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地域の高齢者に、その町の記憶を残してもらうプロジェクトを始めます。(思い出ライブラリ構想)

プロジェクト内容:あの頃を知っている人たちの、記憶と記録をデジタル化して、地域の共有資産として行きたい。

0.支援して頂きたいこと

 私たちも、以下の内容(市民アーカイブズ構想)で「#noteクリエイターサポートプログラム 」に応募します。何より、人々に興味、関心を持ってもらいたいので、プロジェクトの成果などを広く告知していただく、支援をお願いしたいと考えています。特に地方の過疎地を抱える自治体などに、地域の資産について、少し真剣に考えていただきたいと思っています。
 費用面では、交通費や記録媒体などが必要ですが、現状では自己資金でカバーできる範囲です。むしろ広く興味関心を持って頂くことで、将来的に地方自治体や地域おこし協力隊などの方々からの支援も頂けると考えています。
 なお、プロジェクトのスタートは最短で10月末を予定しています。また映像記録はやはり10月開設予定のニコニコチャンネルで公開予定です。その他、個々の記録はnoteで、新たにマガジンを作って公開する予定です。

以下、背景、問題提起①②、先行事例、プロジェクト内容を示していきます。

1.背景:あの時代から地方創生に至るまで

 筆者は、2022年3月まで27年間、フェリス女学院大学で教育研究に携わって来ました。情報技術、科学技術と社会の関係性に関心があり、情報化社会論と呼ばれる分野が専門ですが、広く現代社会、戦後社会の在り方についても研究しています。特に昨今では、地方創生というキーワードの元に、地方の過疎と都市の過密、両者の格差なども研究の対象として、様々な実証研究をしています。
 地方と都市の格差に関しては、その元々の原因として、昭和3,40年代、高度成長期と呼ばれる時代に、科学技術の進歩によって、都市部を中心に、新たに2次、3次産業が成立して行き、その進歩と共に、地方での余剰人材が大挙して都市部に移動してそれらの産業に従事していったことにあります。その一つの物語が、例の3丁目の夕日に描かれている、集団就職を切っ掛けとするあの世界です。

 これはあくまでもフィクションですが、現実はもっと凄まじいです。筆者の研究テーマの一つではあるのですが、戦後の社会変化を、自治体が記録した「政策ニュース映画」というものが存在します。テレビが一般に広まる以前には、映画が貴重なニュースメディアでした。「政策ニュース映画」とは、特に自治体が地域の復興、発展を記録したもので、昭和20年代の半ばから平成になるまで、盛んに製作されました。

注:筆者は、この政策ニュース映画研究で、科研費他、研究資金を獲得しています。

 以下の映像は、川崎市が記録した映像で、昭和32年7月に公開された「みんなで体操」と題された、30秒ほどの映像です。NHKで夏休みのラジオ体操を収録して放送しましたよということだけの映像で、決して面白いものではないのですが、見て欲しいのは、小学校(川崎市立大師小学校)の校庭にラジオ体操をするために集まった、5,000人もの大群衆です。

 大半を占める小学校の低学年らしい子供たちは、言うまでも無く団塊の世代(昭和22(1947)~24(1949)年生まれ)で、総出生数で約806万人を占めています。この子たちが、消費者や若い労働者として昭和30年代後半以降の日本の高度成長期を支えて行きました。これを人口ボーナスと呼びます。そこから60年以上を経て、この子たちは高齢者となり、人口数の多さから、現在では人口オーナス(負荷)と呼ばれているのもご承知の通りです。

 昭和30年代は、高度成長の入り口でもあり、国民の多くが若かったことから、しばしば懐かしさと共に描かれていますし、中には過度に理想化するような例もあります。しかし、国民全体が総体的に貧しく、決して生きやすい時代ではありませんでしたし、人権意識や衛生観念なども、今とは違い、酷いものでした。教師が生徒を殴るのは当たり前でしたし、どこでもタバコが吸えました。職員室は、いつも煙がもうもうとしていた印象があります。子供の頃、道を歩いていて、突然見知らぬオジサンに殴られるなんてこととか、決して珍しいことではありませんでした。

 ただ戦争が終わったということと、これから豊かになるだろうという高揚感だけはあったのは間違いない話です。それがあの時代の懐かしさの正体ですが、それを過剰に賛美するのもどうかなと思います。

2.問題提起①:あの頃を知っている人たちが、そろそろいなくなって行きます

  今年2022年は、昭和で換算すると、97年になります。終戦が昭和20年ですから、戦後生まれの最年長の方は、77歳、後期高齢者(満75歳以上)になります。その直後の団塊世代も次々と後期高齢者ゾーンに入って行きます。
 様々な世界で活躍されている、その年代の方々も、そろそろ引退を表明されています。例えば、ミュージシャンの吉田拓郎さん(76歳)や財津和夫さん(74歳)などの動向は、最近ニュースを賑わせました。

 厚労省の最新のデータによると、男性の平均寿命は 81.47 年、女性は87.57年になります。余り考えることではないかもしれませんが、あと10年で、団塊世代もその年齢に達して行きます。命あるものは必ず亡くなるのは、この世の定めとは言え、大きく時代が変わって行くでしょう。

 改めて問い直したいのですが、僕らは戦後を本当に知っているのでしょうか。歴史の教科書に出ているような、大きな出来事だけではなく、市井の人々がどういう思いであの時代を過ごしていたのか、実はよくわかっていないような気がします。心優しい人々が未来への希望を胸に、貧しいながらも助け合いながら暮らしていた‥、決してそんなことだけではなかったはずです。3丁目にはいつも夕日が沈んだわけではないでしょう。

 実は今時の学生さんは、驚くほど戦後社会に関する知識がありません。まず入試には出ないそうですし、今に繋がることですので、教える側も扱い難いということもあるのでしょう。その結果として、過度の美化を事実のように受け取ってしまっているようにも見受けられます。

3.問題提起②:今の記録がない町

 余所者として、地域に出入りしていると、時たま「地元民でないのに何がわかる?」といった指摘をされることがあります。別にそれは地方だけの話ではなく、研究室で縁を持ってリサーチした首都圏の工業都市である某市でも、筆者が登壇したイベントのアンケートにはっきり書かれていました。市政100年近い、人口150万もの大都市であっても、そういう感覚を持つ住民がいるわけで、決して田舎だけが閉鎖的というわけではないようです。
 ところが、どの地域も、今に繋がる人々の暮らしを記録したものは、殆ど存在していないのが実情です。町誌、市史などは、多くの地域に残されていますが、殆どが昭和4,50年代の編纂で、平成以降のものは殆ど見ません。さらにそれらの多くは、地域の図書館の地域資料コーナーにひっそりと置かれていて、殆どが貸出禁止になっています。ネットで調べることができないものが殆どです。
 「今の記録すら殆どないのに、この町のことなどわかるわけないだろ」
 と思ったりしますし、第一、地元民と称する人間だって、大して地域のことを理解しているわけではないケースが多々あります。東京都民と東京タワーの関係と言えばわかるでしょうか。

 その町は、どうやって成立して来たのか、その町ではどういう人がどう暮らしてきたのか、そうした日常「ケ」のことを知りたい。それも、この国が大きく変わって来た、戦後から高度成長の時代について知りたい。
 ある町は、過疎指定を受け、高齢化率が高くなり、若い人たちが町から出て行くと言います。その対策を考える前に、例えば若い人が就ける産業を生み出すとか、サテライトオフィスを誘致して活性化を目論むとか言う前に、そもそもなぜそうなったのか、元々はどういう産業があった町で、いつからそうなったのか、そうしたことを理解しておく必要があるのではないかと思っています。

4.先行事例:近郊都市での試み(フィージビリティ)

 こうした背景、問題意識から、私たちは各地域の記録を集めた地域アーカイブズを作っていくことを試みています。地域の記録は、公文書など公的資料として残されて行きますが、こと戦後社会では、社会の主役である一般市民、住民の記録が無ければ、アーカイブズとして価値はないでしょう。そこで私たちは、図に示すように、民間の記録と人々の証言を収集して、「地域アーカイブズ」を構築することを目指しています。

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 戦後社会を作ったのは一般の人々ですから、戦後のアーカイブズに収集されるべきものは、主に市民、住民の記録が中心になります。市井の人々、しばしば名も無き一般市民などと表現されますが、どの人にも名前があり、人生があります。そうした人々のインタビューを通して、その小さな物語をたくさん集めて行きます。それらを同じ町、同じ時代でシンクロさせることで、社会の大きな物語になって行くはずです。

 2018年度に、筆者の本務校における演習科目で、「プロジェクトで学ぶ現代社会」という授業を担当しました。これは教員が、社会連携型PBLを手段として、自分の関心のある現代社会に纏わるテーマを学生と共にリサーチする科目で、2018年度には、首都圏から80キロ圏内の「近郊都市」と呼ばれる地域を対象にしました。その時の成果報告書をKindle版で公開しています。

 その中では、茨城県北相馬郡利根町(南茨城エリア)、埼玉県秩父郡横瀬町(埼玉東部エリア)、神奈川県足柄下郡真鶴町(湘南西湘エリア)、そして千葉県市原市(上総エリア)の4地域にお願いをして調査を行いました。どこも都市部の学生には、余り知られていない地域です。

 授業ではその地域を知るために、地域のシニアに対するインタビューの設定を、各地にお願いいたしました。できれば戦前生まれで、その地域のことを体験として知っていらしゃる方をという条件で、ご紹介いただきました。各自治体さんがどういう方を選んでくださるかが、その町を表す重要なキーになると考えていました。予想通り、見事なくらいに、その町を象徴するような人選になりました。それらの方々と大学生が対話しつつ、シニアのオーラルヒストリーを通して、その地域の姿を明らかにしたかったわけです。

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 横瀬町は、果樹園経営者、元養蚕業から弱電業会社員、利根町は、元大企業会社員、行商人、真鶴町は、家業が漁業で流通業に携わってきた方と農園経営者の方、そして市原市は、家業が農業で教員だった方という、その地域の特徴を見事に示す人々になりました。

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 各自治体さんにご紹介いただいた、最高齢90歳から69歳(当時)まで、延べ7名の「その町のことをよく知っているシニアの方」のライフステージを、上の図に整理してみました。昭和2桁生まれのこれらの方々は、ライフステージがそのまま日本の高度成長期と重なっています。

 私たちが聞きたかったのは、シニアの自分語りでした。なぜなら、長く生きてきた方の人生は、そのまま地域や時代の歴史にもなって行くからです。最年長90歳の、利根町の行商人の方が語る商売のこと、家のことは、そのまま素晴らしい戦後史になっていました。人々の小さな物語は、集まることで大きな時代と地域の記録、物語になって行きます。

5.プロジェクト内容:地域住民の記憶と記録をまとめた「市民アーカイブズ(思い出ライブラリ)」を作ります

 世間的に言えば、老人の話はくどいとか言われたり、身内の人は、聴き飽きたとか言って殆ど耳を傾けないような印象があります。またシニアが書いた自分史などは、市民から見た貴重な記録だと思うのですが、図書館にも余り置いてはいないですし、辛らつに批判する意見も多々見かけます。
 でもどの町で伺ったシニアの話も、とても興味深く、机上でしかわからなかった戦後史、市民の生活や思いが、少しづつ繋がって行きます。戦後社会は、まさに普通の人々が作って行ったものだからです。

 こうした経験から、シニアの記憶と記録は、その地域の最大の資産だという思いを強くしました。そこで、シニアを中心とした地域住民の記憶をインタビューを通して収集しながら、個人写真や映像、私的文書、書面などの記録を集めて、市民アーカイブズ「思い出ライブラリ」を構築していくプロジェクトを本格的に始動します。実施予定地域は、現在いくつか候補地域の自治体と交渉中ですが、人口1万人以下の小規模な地域を考えています。プロジェクトでの具体的な実施内容は、以下の2点です。

①人々の記憶を抽出したい 

 私ごとですが、筆者の父親は既に鬼籍に入っていますが、大正15年生まれ戦前世代で、終戦の時には二十歳でした。相当過酷な運命に遭った世代と言えるでしょう。戦争や終戦直後に纏わるいろいろな記憶があったらしいのですが、晩年になるまで、それは一言も口にすることはありませんでした。家族間では、語れないこともあるでしょう。その記憶をそのまま個人の中に留めておいて、この世から消してしまっていいのでしょうか。

②人々の記録を継承して残したい

  以下の写真を見てください。

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 これは筆者がある古書店さんから引き取ったアルバムの中にあった一枚です。昭和24年とありますが、印象では終戦直後にも見える写真で、裏側に持ち主のこの写真に対する思いが書かれています。
 誰の写真なのか、いつどこで撮られたのか、全く分かりません。古書店側は、遺品として引き取ったものだということ以上のことはわからないとのことでした。戦後70年以上が過ぎて、多くの方が鬼籍に入られると、遺族の方がそれらを処分してしまうことが多くあるようで、今ヤフオクなどのオークションサイトでは、こうした戦前、戦中から戦後に掛けての古写真が多く出品されています。
 例えば最近では、旧満州など大陸からの引揚者のものと思われる写真が多く出品されています。一般日本人の帰還では、現金1,000円と自力で運ぶことができる若干の荷物のみ帯行が許されました。もし私たちが、手荷物一つだけ持って、今の生活を捨てねばならないとするならば、当面の生活に必要なモノわずかと、自分だけしか持っていないだろう、写真などの記録を持って行くのではないでしょうか。そんな写真が、数千円で売買されているというのが、現状です。

 あくまで個人の記録ですので、最終的には個人の意思で処分するなり保管するなり決定すればいい話ですが、人々がそこまでの思いを持って持っていた記録を、破棄したり散逸させてしまうのは、本当にそれでいいのでしょうか。

 写真だけでは、時代の記録としては不十分です。いつだれがどこで写したのか、少なくともそうした書誌情報が無ければ、単なる懐かし写真となってしまいます。実は本note記事のカバー写真もそうした中の一枚です。昭和20年代とは思われますし、恐らくは本職の方が写したであろう、完成度の高い写真なのですが、詳細はわからないので、時代の記録にはなり難いのも確かです。写真には証言が付加されて、初めて記録として価値を持つというのも間違いない話です。

6.まとめ&参考

 私たちは、地域の住民アーカイブズを作って、地域の資産にして行く活動を行います。本プロジェクト案は、2021年2月5日に公開した以下の記事を元に、ブラッシュアップしたものです。「#noteクリエイターサポートプログラム 」のご支援をお願いすると共に、各地方自治体の方にもご協力、連携のお願いをしたいと思っております。

 尚、本プロジェクト構想は、Voicyでも発信しています。ご参考までに。

記事公開後の補足:

 幸いにも、本記事公開後、何人かの方からご連絡を頂きました。日本のいろいろな地域で、同じように感じていらっしゃった方々がおられることに、意を新たにいたしました。もしかすると本構想は、特定の自治体を対象にするよりも、各地にいらっしゃるご高齢の方々にお話を伺いながら記録化して、時代そのものにフォーカスを当てるほうが、実現性は高いかもしれません。自治体自体、こういった活動には腰が重いのを体感しておりますので。

 Facebookでの公開ですが、「45分の思い出 (戦後~高度成長期編)」という表題で、多くのシニアに対するインタビュー記録を蓄積してあります。シニアの方々にお話を伺うのは、体力的なこともあって大体40分が限度だということは実感しております。最後に重要なお話しをされる方もいらっしゃいましたので、「45分」という中途半端な時間設定をしております。

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 こうした前提で考えると、日本全国が対象になります。少なくともご連絡を頂いた地域を複数考えると、交通費の捻出が課題になりそうです。事後的で認められないかもしれませんが、約20万円程度の交通費補助を頂ければ幸いです。(2022年10月1日追記)


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