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正しさって何だろう

みなさん、こんにちは!まっきーこと石牧です。だいぶ遅くなってしまいましたが、あけましておめでとうございます。皆さんはどんなお正月だったでしょうか。去年の今ごろはこんな風にマスクをつけて、ソーシャルディスタンスなんて言いながら初詣に行くなんて全く想像していなかった。世の中何があるか分からないものです。ただ、食べ過ぎて明らかに太ったのはいつもと一緒ですwwということで、新年最初のブログもつらつらと書いていきたいと思います!

1. 何が「わがまま」なのか

年初めから小難しいタイトルですよね(すいません!)。ある視力に障害のある方が「権利とわがままの境界線がわからない」ってSNSに投稿されていて、ふと正しさとかわがままについて書いてみたくなりました。この方、何回かお話しさせて頂いたことがあるのですが、いつもニコニコして、明るいとても素敵なお母さんです。この方がなんでそんな風におっしゃったのか、お話しを伺っていないので分かりません。でも、私も障害者を長いことやっているので時々思うことがあります。これは自分の「わがまま」なんじゃないかと。

例えばバスの優先席に座っていて、見知らぬおばあちゃんに怒られたり。セルフサービスのフードコートに行けば店員さんなり、友人なりに自分の食べたいものを席まで運んでもらわないといけない。電車の乗り換えをするだけなのにホームの端から端までエレベーターを求めて歩き回ったり。杖が壊れて買い替えるのだって、税金から補助をもらったりする。優先席に座るのも、食べたいものを運ばせるのも、エレベーターを求めて放浪するのも、税金から補助をもらうのも、考え方によっては私の「わがまま」なのかもしれない。正直、自分ひとりだったら、私が我慢すればいいと思っている。でも、誰かと一緒にいるとその人まで一緒につき合わせないといけない。社会システムの中の「普通」に自分を合わせようとすると誰かに負担を強いているのかもしれない。そんなことを感じるときは、本当にこれが正しいのかなって思ったりします。でも、何が正しいのかは正直いまだによく分かりません。

2. 正しさを追い求めることの怖さ

こんなことを書くと私のブログを読んでくれる皆さん優しいから、まっきーのやりたいようにやればいいとか、気にすることないってほとんどの皆さんが言ってくれるんだと思います。それはきっと正しいことなんだと思います。でも、最近正しさとか正義って怖いなって思うことが多くあります。

例えば、コロナ過の中でマスクをしていない人や時短営業に応じないお店をSNSに密告したり、米国大統領選挙をみれば、相手陣営の支持者は平気でリンチしてみたり。確かにマスクをする人は正しいのかも知れない。バイデンが当選したのは正しいのかもしれない。でも、その正義を振りかざして、応じない人たちを貶めることが正しいのかは少し冷静になって考えないといけないと思う。社会が正義を妄信したときに、従わない人を社会悪として排除した延長線上に、もしかしたら従わない人たちを非国民と呼んだり、ガス室に送るような世の中が待っているのかも知れない。ちょっと飛躍しすぎな気もするけど、「わがまま」って何だろう、「正しさ」って考えていたら、そんなことを思いました。

3. 考え続けること、選択できること

カッコいいことをつらつらと書いているけど、こんなことを言っている自分だって、何か困っているときに誰も助けてくれないと、なんで!どうして誰も助けてくれないんだ!どうして俺だけなんだ!っていう恐ろしく自己中心的な考え方になることがたまにあります。でも、助けない側、無視する側を勝手に想像すると何となくその気持ちも理解できる。杖を持って歩いている人とか、車いすの人が目の前に居たら、助けないこと、優しくしないことが自動的に「悪」になるのは何となく感じます。周りの人も、そして、その人自身もどこかで弱者を助けない自分を悪いと否定してしまうんだと思う。だったら、見なかったことにして立ち去る方がよっぽど楽だしめんどくさくない。

でもこれって、無意識に助けないことをどこかで悪としている人間が、社会がおかしいのかも知れない。助ける自由があるなら、助けない自由があってもいいし、従う自由があるなら、従わない自由があってもいいんだと思う。社会の空気なんか関係なく、そんな選択がもっと簡単になったら、世の中少し生きやすくなるのかも知れない。そして、自分が障害者である以上、正解がないからこそ、何がベターなのかは考え続けないといけないんだろうな、と思います。

読み返したら、何が言いたいのか全然分からない仕上がりになってしまった。しかもやたら長い。。。

今日はこんなところで。


楽読のインストラクターやってます♪興味があったらぜひ。


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