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【日本史#03】古墳時代【歴史】

今日は古墳時代についてだ。

弥生時代まではまだ漢字が普及していなくて、歴史の記録が書物として日本に現存していないのでした。それから100年くらいして徐々に文明が発達し、100人の民で5年かけて大きな古墳を造れるまでになりました。

古墳をたくさん造ったので、この時代を古墳時代としました。

この時期から漢字が普及し、日本書紀や古事記に当時の記録が残っているようです。

古墳とはそもその何なのか

古墳は天皇や権力のある者の大きなお墓です。前が四角で後ろが丸い前方後円墳が有名ですね。古墳の周りには土器や埴輪などを置いて装飾していました。

下図のような前方後円墳で最も大きな古墳は、大阪にある大山古墳(だいせんこふん)が有名です。

前方後円墳(パブリックドメインQ)

古墳は何の為に作られたのか

古墳を造るのは大きな労力と年月がかかります。ではどうして人々は古墳を造るのでしょうか。

その答えは古墳はその国の権力者の象徴であり、その古墳が大きければ大きいほど自分の力を示せるのです。

当時、勢いのあった地域

豪族など勢いのあった地域は奈良県です。近畿地方、特に奈良県は後に学習する天皇の地として何度も出てきます。

僕は勉強嫌いな沖縄出身なので、栄えていたのは昔から関東ではなかったのか!と驚いていました。

本土では常識なのかな(;'∀')

古墳時代、当時は奈良県の天皇や豪族が政治をする大和政権が主流で、それらの政府のことを大和朝廷と呼びます。

大和政権のトップを大王(おおきみ)と呼びます。確か本人が自分のことを指す呼び名ではなく、位の低い人が偉い人に使う為の呼び名だったと思います。(間違えていたらコメントください💧)

確認問題

  1. 日本最大の前方後円墳の名前は?

  2. 古墳は何の為に作られた?

  3. 当時、最も力のあった政権を何政権という?

  4. 3の政府のことを何という?


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