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友達はいるけれど仲間はいない

久しぶりに一人で夜を過ごしている。かれこれ同棲を始めた2019年の12月から家に丸一日一人でいるということは少なく、2人かまたは共通の友人を呼んで休日を過ごすことも多く、何年かぶりという勢いで孤独を感じている。

正直今まで休日に予定を詰め込みすぎていた。

コロナ禍に入るまでは金曜の夜から脳内がフィーバーし、飲んでは朝に帰り土曜の午前中は寝て過ごし、気がついたら日曜の夜にサザエさん症候群を迎えるのが定番だった。「ああもう明日仕事じゃん、行きたくねえ〜」

平日のストレスを全て発散するかのように、暇な友達や後輩がいれば誘い、飲み、ゲラゲラくだらない話をして楽しんだ。たとえ居酒屋に行かなくたって友達といれば楽しいし、幸せな気持ちになれるし、美味しいものもさらに美味しく感じるし、寂しさを感じることもない。頭の上には常に花が咲いていて、これが何年も続けばいいと思っていた。


きっと誰もがこの2年間、自分と周りの人との関係を見直したことがあるだろう。

飲み屋は閉まり、街は明るいうちから人が少なくなり、「おうち時間」が大流行した。あんなに頻繁に行っていた旅行も行かなくなり、友達とはよほどの約束がない限り会わない時間が続いた。お互い暇だからなんとなくという理由で会って連絡していた友達とはすっかり連絡を取らなくなり、休日に会う人は大体同じ人に限られるようになった。


そんな日々が続いたところ、私は友達と「会いたい」と思うことがかなり減った。一人の時間や旦那さんといる時間が充実していることはもちろんだが、「遊ぼう!」と連絡が来てその場では嬉しくなって「いいよ!」とすぐに返すものの、前日や当日になると面倒になってしまう。

暇さえあれば誰かと一緒にいたい、友達大好きだった人間がなぜこうも変わってしまったのか、さっきお風呂に入りながら自分と向き合った結果、「解散した後の何も手に入らない感」がどうも苦手だということに気づいた。

もちろんその場にいる時の楽しさ、幸福感は自分の全てを満たしてくれるものであることは間違いない。ただ、じゃあねと別れた後に虚しさや喪失感があることは否めないし、正直「楽しい」以上のものは手に入らない。


社会人になってから「社会人サークル」と称したスポーツ活動に所属する人や、習い事のメンバーで仲良くなったりする様子を時々見かけるが、今ならその人たちの気持ちがよく分かる。母親になった女性たちが「ママ友」を作る理由もそれに同じだ。


きっと人間は、「仲間」と生きていくことに心からの充実感を得るのだと思う。


同じ目標を持ち、共通の悩みがあり、時には励まし合いながら歩んでいく、そんな存在がいることはどれだけ幸せだったのだろう。

休職している今、私には仲間がいない。一緒に仕事をする仲間もいなければ、同じ目標を持つ仲間もいない。

いくら暇な時間を埋めてくれる存在が近くにいても、心の穴は埋まることはない。



まあとりあえず今は、そんな状況を今日明日で打開できるわけでもないので、1日1日を懸命に生きるのみなのである。




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