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歯医者にて

歯を中心に回っていた。
ある朝、目が覚めると歯が痛かった。寝ているときの体勢によって体のどこかが痛くなるのはよくあることなので、放っておこうと思い出勤することにする。お恥ずかしながら、わたしは歯医者が大の苦手なのだ。年単位で行っていない。けれど痛みは増していき、なんだか熱を帯びてくるような気がするし、口の中で変な味がするような気がする。その日は早上がりだったので、退勤後診てもらおうといくつかの歯医者に連絡したが、当日はなかなか受け入れてもらえなかった。しかし明日からは泊りの旅行。わたしのことだから、思い込みでどんどん悪化するだろう。
やっとの思いで予約を取り付けた歯医者では、お約束のように、ニュースエブリーが流れていた。以下歯医者にまつわる散文。

どこが痛いですか?
右下の奥歯です。
虫歯、ありますね。ここですか?でももっと大きいのは上の歯ですよ。親知らずもありますね。でも、目立って痛みそうなところ、見受けられませんけどね。

情けないことに、痛くなくなった。いや正確には、痛みを手放した感覚だ。第三者(専門家が望ましい)に、急がなくて大丈夫ですよとか、大騒ぎするほどじゃないですよとか、なんてことない痛みですよとか言われると、そんなこと言わないと思うけど、ケロッと大丈夫になってしまうような気がするのだ。目を見て、大丈夫、あなたはここにいます、それがいいかもしれない。

長い間歯医者に行っていなかったので、他にも色々あるかもしれないんですけど。
何年も歯医者に行っていなかった自分が悪いと思うんですけど。
必要以上に長い前置き。遠回しな言い方。自分を守るために尽くす言葉。
怒られるのが怖い。優等生でありたい。普通でありたい。
なんでこんなになるまで放っておいたんですか。そうやって責められる気がする。
洗濯機のメンテナンス。排水溝の掃除。触らぬ神に祟りなしじゃないけど、問題になるまで寝かせておくことがたくさんある。自分や社会に怒られないなら、やらないことがたくさんある。服も髪も歯も。そっちの方が良いとされていそうだから。誰かに許されたくて。でも、動機はなんであってもね、物事を進めるってある程度平等に、何事も難しいと思うのよ。保留にしていることばかりでも、毎日食べて寝て、自分が動かなきゃ進まない自分というプロジェクトを、日常を、動かし続けている。ああ儘ならぬ。日々儘ならぬことばかり。

以下歯医者にまつわらない散文。

使い古された漢字を見ると、胸がきゅんとする。
例えば、渋谷、駅
時代を見つめる漢字。記号でも音でもなく。

やっぱりいた。ピアノを通して世界を理解している人が。
それを重視している人はその人自身がピアノを通して世界を理解していて、世界と折り合いをつけていて、わかり合うために必要だと思っているのだろう、それが仕事であったりコーヒーであったりゲームであったりスポーツであったり読書であったり。世界と相手を理解するために。

亡くなった人の本や曲に触れると、「でも、亡くなってしまったじゃないか」と思っていた。こんなふうに世界を紐解いてくれたのに、生物のシステムには抗えず、もしくはやさしい言葉を紡いだ本人が辛くて、勝てなくて、いまここには生きていてくれないじゃないかと。突き放された気持ちになるんだ、なんとなく。だから、生きている人の言葉をいつも欲していた。だけど減っていくかなあ。いまこの人の言葉が聞きたいと思うような、必要な言葉を発してくれる人は。故人に訪ねることも多くなった。だれも無闇に理想を語ってくれない。無責任にやさしい言葉をかけてくれない。終わってる、こんな世界。やっと自分の番が回ってきたことに気づいていないのか。

最近、言葉を扱うことを仕事にしている人とお話しした〜。近々書く。え、歯?ああ、歯はもう痛くない。やっぱりだ。痛みは気分だ。なんて情けない痛み。

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