ゆのみのはなし 1
久しぶりの更新となりました。ご無沙汰しております。
夏至も過ぎ、夏本番といった暑さが連日続く今日この頃ですが、元気にお過ごしでしょうか。半年以上も更新が滞っている間にこちら、文章を書けなくなったり髪が伸びたり掌のマメがつぶれたり、付き合ったり別れたりしております。30代の正しい時間の使い方をまったく心得ていませんが、いい音楽を聴いていい酒を飲める夜に楽しく人と過ごせればそれでいいと思うようになりました。ラブアンドピース、ロックアンドロール。
6月から苫小牧民報の「ゆのみ」というコラムコーナーを担当することになりました。北海道の胆振管内、9名で回すので3週間に1回自分の書いたものが掲載されます。ちょうど文章を全く書けない時期に頂いたお話で、文章を書き続ける筋肉を鍛えていくための自分なりの挑戦としてやらせていただくことにしました。
すでに4回更新されており、基本的には新聞を買っていただくか、電子版の有料会員に登録していただくしかないのですが、せっかく書いているのでバックナンバーを本音や裏話と合わせて、時間差でそれまでの掲載分をnoteの方にも更新していきたいと思います。(やっていいのかわからないけど、怒られたら消します)
1. 「町の豊かさ」 6月15日掲載
【裏話】 真逆の2つ
初回ということで、めちゃくちゃ肩の力が入っていた。締切の1ヶ月前から書きまくっていたけれど、ほとんど納得のいくものが出来上がらず。もともと持っていた好きなエッセイストの本を読んでみたり、「小田嶋隆のコラム道」を読んだりしたけれど、600字のなかに何を書けばいいのか余計にわからなくなって、「カレーの福神漬けをどのタイミングで食べるのが良いか」という今思うと恐ろしいほど迷走したタイトルに行き着いたりしていた。一人称も「僕」か「私」で迷っていたほどだったし、文体も何が適切なのかわからなかった。
「厚真町のことを好きかどうか、よくわからない」という文章を書いてから、改めて書き溜めたものを見返していた時に一番下にあった文章が、最終的に掲載された「町の豊かさ」の原形になるものだった。締切の前日まで真逆の結論ともいえる2つで迷って、最終的に「1年後の自分に向けて」という願いを込めて、「町の豊かさ」の方を整えて提出することにした。
最終段落の『「好き」にはまとわりつく責任も課題もあるかもしれないが、理屈抜きの「好き」にかなうものはない』というのは、本当に好きなのかどうか迷った自分に向けて、「でも、こう思っていたい」という自分なりの素直な気持ちで書いた。
2. 「シイタケとバトン」 7月6日掲載
【裏話】 人のことを書くのってムズカシイ
昨年制作して文学フリマで販売したエッセイ集「生活の幽霊たち」を読んでくださった方からの感想で、「会ってみたいと思うような内容だった」といわれてすごく嬉しかった。次に文章を書くうえでの目標として、僕ではない文章の中に登場する人たちに「会いにいきたい」と思ってもらえるような文章を書けるようになりたいと思うようになった。
たまたま堀田さんのしいたけ農園で1日作業を体験させていただき、個人的に感じたことがたくさんあったので、後付けでその体験をコラムにして書いてみようと思ったけれど、実際は思った以上に書くのに時間がかかった。というのも、自分のことなら誤解を生んでしまったら自己責任で済むけれど、人のことを実名で書く以上はその人に責任を負わせてはいけないと思って、その分できるだけ丁寧に書いた。そんななかで、体験に参加していた同僚がぎっくり腰になった話は、惜しみながら割愛することにした。めちゃくちゃ笑ったんだけどな。人のぎっくり腰を爆笑している人間が、「原木の気持ち」って言っても説得力ないし。
初回からほとんど肩の力が抜けきれていないまま書いた文章なので、個人的にはもっとこう書きたかった、みたいな部分もありつつ、掲載された後に堀田さんから「コラムを読んでくれた方から連絡をもらえて嬉しかったです」と温かく言っていただいたおかげで、書いて良かったなあと思った。
できることなら毎回、町で出会った人のことを書こうと思っていたけれど、それはすでに「ゆのみ」の執筆メンバーのなかでやられている方がいて、とても素敵な文章を毎回書かれているので、そこへの憧れはそのまま、僕はできる時にできるだけ、ちょっとずつやってみようと思った。
3. 「バンド記念日」 7月27日掲載
【裏話】 今日のこと、ずっと昔のこと
バンド、今年はできないと思った。わりと早い段階から楽器に触れてある程度は弾けるメンバーが揃っていただけに、文化祭直前でモチベーションが下がってしまったのか「やっぱり出ません」と言われた時は、少なからず落ち込んでいた。
今回の文化祭は、音楽好きな校長先生のおかげでなんとかバンド出演できたところが大きくて、もともと昨年の生徒たちとのバンド発表の話を聞いて、今年も楽しみにしてくれていたので、本番1週間前に「厳しそうです」って僕が言ったときにすごく残念がっていた。ダメ元で「aikoのカブトムシならアコースティック編成でなんとかできるかもしれないです」と伝えて、急遽組んだバンドで放課後たくさん練習した。この時期、いろいろと加藤的にもバタついていたので、ほとんど記憶がないのだけれど、無理を言っても「やってみたいです」と付き合ってくれた生徒たちには本当に頭が上がらない。
高校生たちと一緒に過ごしていると、時々自分の高校時代の記憶や昔の話をふと思い出すことがよくある。コラムの最初の方に出てきた数学の先生の話も、そのうちの一つ。大嫌いだった数学を好きになった瞬間をはっきり覚えていて、モノの見方ひとつで自分自身の小さな世界が大きく広がる瞬間を、自分が関わる生徒たちにもひとつでも多く感じてもらいたいと思う。
基本的に「ゆのみ」のコラムは締切までにネタから考えて書いているので、今回みたいに日常の出来事と自分の中の記憶がうまく結びついて、バランスよく文章が書けると、ちょうどいいなと初めて肩の力を抜けた3回目の「ゆのみ」だった。
7月も後半で、ちょっと遅くなったけど「サラダ記念日」。
4. 「夢色くじらの海を見て」 8月17日掲載
【裏話】 睡眠不足の朝に重なる
撮影の仕事や文章の仕事、夏フェスと東北視察、いろんな仕事やいろんな時期が重なったことで、ほとんど睡眠時間がなかった8月上旬。このパステルアート教室は徹夜してそのまま重たい脳と身体を引きずりながら参加したのだけど、このコラムの文章も別の〆切と重なってしまい徹夜明けの朝に書いたものになる。そういう意味で自分の中では臨場感というか、自分自身の状態を再現しながら書けたので、これまでより比較的スムーズに書けた。やる時はやる、というよりも、やるしかなかったのでやりきった。意外と作り込み過ぎてしまったものよりも、こういう時に書いたもののほうが自分的には読み返しやすかったりする不思議。
それにしても、パステルアートはすごく楽しかった。指で擦るから、それぞれに生まれたムラだったり、色の混ざり方の違いが全然違っていて、それでいてどれも魅力的な世界が生まれていた。子どもだから「すごい」って褒めるわけじゃなくて、本当に心からすごいって思った。
最初、あんまり黒を使う子どもが少なかったので、僕は黒を使って描いてみたら思いのほかダークな雰囲気になって、周りにいた大人たちから「・・・疲れてる?病んでる?」とか言われて少し焦ったけど、最終的に自分的にも気に入った夢色くじらが描けてよかった。(ほっとした)
あと、眠いのとか関係なしに子どもたちと話していると元気が出てくる。むかし図工とか美術の時間大好きだったなって思い出した。あと、夏休みの特有の空気感というか、僕もむかし夏休みに「なんとか作り体験」みたいなイベントによく親が連れて行ってくれてたなって思い出した。なぜか一番最初に思い出したのは、弥生時代のまいぎり式火おこし機の制作体験。あの木の取手を上下に動かすと捻れた紐が絶妙に回転して、下の板に開いた穴から摩擦で火を起こすやつ。夏休みに何か作ったり出かけたりしたのって、案外時間が経って大人になっても覚えているもんだ。いつか僕にも子どもができたら何を作るんだろう、ギターとか一緒に作ってみたいな。眠いときこそ幸せな夢を見よう。
今後とも、苫小牧民報「ゆのみ」でのコラム連載は続くので、応援の程よろしくお願いいたします。頑張るぞい。
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