きだ。その人の自意識のバランスを見ている気がする。エッセイとはまた違う、小説とはもちろん違う、日記だから、嘘を書いているつもりは、基本的にはないはずだ。でも、本当のことを書いている、というわけでもない。故人の日記のほとんどは、きっと世に出版されることなんて想定されずに、日記を書いている。でも、たまに生きている人が出版する日記は、そもそもが人の目に晒されることを前提として書いている。その二つは、きっとまるで違うものになるだろう。そして、部屋でだれにも見せることなく書いている日記でも、文字にした瞬間に、もしふいにこれを誰かに見られたらどうしよう? という自意識が働いて、どこまで本当のことを書くかわからない。そもそも本当のことなんてものが、本人にわかっているのか。その人の中の本当のことならはっきりとしているのか。いや、そんなこともないだろう。記憶は勝手に捏造していくし、誰に見られなくても、意識的にも無意識的にも嘘をついてしまう人だっているだろう。そしてその中間の人だってきっといる。どこかで読んだ話だが、キルケゴールは死後きっと自分の文章が世に出ることがわかっていたのに、まるで自分だけのための文章のようなフリをして書いたとも言われている。その自意識。そしてその自意識を感じとろうとする私の自意識。自分というこの厄介で奇跡的な存在が重たくて、軽くて、今日も苦しくて歓びを感じてしまう。

「ウケるね」きみが笑いながら言う。何がおもしろいのかはわからないけど、でも、その笑い方が好きだ、と思う。うん、変だよね。と私は言う。決して、ウケるという言葉はつかえない。私はそういう言葉を使ってはいけない側の人間だと思ってしまう。そうやって、私は自分も含めて人間のことを雑に差別する。ふいに、神聖かまってちゃんの曲を思い出す。曲名は、なんだっけ。友達なんていらない、みたいな感じだった。サビで、「え、マジ? そんなセリフが言えたとき、お友達ってやつがいるのかな」っていう歌詞があった。私はその曲を聴いたのは確か中学生で、お友達ってやつがいないわけではなかったのに、なんだか悲しくなって、泣いてしまったことをよくおぼえている。きみが私のお友達なのかはわからないけど、確かに現実ってやつは「ウケる」のかもしれない。私はそう思った。

 きみがなにか傷つくこと言われたとする。嫌いとか、もう話したくないとか、挙句の果てには、死ね、とかね。でもね、これだけは覚えていてほしいんだ。すべての言葉は嘘を孕んでいて、だから、きみはその言葉を自由自在に操れるんだ。もちろん、この言葉だって、嘘を孕んでいる。

 お前が存在する理由を言ってみろ。いますぐに、だ。少なくとも、俺がこのコーヒーを飲み終わる前に言え。目の前の、出会ったばかりの男はそう言った。緑のジャケットを着ていた。男にしては長髪だったが清潔感はある人間だった。内容とは裏腹に、どことなく声に柔らかさを感じさせた。女の店員がやってきて、私の注文を聞きに来た。私もコーヒーを。ホットでよかったですか? はい。そんな会話をした。目の前の男はそれを聞いているのか聞いていないのかもわからなかった。前を見ていたが私を見ているようには感じなかった。別の世界に行ってしまっているように感じた。まるでこの世界の生き物ではないような、浮世離れした雰囲気を持っていた。私はしばらく黙っていようと思った。少なくとも、男がコーヒーを飲み終わるまでは。

「ついでに、結婚すれば?」
 店員がコーヒーのおかわりを持ってきたあと、姉はそれに口をつけながら言った。
「それもいいね」
 僕は同意した。結婚するのもいい。それも、結婚するのならば、ついでに結婚するほうが一番いいに決まっていた。

  
「ほら、あなたはよく言うでしょう。自分のことなんて誰もわかってくれないって。そりゃあ、わからないよ。でも、わかるって思うときがある。それだって本当なんだ。わからないけど、わかるって思う。それを否定しないで」

 盗むということが好きだった。スリルを楽しんでいるというわけでもなく、他人の物であるとされる物を自分の物にするという行為が愉快に感じられた。盗むものはたいてい相手が大切にしているものではなく、あってもなくても困らないものを選んだ。だから、ほとんどの人は自分自身がどこかになくしたものだと思い込んでいた。物を所有できていると思っている人間の愚かさは滑稽でたまらなかった。

 子どものころはよく将来の夢を聞かれた。いまの子どもたちも私が子どもだったころのように同じ質問をされるのだろうか? 私は天邪鬼だったから、だいたいは別にないとか、そういうそっけない態度をとっていたが、私が十歳だったとき、いったいなんの影響かはわからないが、私は詩人になりたいと言った。学校で配られたプリントの中に将来の夢を書く欄があって、そこに夢は詩人であると書いた私のつたない文字が、いまでも実家には残っているのだが、じっさいの私は詩人にはもちろんならず、とはいえ普通の人生を歩むこともできずにいる。せめてあの夢を叶えようとして生きてきていたら、と思うときが一年に何度かある。

 
 珈琲を飲む。いったい何の豆の珈琲なのかなんて知らない。ちゃんとした喫茶店で飲んでいるから、きっとちゃんとした豆なんだろうけれど、もしかしたらインスタントコーヒーなのかもしれない。でも、ちゃんとした豆だったら、どこかの外国で作られて、それが日本に届けられて、いまこうして自分の前に焙煎されて珈琲として存在しているということなのか。そもそもちゃんとした豆ってなんだろう。珈琲ってなんだろう。私は知らないことばっかりだ。昨日まで自分は青森と北海道を車で移動できると思っていた。青函トンネルというものがあるのは知っていたから、きっとそこをみんな車で移動しているものだと思った。あれは鉄道トンネルだった。知らないことばかりで、そして、これからもあまり物を知ろうとする気持ちはうまれないだろうし、もしうまれたところで、私はなにも知らないまま生きて死んでいくだけだろう。

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