蜃気楼
涙がでているのに気づく。ただ、その理由が分からない。でもたぶん彼のことだろうなって思いを巡らせてみる。遠距離恋愛を初めて、2年と数ヶ月が経っても、彼と会った翌週はだいたい心のバランスを崩す。
前の日にうすいピンクのマニキュアを塗る。とびきりの笑顔で、彼を見つける。会っていなかった時間を巻き戻すように、彼の日常を聞く。前回会った後までカメラロールを遡って、わたしの日常を話す。彼にふれて、重みを感じて、彼をわたしの五感に記憶する。夜中に手を繋いで歩いて、買ったパピコを手渡す。日が昇ったらちょびっと豪華な甘味を探しに街へでかける。エスカレーターで彼がわたしの首に腕を回す時、ドキドキを悟られないように明るい声をだしてみる。すきって言葉だけじゃ伝わっていない気がして、全身を表情に変えて彼に幸せを伝える。ほんとにかわいいよね。ふとした一言と彼の視線が、わたしを舞い上がらせる。
実家で飼っていた愛犬が、名前を呼ばれてかわいいねってくしゃくしゃに顔の周りを撫でられる時、全身で嬉しがっていたことを思いだす。
実際、わたしは彼にとって一部愛玩の対象であると思う。それさえも嬉しいと思うのは、よくないことなのかな。
今遠距離恋愛を続けられているのは、将来ふたり一緒の未来を、ぼんやりとお互いイメージしているからこそだ。
そんなことはわかっている。
しかし、それを少しずつはっきりさせようとどちらからともなく話し始めると、途端に彼をまっすぐ見られなくなる。
あまりにも、彼が遠い。
彼の隣に同じ目線で立てる日は来るのか。
やりたいことなんて分からない。
なりたい自分は遠すぎる。
次から次に、押さえつけていた自己嫌悪の底知れぬ入れものの蓋が開いて、いっぱいいっぱいになる。
そんなわたしを見兼ねて、彼はそんなプレッシャーに感じないで、と言いつつ、あと3年がリミットかな、と言葉を残す。
3年。短いようでいて長く、長くて短い。
彼と別れ日常が流れはじめて数日、彼のSNSを追いながら沈んで漂っていたわたしは、ふと、今回こそ彼との将来にまっすぐ向き合いたいと思った。
そして、それを記録に残したいと思った。
ぼんやりと見えていた幸せは、もしかすると蜃気楼に終わるかもしれない。
それを意味するかのように、彼との将来について書こうとすると、途端に文字を打つ指が止まる。
でも、心の感情を表す液体が堰を切って流れだすまで静かに息を殺してため込むタイプのわたしは、こうして一文字ずつ記録して発信することが、まっすぐとたつ支えになる。と思う。
そのための文章なんて、みんなが読んで気持ちのいいものではないだろうけど、心のどこかで一部でも共感しあえるひとがいたら救われるなと、自己中心的に思ってもいる。
折にふれ、書いてみることにする。
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