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三国時代の笑い話。呉の姚彪が同僚に塩をあげない話は何が面白いのか?~前編【笑林】

 【注意】
この記事は僅かな情報を頼りに、ほとんど推測で書いた、作り話かもしれないお話です。


第一章:はじめに

三国時代に編算された笑い話集に笑林しょうりんというものがあり、こんな話が載っています。

【原文】
姚彪與張溫俱至武昌ようひょうよちょうおんくしぶしょう遇吳興沈珩於江渚守風ぐうごこうしんこうおこうしょしゅふう糧用盡ろうゆうじん遣人從彪貸鹽一百斛けんにんじゅひょうたいえんいっひゃくごく彪性峻直ひょうしょうしゅんちょく得書不答とくしょふとう方與溫談論ほうよおんだんろん良久ろうきゅう敕左右ちきさう倒鹽百斛著江水中とうえんひゃくごくちょこうすいちゅう謂溫曰いおんおち:「明吾不惜みょうぐふしゃく惜所與耳しゃくじょよに!」

【和訳】
姚彪ようひょう張温ちょうおんといっしょに武昌ぶしょう(湖北こほく省)に行った。
折から呉興ごこう(浙江せっこう省)の沈珩しんこう揚子江ようすこうの岸に風の鎮まるのを待っていたが、食料が尽きたので、使いの者をやってひょうに塩百石を貸してほしいと申し入れさせた。
ひょうは気性のはげしい一本気な人であった。
その手紙を受け取ったまま返事もせず、おんと話をつづけていたが、大分立ってから、そばの者に命じて塩百石を揚子江ようすこうの水中に投げ入れさせた。
そしておんに向かっていうのだった。
「わたしは物を惜しむのではない。人に与えるのを惜しむのだ。そのことを明らかにしただけだ」

【引用:中国古典文学体系 59 歴代笑話選 P5】


これを初めて読んだとき、何が面白いのかわかりませんでした。

普通に考えると。
姚彪ようひょうはむちゃくちゃ性格の悪いヤツで、その悪癖ゆえに大損した、というのが笑いどころでしょう。

しかし、ひょっとすると。
沈珩しんこうは塩をやるのが惜しいほどの悪人で、姚彪ようひょうが義憤にかられて意地悪したのかもしれません。

そうなると姚彪ようひょうがおバカだとしても、事情を知らずに笑うのは具合が悪い。
つまり、どこを焦点にした笑い話なのか分からず、おいおい泣くはめになったのです。

そんな苦悩を解決し、ニヤニヤ気持ちよく笑うために、今回もざっくり調べてみました。

※塩百石…原文では「鹽一百斛」。三国時代当時、一斛は24.5リットル。その百倍なので2450リットル。「こんな量捨てるの……?」という凄い量なので、ひょっとしたら間違いかも。

揚子江ようすこう…原文では「江」です。「江」と書いていれば、そこら辺の川ではなく長江を指します。長江の流域で「揚子江」と呼ばれる中流あたりに、ちょうど湖北省があるのです。


第二章:沈珩しんこうはウンコ野郎なのか?

まずこのお話を笑えるようになるために、登場人物を知ることが重要です。

正直沈珩しんこうが悪人だとしても、意地悪されるのを読んで笑えるでしょうか…?
何の事情も知らない我々には「嫌な話だな…」と思うしかありません。

しかし当時の人からしたら報いを受けて当然。
スカッとする話だった可能性もあります。

現代に生きる私達でも、例えば水滸伝すいこでんの悪者である高俅こうきゅう蔡京さいけいが痛い目を見たらスカッとしますよね。
そんな風に人物を知れば理解に近づけるはず、というわけです。

水滸伝すいこでん……古代中国・みんの時代(日本だと南北朝~戦国時代)には成立したとされる長編小説。弱きを助け悪しきを挫く義に厚い108人の英雄好漢えいゆうこうかんたちが貪官汚吏どんかんおりを倒したり、普通の悪いヤツを倒したり、普通に戦争したりする。私は花和尚・魯智深かおしょう・ろちしんが好き。

なので、まず「沈珩しんこうは悪人なのか?」という疑問を解消しましょう。

ちなみに、このお話の登場人物は全て三国時代・の官僚です。
沈珩しんこう周瑜しゅうゆ陸遜りくそんのような有名人ではないものの、有能な外交官と知られていました。

彼の活躍が三国志にも残されています。

ある時。
の太子・孫登そんとうを人質にしようと、外交上の罠を仕掛けてきました。

沈珩しんこうは使者として出向き、当時の頂点に君臨する文帝ぶんてい曹丕そうひに対面しました。
そして、その物腰の柔らかさで事態を平和的に収拾したのです。

もちろん、冷静沈着に状況を判断できる能力もあり、君主・孫権そんけんに進言できる度胸もあったようです。

悪い評判もありませんし、問答の内容から考えると……。
どうやら沈珩しんこうは悪人ではありません。

実は影で下男や下女を虐待してたかもしれませんが、なんとなくそういう事もしなさそうです。

第三章:姚彪ようひょうって誰だ…?

これで沈珩しんこうが悪人だという疑いは晴れたので、必然的に姚彪ようひょうの行いを笑う話だと結論づけて良さそうです。

以上、お読みいただきありがとうございました。

………………。

と締めてもいいのですが、姚彪ようひょうはなぜこんな偏屈なヤツなのでしょうか。
せっかくなので、姚彪ようひょうが何者なのかも調べてみましょう。

……………………………。

…………………………………………。

…………………………………………………………………。

だめです。
どうやら中国語情報でも「姚彪ようひょう沈珩しんこうに塩をあげなかった話」しか出てきません。

後世に名前さえ知られない下役人が、功績ある外交官を愚弄したのでしょうか…?
それはそれで大した剛毅ですが、一体姚彪ようひょうとは何者なのでしょうか…?


第四章:第三の人物・張温ちょうおん

この話は嫌な姚彪ようひょうと、不憫な沈珩しんこうにどうしても目が向いてしまいます。
しかし、もう一人の登場人物がいますよね?

それが姚彪ようひょうの友達らしき「張温ちょうおん」という男。

実は張温ちょうおんを調べることで、姚彪ようひょうが誰なのか近づけるのです。

実は張温ちょうおん
この三人の中では一番有名で、あの諸葛亮しょかつりょうとも少し関わりのあった人物です。
私は三国志にあまり詳しくないので、全く知りませんでしたが…。

では、どういう人物だったのでしょうか。

張温ちょうおんは若い頃から豊かな才知があり、見た目も良かったそうです。
なので、周りからもチヤホヤされ、とても期待されながらスクスク育ちました。

そして大人になると君主・孫権そんけんにも認められ、太子・孫登そんとうの教育係を勤めたのです。

孫登といえば、人質になりそうだった窮地から沈珩しんこうが救った人物です。
結果的に張温ちょうおんの役職を保ったわけで、沈珩しんこう張温ちょうおんの恩人と言えるかもしれません。

その後も張温ちょうおんは順調に昇進していきました。
しかし、順風満帆な人生に亀裂を生む人物と関わることになります。

それが張温ちょうおん自身の推薦で官僚になった曁艶きえんです。
出身地が同じなので、馬があったのでしょうか?


第五章:重要人物登場と崩れる張温ちょうおんの人生

かつて曁艶きえんは、親が犯した罪により平民に落とされた過去があります。
生活さえ苦しいのに、言われもない誹謗中傷に遭ったのかもしれません。

曁艶きえんの恨みは日増しに根深く強く。
性格も激しさ厳しさを尖らせるばかり。

罵詈雑言への反発からか、異常に潔癖な人間に成長しました。

「いつか復讐してやる」と考えていても不思議ではありません。

ただ有能ではあったようです。
張温ちょうおんの助力もあり、曁艶きえん選曹尚書せんそうしょうしょ(人事部のトップ)に就けました。

すると、相棒の選曹郎せんそうろう徐彪じょひょうと共に暴走を始めます。

重箱の隅をつついては、つつく。
気に入らない同僚・部下、上司まで蹴落とし出したのです。

それは臣の長である丞相じょうしょう孫邵そんしょうを失脚させるほど、被害は甚大なものでした。

ここで聞きお覚えがある名前の登場にお気づきでしょうか?
そう「徐彪じょひょう」です。

徐彪じょひょう?どこかで聞いたような……。
あ、姚彪ようひょう

そうです。
お腹が減った沈珩しんこうに塩もあげなかった姚彪ようひょう
その塩を川に投げ捨てた姚彪ようひょうです。

彼とそっくりな名前の人物。
それが嫌なヤツの仲間として出てくるのです。

話を一旦戻しますと、こんな横暴を繰り返せば恨まれるのは必然。
数多の同僚達から弾劾された曁艶きえん徐彪じょひょうは官職を剥奪。
自害という結末を迎えました。

張温ちょうおんはというと。
自分が推薦した人間が大騒動を起こした手前、批難は免れません。
挽回しようと賊討伐のため、大軍団を借りて遠征したものの、失敗してしまいました。

そして張温ちょうおんは左遷。
その6年後、故郷の呉郡ごぐんで病没してしまったのです。


第六章:後編の予告

さて、張温ちょうおんについては以上です。

姚彪ようひょう」の正体に関係ある最重要人物「徐彪じょひょう」が登場したところで、続きは後編になります。

本題の核心は次回に持ち越しましたが、「姚彪ようひょう」と「徐彪じょひょう」という名前を見れば、関係性は明白でしょう。

しかし、後編ではムダに一歩深入り。
姚彪ようひょうには、まだ隠されている正体が…?」という推理をしています。

前後編分けたのに、前編だけで3.800文字もあるようです。
時間は貴重だと言うのに、お読みいただき本当にありがとうございます。

それではまた次回。

後編はこちら↓↓↓


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