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日米企業の仕事観がぜんぜん違うので思わず笑ってしまった話

最近読んだ2冊の本について


最近、日米それぞれの超有名な経営コンサルタントの著書を読んだのだけど、書かれていることが違いすぎて思わず「お……お国柄……」という感想が泡を噴くみたいにこぼれ出した。

その二冊とは、アメリカを代表する経営コンサルティングのレジェンド、トム・ピーターズの名著「経営破壊」。そして日本の経営コンサルタント、小山昇氏の「会社を絶対潰さない組織の強化書」だ。

タイトルからして、真逆……!!

本稿は、備忘録がてらの試論である。両書を比較することで、日米の企業の在り方を浮き彫りにできるはずだ。

どうぞ、お付き合いください。


トム・ピーターズ「経営破壊」概要

元マッキンゼーという華々しい経歴を持つトム・ピーターズの「経営破壊」。ビジネス書のバイブルともいうべき名著なので、本棚に並んでいるよという読者も少なくないのではないか。初版は1994年だが、その内容はいまの目でみてもまったく古びていない。

全編を通して、核となる考え方は一貫している。変革の時代においては、これまでの安定を求める働き方は通用しない。ビジネシングレジュメイングが肝要だ、と主張されている。

これらは著者一流の造語であり、ビジネスとレジュメ(履歴書)に現在進行形 ing を組み合わせたものだ。

ビジネシングとは?

ビジネシングとは、すべての一介の従業員が起業家、ビジネスパーソンとして働くこと、と定義されている。おそらく、意識高い系の会社でよくいわれる「経営者目線を持て」という言説のハシリではないだろうか。

ただ、インテリジェンスが乏しくともすれば茶化されがちなそうした言説とピーターズの主張では、いささかニュアンスが異なる。

ピーターズが言いたいのは、仕事をするうえでの最小ユニットは個人、あなた自身なのだ、企業組織内で働くときでも独立した個人事業主として仕事を受けるつもりで絶えず専門性向上に努めなさい――という意味合いなのである。

レジュメイングとは?

レジュメイングも基本的には同じ考えに立脚している。同じ会社で一生を過ごすことが難しくなった現代では、現在進行形で履歴書に加筆していくイメージを持ちながら日々の仕事に励む必要がある、というもの。

例えば、一年前からスキルに変化がないなら、日々の仕事を見直したほうがいい。直近の仕事で履歴書に特筆するものがないなら、同じルーティンワークをくり返しているだけだ。成長がなければ、それはまごうことなき退歩であり、市場での価値を失う――ピーターズは、そう言っているわけだ。

組織に依存しない働き方

ピーターズの主張は、明瞭そのものだ。現代にあっては組織への依存は危険である。どこの会社組織に移っても、また、独立することがあっても揺るぎない、専門性を身につけなければならない。大学卒業後、机に向かって本を読むような人は稀だ。だけど、加齢による減価償却以上のアップグレードを果たさない限り、市場価値は瞬く間に下がってしまう。

じつにアメリカ的な考え方だが、日本でも個人の技能で糊口をしのぐクリエイターやエンジニアなら、共感するところが大きいのではないか? これらの職種は、特定の組織に属していても、個人商店、雇われガンマンのような働き方をすることが多い。一般的な職種の人びとが家でテレビを観てくつろいでいる間も、絶えずひとりで黙々と技能や知識の研鑽に努めている。レジュメイングという言葉自体を知らなくとも、仕事の際は常に自分のポートフォリオの更新を意識して働いている筈。かくいう筆者も、その口だ。

しかし、おそらくそういう働き方は、日本では多数派ではないし、歓迎もされないだろう。


小山昇氏「絶対潰れない組織の強化書」概要

株式会社武蔵野の代表である小山昇氏の書籍はというと、ピーターズのそれとはまったくの真逆だ。氏いわく、従業員個人の能力や資質は問題ではない。大事なことは、従業員が社長と同じ考えを持つようくり返し価値観教育を施すこと。また、金太郎飴のように均一な仕事をするロボットに育てること、というものだ。特定個人の資質に依存すると、その人材が退職した際、同じサービスを提供できなくなるためである。

こういった風土では、自分でものを考えられる優秀な人材や突出したスキルを持つ人材は、むしろ必要ない。害になることさえあるだろう。

個人の高い能力を結集して組織を活性化させるアメリカ的な考えに対して、日本は旧日本陸軍的な横並びを求められる。ステレオタイプなイメージどおりではあるが、令和の時代にあってもこれほど価値観が両極に振れるのは、いささか衝撃的ですらある。


どちらの主張が正しいのか?

主張の内容は真逆だが、では、どちらの主張が正しいのか?

筆者の考えでは、どちらも正しい、だ。

というのも、ピーターズと小山氏、両者の考えはあくまで日米の風土に最適化した結果だからである。

日本とアメさんでは事情が違う

つまり、同じ経営コンサルタントでもピーターズと小山氏ではその顧客の客層がまったく異なる。日本は中小企業の比率が高く、全体の99.7%を占める。当然ながら、小山氏の顧客もほぼすべてが中小企業なのだ。したがって、氏の方法論が日本の中小企業向けに特化するのは仕方のないことといえる。

日本の中小企業で求められる人材は、有能な人材ではない。安月給に文句を言わず、とにかく言われたこととをこなすマシーンである。自分でものを考える資質や、研鑽が必要となる高度な能力やスキルなど、そもそも求められていない。

中小企業は、大企業に入れなかった凡庸な人材で動いている。社内に高度教育するようなリソースもない。そのため、中小企業では、スキルがなくとも業務が滞らないようなワークフローが組まれている。業務をとにかくマニュアル化して、だれにでもできるタスクに寸断する。従業員のスキルアップや達成感など、いっさい考慮されていない。専門知識や技能が必要な業務が発生すれば、都度アウトソースすればいい。結果だけみれば、たしかにそのほうが効率的だ。

中小企業の仕事の大部分はスキル不要のルーティンワークであり、賃金も安く、スキル獲得の天井も低い。そのため離職率は高いが、人員はあくまで替えの利く歯車であるため、代わりの補充はいくらでもできる。

ぎゃくにいえば、中小企業に何年勤めても、多くの場合、他社で通用するような専門性は身につかない。習得できるのは企業特殊的熟練に限られるからだ(参考記事:ChatGPTで転職市場はどう変わるか?)。これはとても皮肉なことだ、中小企業は年収の上限が低いため、早めに転職する必要がある、にも関わらず、中小企業にいる限り転職できるだけのスキルや職歴が身につかないのである。中小企業から転職する際、大多数の人が年収を落とさざるを得ないのはそのためだ。

一方、アメリカではレイオフや転職が日常的なので、均一化されたタスクをこなしているだけの人間は、あっという間に職にあぶれる。向こうさんでは、個人個人のスキルが重要なのだ。

日米の経営コンサルタントで主張が正反対になるのは、それぞれの国の風土に最適化された結果であり、どちらが絶対的に正しいというものではない。

マクロ視点では話が違ってくる

ただ、どちらの主張も正しいというのは、あくまで会社単位のミクロの話だ。

マクロ視点では、話がまったく違ってくる。

金融アナリスト、デービッド・アトキンソン氏がしばしば指摘するように、日本の労働生産性は国際比較すると異常に低い。2021年のデータで日本の一人当たり労働生産性は81,510ドル。これはアメリカの半分程度に相当し、OECD加盟38カ国中29位という体たらくだ。

当然ながら、労働生産性と連動する最低賃金を比較しても結果は同様。2022年のデータで日本の最低賃金961円に対し、オーストラリア21.38豪ドル(約1,984円)、アメリカの実効最低賃金が11.80米ドル(約1,572円)。数字の列挙は省くが、EU圏と比較しても日本の最低賃金は大きく見劣りする。

こうした経済格差の原因として、日本は中小企業の数が多く、そのため経済全体の生産性を上げられないというのはよくいわれるところ。

中小企業庁のデータ:中小企業・小規模事業者の労働生産性と分配

上のグラフをみてもわかるとおり、日本の中小企業の労働生産性は、大企業の半分以下である。スケールメリットの問題ももちろんあるが、従業員ひとりひとりの資質の差が無視できないほど大きい。

日本企業の大多数が中小企業であることを考えれば、国際競争で不利を強いられるのもむべなるかなだ。国からの補助金で生きながらえているゾンビ企業も多いため、大きな足かせとなっていることについては、多くの識者が見解を同じくしている。

小山氏は絶対潰れない組織の作り方を掲げるが、それは同時に、潰れにくいが生産性も賃金も個人の能力も低い組織の作り方なのだ。

一方、トム・ピーターズは、企業の生き残りについてほとんど重視していない。時代に添えなくなった生産性の低い企業が淘汰され、市場から退場するのは然るべきという考えだ。だからこそ、組織のチーム力よりも、個人のスキルを重要視している。スキルのある個人が大勢いれば、企業がいくつなくなろうとも、経済全体でみれば影響はない。

そこが両者の考えの決定的な違いといえるだろう。


個人的な所感は……

個人的な話をすれば、日本の中小企業の働き方には、到底適応できない。背すじがうすら寒くなりさえする。他人と同じ均一化された仕事しかしない、クリエイティビティもなにもない環境、ひとつの価値観でまとまった宗教団体みたいな退屈なチーム。個人技能を拠りどころにするクリエイターやエンジニアにとっては、ディストピアでしかない。

ただ、日本の中小企業で働くさほど優秀でない大多数の人びとは、そもそもdystopiaという単語や概念を知らないだろうから、特に問題にならないのだ。

また、こうした風土の違いをみるに、日本のほうがパワハラが起こりやすい環境であることはまちがいない。というのも、社内でスキルが評価基準にならず、だれがやっても差が出ない仕事しかない場合、相対的に自己主張の強さが環境に適応した特性になる。お局とかパワハラなんてのは、日本の中小企業だけの風物詩であるのかもしれない。アメさんの企業の内情などはよく知らんけど。

以上、国によって適応的な働き方が違う、というのは確かである。なにも考えない、それほど有能でない人のほうが日本の中小企業で働きやすい、それは一面で真実であるに違いない。

ただ、突出した能力のないトップが突出した能力のないチームを率いる、それはたいへん効率がいいし、安定はするだろうけど、一生を懸けられる仕事といえるだろうか。

中小企業のトップは、従業員を守るために会社を潰すわけにはいかない、などとありきたりな美辞麗句を並べる。だけど、なんの専門性も身につかず、生産性も賃金も上げられない、付加価値の低い組織を半ば国の負担で永らえさせるのは、単にすべての人間を不幸にしているだけではないか? なにより罪深いのは、なにもわかってない若者をなかば騙すように安い賃金と低い付加価値しかない環境に閉じ込めてしまうことだ。

クリエイターやエンジニアの多くは、組織で効率的に利益を上げることなど、もとより念頭にない。自己の技術の研鑽に、なにより重きを置いている。昨日の自分より今日、今日の自分より明日。スキルと見識を日々、向上させていく、その愚直な過程こそが重要なのであり、そのためには効率など二の次なのだ。

これは職種の違いというより、人種、生き方の違いといえるだろう。

その結果、組織内で評価がどう振れようとも――生き方までは、変えられる筈がないのである。

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