父がジュワッと消えた話
父は、私が7歳ぐらいの頃に蒸発してしまった。ジュワッと。
お互い40歳近くに結婚した父母は、私が1歳になる頃に離婚してしまった。私は母に引き取られた。
とはいえ、私が7歳頃までは父も、市営住宅に住む私と母に会いに来てくれていた。母と父は一緒に酒を飲むか、二人でオセロなどしていた。私は二人が対戦しているのを見るのが好きだったので、よくせがんでいた。母が勝って、「負けちゃったよ~。ママは頭がいいねぇ」としょんぼりする父を見るのが好きだった。
父は私のことを猫可愛がりしていた。「YeKuタンは可愛いね~」などと言いながらキャッキャ言う私を抱き上げて頬ずりなどしていたような気がする。私にとってはいつもひょうきんで優しい父であり、出かけた先で眠くなって「YeKuちゃんもう帰る~!」などと駄々をこねても、怒られた記憶はない。
5歳くらいの頃、父が私を連れて一緒に本屋さんに行ってくれたことを覚えている。そこで私は分厚いナゾナゾの本を見つけ、父に「これ欲しい~!」とねだった。大きな父は上から覗き込み、「ほんとにこれが欲しいの?」と不思議そうな顔をする。父は「男はつらいよ」を愛好する完全に昭和な男性で、だからと言ってはなんだが、ナゾナゾのように知的な香りのものを女の子が欲しがるのは不思議だったのかも知れない。
それでも、私に甘い父は本を買ってくれた。ホクホクしながら母の待つ家に帰る。「パパが買ってくれたの?」と優しい顔で聞く母に、「うん!」と元気よく見せびらかしたものである。
だが、私が7歳ぐらいになった頃、父はパタリと訪れなくなった。「パパ次いつ来るの?」と母に聞いても、母は「いつだろうね」とごまかすばかりである。でも、それから数年は、私の誕生日が近くなると、郵便受けに白封筒が入っていることがあって、中に一万円札が入っていたりした。母に報告すると、苦いものを飲んだような顔で、「……そう。良かったわね」と言う。
学校から帰ってきて郵便受けを開けるたび、父からのお金が来てないかなと期待するようになったが、それも数年すると無くなった。
後から聞いたところ、なんと母は父の借金の連帯保証人になっていて、父が消えたことで肩代わりして借金を返さなければならなくなったらしい。母はこの話をしたがらず、正確な金額は知らないが、数百万はあったそうだ。
どうやったらそんな額の借金ができるんだろう? どういう神経をしていたら母子家庭の母一人にそれを背負わせられるんだろう?
また、離婚した理由は、父の暴言や暴力だったそうだ。母は私が赤ん坊の頃、私に危害が及ぶのではないかと怖くなり、夜でも近所の公園に逃げだしたこともあったと聞いた。
本当かは知らない。父とは音信不通である。
私に会う時、父は非常に優しかったが、まあ、一緒に暮らしていると色々あるだろう。
私は、母が父の借金の連帯保証人になったという話が信じられなかった。保証人ならば返済を求められても「本人に取り立てしてくれ」と言えるが、連帯保証人は自分が借金したのとほとんど同様に返済義務が生じる。
「なんで?」と聞いたところ、母は押し黙り、目を逸らして、「断れないでしょ」と答えた。懐に入れるとひたすら甘やかす母である。おそらく、その調子で甘やかしてサインしたのだろう。
私は生涯、絶対に借金の保証人にはならないと心に誓った。
母は私をなじる時、「あんたはお父さんそっくりよ!」と怒鳴ることがある。心外である。私は無責任に結婚して子供を産んだりしない。返せない借金もしない。
私の父に対する印象は「クズなのかなぁ」という感じである。母は私を育てながら借金を返すのに苦労しただろうが、私は特に苦労していない。父からはひたすら優しくされただけで、暴力を振るわれたことも無ければ、暴言もない。どちらも母からはあるが。
でも、不思議なことに、何度引っ越しなどで荷物の整理をしても、あの時父が買ってくれたナゾナゾの本を捨てられずにいる。なんでだか分からない。捨てるかと思って手に取ると、ゴミ袋に入れようとする手が止まって、じっと眺めてしまう。「お父さんが買ってくれたんだよな……」と思って、結局元の棚に戻す。
思えば父が私にくれたもので、残っているのはこの体と、謎々の本だけだ。だからなのか? 我が事ながら不可解である。
そんな調子で父とは二度と会うこともあるまいと思っていたが、なんと、数年前、父の生活保護の扶養照会が届いた。住所も書いてあった。私が子供の頃住んでいた町から電車で30分程度の町である。当然断った。
借金残してジュワッと消えた父なんぞ知らん。私は税金を払っているし、それ以上に何か支払う余裕はない。
でも父が生きていて、小さなアパートで貧しい独り暮らしをしていると知ってしまってから、父のことを考えるようになってしまった。父はお腹の大きな人だったが、今は小さくなっているのだろうか。タバコをプカプカ吸っていたから、肺病の一つも患っているかもしれない。
別に、だからと言って会いに行こうとは思わない。結局母に借金を押し付けても、最後は生活保護で生きていかざるを得ないほど、人生を立て直せない人である。性根は変わっていない可能性が高い。ただただ、どうしようもない人だなあと思う。
でも、前回母についてエッセイで触れた後、色々自分のことを振り返ってみたところ、どうも男性全般的に対し、無慈悲で共感しづらい自分に気づいた。原因が父の不在にあるような気がした。
それで、この本を買った。
この本を読んで、やはり、父がいない子どもは、男性パートナーや上司との関係性に問題を抱えやすいということが分かった。
私の場合は、男性に対して共感しないことで、父に対する感情をシャットアウトし、自分を守っているような気がする。
加えて、私は明らかに女性に弱い。自分も女性でありながら女性を守りたいと思っている。
単に女性の少ない職場でキャリアを積んできたからだろうと思っていたが、もしかしたら、あってほしかった理想の父親像《女性の味方で、強くて賢くて優しい》を自分に当てはめて、自分にそれを課しているのかもしれない。
ところでこの本の中で、びっくりして固まってしまった記述がある。
父が今も私を愛しているとは、考えたこともなかった。
父親とはそういうものだろうか? 自分で産んだわけでもない、1年ちょっとしか一緒に暮らしていない、借金を負わせ、蒸発し、何十年も音信不通でも、娘に対する愛を持ちつづけるのだろうか。
……論理的に、可能性としては否定できない。
それに、私が精神疾患を抱えているということは、遺伝的に、父もそうであった可能性がある。
すると、定職で働き続けるのは難しく、精神的にも不安定で、借金を返すことも難しいかもしれない。つい逃げてしまうこともあるかも知れない。
なんて弱い父だろう。もしそうなら、私という娘を持たない方が、余計な罪を背負わずに済み、幸せだったのかもしれない。
それでも、父もまた、今でも私にナゾナゾの本を買い与えたことを思い出す瞬間があるだろうか? 遊園地に遊びに行った時のことを? いっしょにご飯をよそった時のことを?
父はどんな思いで、私の誕生日、顔を見せないまま、ポストにお金を入れたんだろう。
……私はこと、ここに至って、数十年封じてきた、父に共感してみるということをやってみた。
父は私を愛してくれたと思う。父自身、問題を抱え、母との関係もうまくいかず(それは私も一緒なので何も言えない。母はむずかしい)、それでも子どもを持つに至った。
そしてその娘を父として十分愛し守ることはできず、苦労を掛けることになった。娘は色々と社会的にドロップアウトしている。
それでも父にとって、おそらく子どもは私一人で、遺伝子の半分を分け与えた存在だ。赤ん坊だった私の小さな手足が動くのを見て、この子を守ろう、愛し抜こうと誓ってくれたはずだ。
そう考えると、父が自分の弱さゆえに、離れていったとしても、それを憎むことはできない。私にとってもたった一人の、大好きな父だったのだから。
だから、父が私に何をしたにせよ、もうそれもひっくるめてすべて許したいと思った。
すべて過去のことだ。今は、もしかしたら、まだ私を想ってくれているかもしれない父と、父が大好きだったと思っている娘しか存在しないのだ。父を見下げ果てているよりも、許す自分でいたい。
私には、短い間でも、父が、優しくしてくれた記憶だけあればそれで充分だ。それ以上に求めることはない。だから最後にこの言葉を送って締めにしたいと思う。
私を覚えていますか。
娘である私が祈ります。
どうかあなたの毎日が、最後まで幸せで、健康でありますように。
他の愛すべき人々を思うのと同じように、あなたのことを、心から祈っています。
私を愛してくれて、ありがとう。
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