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Raison d’etre 【父の呪縛について】

親父は私の人生にいつも陰をつくる。
その呪縛からやっと解き放たれるはずだった。

2021年4月18日の未明に親父が逝きました。

葬儀から数えて3回目、緊急事態宣言が出される大阪から千葉県への移動にも慣れてしまいました。
親父が最後に残した問題も同時に片付け、私は父の呪縛を解き、心を軽くするつもりでした。
最後に親父が突きつけた問題、それは「遺産相続」でした。
そもそも、家族を捨てて自己破産した親父には多くの疑惑があり、裁判沙汰となっていました。
残された家族は無一文になり、親父は1億円近くを隠し持って蒸発した疑惑は今も残ったままです。

遺言書

2021年3月27日、親父の遺言書は作成されています。
このコロナ渦の影響で入院すると面会できない為、親父は在宅で治療を受けていました。
すでに、ベッドから起き上がることが出来なかった為、公証人役場の役人を自宅へ呼び「遺言書」は作成されました。
立ち会ったのは、父の新しい妻の親族と、小遣いをもらって父や新しい父の妻の雑用をしている人でした。
遺書の作成と同時に、長く一緒に暮らしていた女を自分の戸籍に迎えたのです。
親父の葬儀前日から、怪しい雲行きだと察知してはいたが、私は自己が親父の呪縛から放たれる道を選ぼうと思っていたのです。

親父の認知症について

親父の遺言書は、生前に私へ語っていたものとは大きくかけ離れた内容でした。
価値ある遺産のほぼ全てを、新しい妻に残すと、幾つかの矛盾とともに記されていました。
昨年から幻覚や幻聴があった親父は、包丁を持ちだし自宅で暴れ、50インチの液晶テレビに映った人を刺し、テレビを破壊しています。
目の前にいる人を亡くなった兄弟と間違え過去の話を始めたり、過去に生きたり、おかしな言動が目立っていました。
認知症の患者さんの介護を生業とする私の妻は、親父の認知症を確信していました。

敢えて、それを受け入れる決心

私は、親父が亡くなる22日前、もう衰弱して起き上がれない時期に作成された「遺言状」と「新しい妻の入籍」に、大きな疑問を持っていました。
親父の呪縛から放たれるならば、この疑惑にも目をつむり、受け入れる覚悟をしていました。
四十九日の前日、親父の新しい妻は遺言通りの相続を宣言しました。
私はこの宣言を受け入れる覚悟を内心決意しましたが、遺言を認めるとは言いませんでした。
これまで多くの親父が残した金銭問題を解決し、そこで得た私の「勘」が、今はその時でないと私に言ったのです。

叱責の罵声に、再び対峙を決意

父の新しい妻の宣言から一夜を過ごし、穏やかな気持ちで四十九日が行われる寺院の待合。
私の妻は、父方の兄弟が葬儀の時に望んだ永平寺への分骨について、最後の確認の為に親父の新しい妻の傍らで話をしていました。
すると、新しい親父の妻の親戚20名ほどがいる待合に親父の新しい妻の罵声が響いたのです。
それを浴びているのは私の妻でした。
私はすぐに間に入りましたが、新しい親父の妻は、葬儀の時に決まった分骨を、私の妻の出しゃばりだと言い切ります。
この理不尽を目の当たりにして、私は親父が残した最後の問題と対峙し、延長戦を戦う決意をしたのです。

悪行悪果、善行善果

それぞれの結果は、それまでの行いによる結果なのです。
欲に溺れず、嘘をつかず、正しきことをすれば、良い結果が訪れます。
それに反した行いには、それなりの悪果が下されます。
そうならない、このご時世の理不尽も沢山あることも知っています。
敢えて、理不尽を巻き戻すことこそが、私の人生に悔いを残さぬことと悟りました。
親父の呪縛との延長戦が、今日から始まります。

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