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いくつになってもある日突然未知の力に覚醒したい。厨二病な私たち

子供の頃、私たちは誰もが自分の中に眠る特別な力、すなわちスーパーパワーを夢見たものです。それは飛行能力であったり、透明人間になる力だったりと形は様々です。

しかし、大人になると、現実の重みにその夢は埋もれがちです。ですが年齢を重ねても心の片隅で、ある日突然未知の力に覚醒することを密かに願っている人々は少なくありません。

私もその一人です。デジタルの世界に生きるシニカルなプログラマー(笑)である私も、この突然の覚醒への願望からは逃れられないのです。

厨二病と言いたければどうぞ。何一つ反論できません。

「覚醒」という言葉には、常にロマンが潜んでいます。例えば仕事中に突然、Matrixの主人公ネオのようにコードを自在に操る能力が飛躍的に向上したらどうだろう? と想像してしまいます。

現実では、毎日のコーヒーがせいぜいのパワーアップドリンクですが、想像の中では、コーヒー一杯でソフトウェアのバグを一掃するスーパープログラマーに変身するのです。これが私の中で描かれる覚醒の一つの形です。

現実逃避とも言います(※コーヒー一杯しか飲めずに夜中までバグを一掃しなければならない状況なら今でもある)。

覚醒はまた、自己認識の旅でもあります。映画のキャラクター、ブルース・ウェインがバットマンになるように、私たちも日々の生活の中で自分だけの「スーパーパワー」を見つけ出したいと願っていますよね。

私にとってのそれは、もしかすると皮肉を交えたユーモアで、周囲を笑わせる能力かもしれません。それは、モニターの向こう側にいる人々にも伝わる種類のものでなければなりません。つまり、デジタル空間を超えて人々の心を動かす力なのです。

覚醒とは時に、自分自身の限界を超えることを意味します。

毎日をコードとともに過ごす中で、いつの間にか新しいプログラミング言語を学び、未知の技術に挑戦している自分に気づくこともあります。それはまるで、夜な夜な街を守る秘密のヒーローのようなものです。誰も気づかない間に、世界を少しでも良くする力を身につけているのです。これもまた、覚醒の一形態ではないでしょうか。そう思いたい。

現実の世界での「覚醒」は、映画のような劇的な瞬間ではなく、日々の積み重ねの中で静かに訪れるものかもしれません。

しかし、いくつになっても心の奥底で、ある日突然未知の力に目覚めることを夢見るのは、私たちが持つ特権です。そして、その夢が現実に近づいているかもしれないという予感は、日々の生活を少しだけワクワクしたものに変えてくれます。

プログラマーとしての私も、未知の力を求めて、今日もキーボードに向かいます。コードの行間に新しいアイデアを見つけ、解決できない問題に直面したとき、それを乗り越えた先にはきっと小さな覚醒が待っている。そう信じて疑わないのです(※そうでも思わないとやっていられないとも言う)。

覚醒を願うのは、自分がまだ成長できるという信じてやまない証拠。私たちはいつだって、新しい自分になる可能性を秘めています。自分の内に秘めた未知の力を信じることは、自分自身を信じること。そして、その信念が、私たちを日々前進させる原動力になるのです!

覚醒を夢見ることは、時に現実逃避と揶揄されるかもしれません。

ですがそれを夢見る心がある限り、人生まだまだ退屈することはない。

未知の力に目覚める日を夢見ながら、私たちは今日も自分の世界でヒーローであることを忘れないようにしましょう。それが、どんな形であれ、私たちの「覚醒」なのですから。


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