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利根町・思い出ライブラリ―

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茨城県利根町の、住民アーカイブズのコンテンツを取り上げます。
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記事一覧

利根町シティプロモーションです

 このnoteでは、茨城県の南部にある小さな町、利根町のシティプロモーションの活動について発信していきます。    現在、利根町シティプロモーションでは、「利根町思い出ライブラリ」というプロジェクトを進めています。このプロジェクトは、利根町の住民から写真や証言を収集し、地域の思い出を保存・共有する、というものです。利根町の過去の風景や生活を記録して可視化し、未来の利根町の姿を考える基礎資料とすることを目指します。  過去の記録として、町の広報誌「広報とね」も活用しています。

地域の高齢者に、その町の記憶を残してもらうプロジェクトを始めます。(思い出ライブラリ構想)

プロジェクト内容:あの頃を知っている人たちの、記憶と記録をデジタル化して、地域の共有資産として行きたい。 0.支援して頂きたいこと 私たちも、以下の内容(市民アーカイブズ構想)で「#noteクリエイターサポートプログラム 」に応募します。何より、人々に興味、関心を持ってもらいたいので、プロジェクトの成果などを広く告知していただく、支援をお願いしたいと考えています。特に地方の過疎地を抱える自治体などに、地域の資産について、少し真剣に考えていただきたいと思っています。  費用面

昭和41年下半期の利根町(「広報とね」ダイジェスト)

茨城県北相馬郡利根町の広報誌、「広報とね」の昭和41年度下半期分で現存しているのは、8,9,10,11月号の4部です。上半期は、文化関係の話題が多くありました。下半期の主要な記事項目は以下のようになっています。 No.28 昭和41年8月10日   選挙人名簿をぜひご覧ください  市町村職員球技大会地区予選開く  東文間小学校地鎮祭  旧地主と農地報償  優良南瀬貯蓄組合等を表彰  美術展覧会を開催  剣友会18年を鑑みて No.29 昭和41年9月10日  利根町福祉セン

昭和41年上半期の利根町(「広報とね」ダイジェスト)

茨城県利根町の広報誌「広報とね」を分析しています。昭和41年度分は、2,4,7,12月号が欠番です。 昭和41年のできごと昭和41年、1966年は、高度成長期の始まりから10年ほどが経過して、ますます経済成長に弾みが掛かり始めた年です。昭和39年のオリンピックが終わり、社会は若干の落ち着きを取り戻した頃ですが、既に昭和2,30年代に存在していた旧態依然とした社会の姿は、大きく変貌を遂げつつある時期でもあるわけです。  以下に、各年度の出来事がまとまっています。これによると

昭和40年の利根町(「広報とね」ダイジェスト)

広報誌は地域の目撃者 茨城県の南側に位置する利根町は、その名前の通り、利根川沿いの静かな町です。利根川の恵みを利用した水田が広がる農村地帯で、神社と農事に纏わる祭事など、昔ながらの日本の地方の風情があります。しかし東京から40キロ程度、公共交通機関で1時間程度の距離にあり、十分通勤も出来る場所でもあり、ニュータウン開発なども行われ、都市のベッドタウンという側面もあります。  高度成長期の半ば過ぎ、昭和39(1964)年、東京オリンピックが開催された年ですが、その年から、利根

市民アーカイブズ構想(人々の小さな物語を町の大きなアーカイブズに)

この世界は誰が作ったの?(戦後編)ある缶コーヒーのCMが、ずっと頭に残っています。 「ねぇ、パパ、この世界は誰が作っているの?」 缶コーヒーは、マーケティングの題材として、誰でもが知っている商品で、M1層(20歳~35歳)が主要商品であり、実際女子大の中の自販機には殆どありません。だから、その層に向けたCMではあるのですが、この無邪気なようで実に深い子供の質問に対して、どう答えますか? CMでは、いかにも缶コーヒーのヘビーユーザであろう人々が出てきて、次々に「俺だ」と言

自治体広報誌を見たことがありますか?

基礎自治体と広域自治体改めて言うことでもないでしょうが、日本の地方制度は、二段階構造になっています。日本全国は、1,724の市町村、23特別区にくまなく分けられており、さらにすべての市町村、特別区は、47都道府県(1都、1道、2府、43県)のいずれか一つに包括されています。 市町村、特別区を基礎自治体(地方自治法2条3項では「基礎的な地方公共団体」)と呼び、都道府県を広域自治体(同条5項では「市町村を包括する広域の地方公共団体」)と呼びます。 広域自治体は、 「広域にわ