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くたびれサラリーマン、「やりたいことのナラティブ」を考える。

先日、本田哲也氏の著書「ナラティブ・カンパニー」を拝読させて頂いた。マーケティング・PR界隈では有名人の本田氏は大ヒット作「戦略PR」の著者でありPRパーソンとしての第一人者。その新作である。この本を読んで、ふと、「あぁ、ボクは、世界観を創るのが好きなんだ」と、心の底からのシミジミと感じたので、それを綴ってみる。

さて、「ナラティブ・カンパニー」をさくっとサマってみる。そもそも聞きなれない「ナラティブ」とは何なのか?また、「ストーリー」とはどう違うのか。あくまでビジネス文脈での整理となるが、ご容赦願いたい。

世界規模での社会意識の高まりがありますが、これらの変化に爆発的なブースト(増幅)をかけたのがコロナ禍です。これにより新しい行動様式が生まれ、私たちは「ニューノーマル」の世界に直面しています。とりわけ、企業と社会の関係性を広告やPR、マーケティングの観点から考えると、それは「3つの変化」に集約されます。
「共体験価値」の高まり
「社会的距離」の見極め
「自分らしさ」が問われる
これらの変化がもたらすのは「社会的な共創」(企業と生活者、多様なステークホルダー)の重要性。ここにナラティブが注目される理由があります。
ナラティブとストーリーの決定的な違いを、大きく以下の3つで整理する。
1.「演者」の違い:ナラティブの演者は「あなた(読み手・聞き手)」、ストーリーの演者は「第三者」
2.「時間」の違い:ナラティブの時間は現在進行形・「これから起こること」を含めた未来の話、ストーリーの時間は始まりと終わりが存在・起承転結型
3.「舞台」の違い:ナラティブの舞台は「社会全体」、ストーリーの舞台は「その企業が属する業界や競合環境」
本書では、ナラティブカンパニーを、以下のように定義する。
「ナラティブ(=物語的な共創構造)」を生み出し、その構造の中でマーケティングや広告・PR活動を行うことで、業績や企業価値の向上を果たしている企業」

いずれも「ナラティブカンパニー(本田哲也著)」から引用した。2つめは、ボクの方で少し加筆した。

ボクの解釈で言うと、いわゆる「ブランド・ストーリー/ストーリーテリング」と言われるマーケティング手法は、独りよがりでブランドがやりたいことを一人で語り、こんな感じの私になりたいでしょ?というお誘いのようなコミュニケーションだったと感じてる。これはこれで、ブランドに「憧れる」といった混沌とした時代から安定期に入るフェーズの消費行動にはうってつけだった。しかし、ナラティブが大きく違うのは、現在のように成熟期から衰退期(不安定期)に入ろうとしているときだと、「こっちの方に行けばよい」といった単純なコミュニケーションでは通用しない。「夢物語を語るなよ、現実を観ろよ」となりがちなためだ。だから、ここでナラティブがでてきた。ブランドが主役ではなく、「消費者であるの『あなた』が中心となって(ブランドはそのサポーターとして)、どうなるか結末がわからないこの社会を、一緒に変えていこう」という文脈の方が、より共感を生み、ファンビジネス・コミュニティビジネスになりやすいということだろう。はやりのプロセスエコノミーなどは、まさにこのナラティブを体現しているといっていいだろう。

前置きが長くなった。

こうしたナラティブの設計というのは、マーケティングで食い扶持を稼いでいる自分だけではない。もっと大きな目線で言えば、「自分のやりたいことをどう語るのか」という問いに対して、「ナラティブ」でなければならないともいえると思う。自分がやりたいことを語るときに、それが聞き手によって共感できる構成(演者・時間・舞台の3つの観点で)になっているか、見直すのは有益だ。はたして、自分のやりたいことを語るとき、聞き手が共感し、わくわくして、自分事できるような物語になっているだろうか。

前回のnoteでは、「転職」について書いてみたが、その中で「自分のやりたいことを副業でやる前提で、本業の転職をしてみよう」という内容だった。その中で、自分のやりたいことを「こんなややこしい時代に生まれて、なんやかんや幸せな人生を過ごしている人を増やす」と表現してみた。。。とここまできいて、ちょっとでも気になったそこのあなた!今すぐ見てくださいませ。そして、フォローをば、スキをば。

このやりたいこと、はナラティブとはいいがたい。なんとなくは伝わるかもしれないが、そこにはイメージできる演者が存在していない。なんやかんや幸せな人生を過ごしている人、ないしは、今は幸せではない人が自分事と思うだろうか。いや、思わないだろう(久々に反語をつかった)。では時間軸はどうだろうか。これはある意味、起承転結がないので現在進行形といえるけれど、最初の演者が不在のため、どう物語が進んでいくのか見えない。舞台はある意味「社会全体」のことであるから、ここはナラティブ要素としては入っている。しかし、上記の通り、演者がどんな状態になれるのか(または社会を変えるにあたっての役割)がわからないので、時間も舞台もうまく活かせていないことがわかる。

本田氏のおかげで、自分のやりたいことが、まだまだふにゃふにゃであることに気づかせてもらった。自分のやりたいことを、どう物語化していくのか。このnoteはその物語そのものになれるのかもしれない、という淡い期待を詰めつつ、次回はボクの目指したい世界観をもう少し具体化していければと思う。そのためにはどうすればいいか。もちろん「ナラティブカンパニー」の中でもナラティブを創るうえでの5ステップが丁寧に説明されているが、これは大きな企業やビジネス文脈であるため、個人的なナラティブを語るうえでは、もっと「物語」としてのカタチが望ましいとおもっている。

そこで、先ほどamazonから届いた、「物語の法則(クリスタファー・ボグラー&デイビット・マッケナ著)」を参考にして「やりたいことのナラティブ」を考えてみようと思う。ハリウッド映画でも多用されている、ジョーゼフ・キャンベルが考える物語の黄金律(フレームワーク)である「ヒーローズ・ジャーニー」を平たく説明したものだ。ボグラー自身も脚本家であり、ディズニーの「美女と野獣」や「ライオンキング」のストーリー開発に携わっている人物だ。この「物語の法則」を参照しつつ、ボクだけの、唯一無二のナラティブを考えていきたいが、それは次回以降のお楽しみとしておきたい(まずは読み切らなければ・・・)

以上、やや「ナラティブカンパニー」の読書感想駄文になってしまったが、ボクのやりたいことが、「もっとワクワクするナラティブになる」ように、陰ながら生暖かく見守ってほしい、といったところで、筆をおきたいと思う。




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