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14歳の不登校引きこもりが自立しようとした話

 私は、色々あって13歳の頃、母とは決別しようと考えた。

 晴れて不登校の引きこもりとなった当時の私の生活は、締め切った薄暗い部屋で、朝起きたら読書やネットサーフィン、母が仕事から帰って来たら自室に戻り、夜、母が寝静まったらまたリビングでPCをいじったりして過ごすというものだった。
 母がリビングに来そうになると、おびえたネズミのように素早く自室に戻っていた。

 リビングを通らずトイレに行くことはできないので、基本的に水を飲まないようにしてトイレには行かなくて済むようにしていた。

 この生活のストレスは激しかった。
 私は常に母の気配をうかがい、怯える穴ネズミのような生活が嫌でしょうがなかった。

 しかも、縁を切りたくてしょうがないのに、私の保護者は未だに母であった。経済的にも母に依存している。

 なんとか脱したくて、PCで色々調べたのだが、親と縁を切る方法などどこにもない。20歳になるまで母の承諾なく一人暮らしもできないし、15歳になるまでアルバイトもできない。一番関わり合いになりたくない相手の承諾を得なければ何一つできない

 この時は、虫でいっぱいのプールに投げ出されて、もがいてももがいても抜け出せないような気持だった。心の底から今の状況が疎ましく憎かった。

 私は母に何一つ自分のことを知られたくなかったし、口も聞きたくなければ顔も見たくない。他人になれる方法があるなら喜んでその方法を取ったと思うが、子どもからそうする方法は無いということに忸怩たるものを感じる。

 そんなある日、たまに本を買いに出かける商店街にあるゲームショップで求人広告を見つけた。個人が営業する、GEO的な店である。

 そもそも、引きこもりなのに普通に外出できるのか? という疑問が湧くかもしれないが、厚生労働省の資料によると、引きこもりの定義とは、

 様々な要因の結果として社会的参加(就学、就労、家庭外での交遊など)を回避し、原則的には6ヵ月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態を指す現象概念(他者と交わらない形での外出をしていてもよい)

厚生労働省の資料

 とのことなので、別に外出できない人だけを引きこもりと称するわけではない

 当時の私は、喪服のように真っ黒い服で体を覆い、どこへでも出かけた。

 先日他の元不登校の方が、YouTubeで「外に出ると同級生や同級生の親と出くわすかもしれないのが怖い」と仰っていたが、私は誰に何を思われようと気にしないと決め切っていたから当てはまらない。そもそも同級生がうろついてる時間帯には出て行かないし、同級生の親が私に気づいたとして、私の知ったことじゃない。噂するなら私の知らないところで、勝手にやっていればいい。と思っていた。

 という訳で出かけた先でゲームショップの求人広告を見つけ、そこには「15歳以上」と書かれていたが、ダメ元でアルバイトできないかと電話を掛けたのだった。

 電話したところ、若い女性の店員さんが出た。

 私はドキドキしながら言った。
「あの、アルバイト募集の張り紙を拝見してご連絡いたしました。ただ、まだ14歳なのですが、面接お願いできますでしょうか?」
 当時、大人になりたい欲が強すぎる私は今よりもバカ丁寧に喋っていた。

「えっ……少々お待ちください」
 店員さんは少し保留した後、戻ってきて、「面接するそうです」と伝えてくれる。翌日の昼頃、面接の約束を取り付け、私は電話を切った。

 私は生まれて初めて履歴書を書いて、翌日に備えた。

 翌日、時間の5分前くらいに、レジのお姉さんに「面接をお願いしたYeKuイェクです」と伝えると、バックヤードに通された。

 そこは無数の書類棚とPCが置かれた小さな部屋で、緑色のジャンパーを羽織った、小太りな中年の男性が座っていた。

「初めまして、よろしくお願いします、YeKuイェクです」
 と言いながら履歴書を渡すと、男性は自分が店長だと名乗った。

YeKuイェクさんね」
 店長は履歴書に視線を落としながら、出し抜けに、
「今学校は?」
 と聞いて来た。

「行っておりません」
 他に言いようもなく、私は答えた。

 店長はハァとため息をつき、次の質問にうつった。
「なんでうちを受けようと思ったの?」
「自活していきたくて。こちらのお店を選んだのは、ゲームが好きで、よく買い物しているので……」
 店長は呆れた顔で私を見た。
「遊べるわけじゃないよ。分かってる?」
「はい、分かっています」
 答えながら、なんでこんなことを言われているのかと若干パニックになっていた。私が何か悪いことをしただろうか。

 店長はいかにも「頭痛がする」と言いたげにこめかみを揉んだ。
「自活したいって言ってたけど、どのぐらい稼ぎたいわけ? ちゃんと計算した?」
「月十数万円くらい……」
「そんなに稼げるのは、うちで一番頑張ってるやつぐらいだよ。ほとんど毎日働かないと無理」
「できます。頑張ります」
 本気だった。

 私にとって大人と同様に働くということが、母から逃れるための唯一の救いだった。だからそのための苦労は買ってでもしたかった。
 私は店長の目をまっすぐ見て言ったが、店長は視線を逸らしてしまった。

「以上です。じゃあ、採用の場合は3日以内にまた連絡するから」
「……ありがとうございました」
 私は礼をして部屋を出た。

 レジの人にも挨拶してお店を出た後、とぼとぼと帰路に着く。人生で初めて面接を受けたが、好感触でないということは分かっていた。なんだか見下されて馬鹿にされたような気がする。

 案の定、3日経っても採用の連絡は無かった。私はガッカリしたが、やっぱりなあと薄暗い絶望感を覚える。

 でも大人になって振り返り、あの店長どういうつもりだったのかと思う。不真面目な子どもだと思って説教してやろうと呼んだのだろうか。あるいは大人になってもたまに遭遇する、「採用しないけど、どんな顔してるのか見たい」という採用担当者の類だろうか。

 どちらでもいいのだが、これに限らず、押しなべて就職活動とは嫌な思いをすることも多い出来事だ。あまりめげずに淡々とやっていくことが重要だと思う。

 この時の私は、めげてしまって、以降しばらく自立への道を諦めることになったのだが、めげずにガンガンやって行けば得るものもあったろうとは思う。その後の顛末はまた別の機会に書きたいと思う。


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