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【日本史#02】弥生時代【歴史】

有名な遺跡について、これは覚えておこう。

  1. 岩宿遺跡(群馬県) - 旧石器時代のもの

  2. 三内丸山遺跡(青森県) - 縄文時代のもの

  3. 吉野ヶ里遺跡(佐賀県) - 弥生時代のもの


さて、今日は弥生時代についてです。

東京都文京区の弥生町から縄文土器とは違った土器が見つかりました。薄いのに割れくいのは高温で焼いている為のようだ。

下部が丸い壺など今までにない形。これは新しい技術!

弥生町から出土したそれらを称して、これらを使っていた時代を弥生時代としました。


人口が増えて村を作るようになる

縄文時代から中国や朝鮮から米作りが伝えられて水田を構築し、稲作をするようになりましたが、弥生時代では人々がそれぞれの村を作りそれを守る財産ができました。

米などを蓄えるのが高床式倉庫で、ネズミ返しの構造は小動物から食べ物を守ります。ちなみになぜ高い造りなのかは湿気を避けて、安全に中の物を保管する為なんだとか(-ω-*)

それぞれの村からそれぞれの国へ

中国や朝鮮から渡来人がやってきて、青銅器や鉄器、仏教や漢字などを教えます。

武器が作れるようになった人々は、村が発展して国となります。当時の日本列島は100を超える国ができて、人や食べ物などの財産を目当てに争うようになってきました。


争い (パブリックドメインQから編集)

たくさんの人が死に修羅の国と化した日本。

このままではよろしくない!

邪馬台国の卑弥呼 誕生

180年頃にそれぞれの国の偉い人が、国を一つにして助け合い結束しようと話し合いが持たれます。

では誰を王にするか?

ここで巫女の卑弥呼が登場します。

プライムビデオで見たのですが、この時代から既に情報戦が始まっており、それぞれの国の巫女は巫女同士繋がっており、周りの国のことをよく卑弥呼達は知っていました。

よその国で誰かが大ケガをしたらその国の偉い人に異能の力と言わんばかりに何も知らないふりをしながら、薬草を持たせたこともあったかもしれません。卑弥呼の力を示す日常的な出来事です。

人脈もあり予言ができる者として最も力を持っていた卑弥呼を王とし、邪馬台国という国名にしました。

魏志倭人伝

当時の日本は中国から(わ)と呼ばれていました。卑弥呼は中国の魏に使いを送り、239年に魏は日本の王は卑弥呼と認め、親魏倭王の称号を与えます。

日本は漢字が伝来してまだ間もなかったものですから、当時の歴史は全て中国にしか記録がありません。これらは魏志倭人伝に書かれています。

自国に記録がないとなるとどの様なことが起こるのかーー。

邪馬台国が日本のどの地域に在地していたのか分からないのです!恐らくですが、稲作が九州北部から栄えたので、邪馬台国もその辺だと一説があります。

その後

247年に卑弥呼が亡くなり男の国中が王となりますが、内乱が勃発して250年頃に卑弥呼と同族の壱与(いよ)を13歳で女王としますが、それ以後の長い年の記録がありません。

古墳時代へと続きます。

確認問題

  1. 弥生時代の遺跡で有名な吉野ヶ里遺跡は何県にある?

  2. 渡来人が教えたものを2つ答えよ

  3. 中国から見て弥生時代の日本は何と呼ばれていた?

  4. 唯一、当時の日本の事が書き記されている書物の名前は?




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