【日本史#10】平安時代 - 藤原氏【歴史】
この記事から平安時代です。
大化の改新で中大兄皇子の相棒の中臣鎌足が功績を認められて、中臣鎌足は藤原を名乗って藤原鎌足とするように言いました。
知恵袋では天智天皇(中大兄皇子)の時に中臣鎌足の死後にそうしたとありますね。
その藤原鎌足の子孫が平安時代のキーとなる藤原氏です。
征夷大将軍
当時の日本は中心である朝廷は京都にありましたが、周りは統一されておらず別の部族が溢れていました。
朝廷はそれらのことを蝦夷(えみし)と呼び、それを征服させる役目を征夷大将軍としました。
何代も続いている征夷大将軍ですが、このセクションで紹介するのは坂上田村麻呂で蝦夷を話し合いで従わせようと努力します。
例えば仏教の信仰に力を入れてそれと共に蝦夷を受け入れる体制を取ったり、優しく農業などを教えたりしていたようです。
坂上田村麻呂は話し合いとやむを得ず武力行使で蝦夷を討った英雄として知られているようです。
仏教
この頃、遣唐使で最澄(さいちょう)と空海が新しい仏教を持ち帰り、日本で有名な宗派の下記を起こします。
最澄が「天台宗」
空海が「真言宗」
藤原氏の摂関政治
摂政とは天皇の代わりに政治を行う役職です。天皇が幼かったり、女性であったりした場合に該当します。
女性の推古天皇の時に聖徳太子が摂政として冠位十二階と十七条の憲法などを制定していましたね。
平安時代は藤原氏が摂政として政治の力を持っていたようです。藤原氏と関係の深くて幼い人を意図して天皇にしていたんだとか。
そして、天皇が成人すると藤原氏は関白となります。関白とは政治を補佐する役職で実質、天皇と藤原氏で政治を行っていきます。これを摂関政治と言います。
摂政は古くからありますが関白は政治の主導権が欲しかった藤原氏が、新しく作った役職なのでしょうね(;'∀')
摂政が最初に始まったのは593年の聖徳太子から
関白が最初に始まったのは884年の藤原基経から
みたいです\( 'ω')/
確認問題
蝦夷とは何
征夷大将軍の役目とは
この頃の仏教で二大開祖として知られる二人の名前は
政治で藤原氏はどのようにして政権を握った
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