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謙遜する派? しない派?

 あなたは、人に対して謙遜や、あるいは自分を卑下する方だろうか。

 日本では謙遜を美徳とし、人に褒められた時や、何か行動する時に自分を下げる風習がある。昔はそうだったし、今でもある程度そうじゃないだろうか。

 個人的なスタンスを述べると、私は可能な限り、しないと決めている。

 色んな考え方があると思うので、謙遜する方を否定するつもりはないのだが、私の考える「謙遜しない理由」は、2つある。

 一つは、自分を守るため。もう一つは、褒めてくれる人の気持ちのためだ。

自分のために謙遜しない

 謙遜するということは、「いえいえ、私なんて、そんな大した者じゃないですよ」とか、「私なんか」とか口に出して言うということである。

 しかし、どうやら脳(無意識)は自分が発した言葉を額面通りに受け取る性質があるらしい。

 例えば、自分が誰かに言った悪口は自分が言われていると認識してダメージを負うらしい。

 同じように、自分が謙遜して相手に言ったことは、ただの謙遜と分かっていても、自分に対するディスとしてダメージを追う。それは自尊心を少しずつ削っていく。

 辛いことも多い世の中、生きていく上で一番重要なのは自尊心だと思う。

 だから私はあまり謙遜したくない。

相手のために謙遜しない

 謙遜するような場面ということは、つまり相手は褒めている。
「あなたって本当にすごいですね! すばらしい能力をお持ちですね! 本当に尊敬してます!」
 これを心から言っている場合、ただ感嘆を相手に伝えて、尊敬の気持ちを共有したいと願っている。

 まあ分からない。場合によるかもしれない。
 でも少なくとも私が誰かを褒めているとしたら、そうだ。

 そうだと仮定して、褒められた人が、「いえいえ、そんなことないですよ」と否定してしまうと、褒めた人の見る目がおかしいと指摘するみたいだ。

 本に置き換えてみる。

 すばらしい本があったとして、あなたがそれを口を極めて褒めたたえたのに、誰かが「いや、それはそんな素晴らしい本じゃない」と言うのである。いや、言わせてあげればいいじゃん。

 謙遜するのはそういうことで、相手のポジティブな感情や思い入れに水を差すようなことになりかねないと思う。相手が言及しているのが自分のことであったとしても、本当の自分と、相手の中にある自分は全然別だ。他人の持つ気持ちは尊重されるべきだと思う。安易に否定したくない。

 当然なのだが、他人が自分をどう思うかは、コントロールしがたいものだ。嫌われようと好かれようと、自分は自分が良いと思うことを精一杯やっていくしかない。だからもし褒められたり尊敬されるなら、それはラッキーだし、そうでなかったとしても、それはそれでしょうがないと考えることが大事だと思う。

 だから私は、褒めていただいたり、好意的な反応をされた際、仮に自分が本当にそうと思っていなくても、お礼を言って喜ぶことにしている。自分というのは、自分が一番手を掛けている製品だ。ご愛顧いただくのは嬉しいことだ。

 でも「謙遜しない」というのは、結構、茨の道だ。

 あまりにも自分の評価と見合っていないことを言われると、反射的に「そんなことないですよ」と言いたくなってしまう経験は誰にでもあると思う。あるいは、「何が目的なんだろう」と考えてしまったり、「嘘ばっかり」と疑ってしまったり。

 私はそんな時でも、なるべくなら否定したくない。

 一番辛かったのは、昔よく開いていたちょっとしたリアルイベントによく遊びに来てくれる親子連れのお母さんが、「この子にとってYeKuさんはあこがれのお姉さんなんですよ」と言ってくれた時だった。

 全力で否定したかった。子どもに尊敬されるなんて。「そんなたいした者じゃないんですよ」と心から思ってるしそう言いたい。言いたかった。

 当時の私は仲間との関係もこじれており、「私がやりたいのはこれじゃない」という思いで胸が潰れそうになっていた。胸を張ってその思いを受け止められるような心境ではなかった。

 でもがんばって「ありがとうございます! これからもがんばりますね! また来てください!」と答えた。
 気が遠くなった。

それでも謙遜する時

 それでも謙遜する時が私にもある。

 相手が上司などで、職務として仕事の出来を褒めてくれる場合だ。これは事務的である。あまり感情がこもっていない。
 この場合、極力謙遜したくないのでこちらも適当に「いえいえ、ありがとうございます」とか言って済ませる。

 「いえいえ」は便利な言葉だ。ふわっと謙遜の意思を伝えることができるが、大仰に否定するわけではないので、自分へのダメージはさほどない。

 もしくは、相手が妬みの気持ちで言っている場合だ。

「YeKuさんてさあ、すごいよね、いつも認められて……ボーナスもいっぱいもらったんでしょ?」

 この場合、相手は私が喜ぶことを期待していない。だからこの時ばかりは仕方なく、
「ううん、そんなことないよー。社長なんていつも私の悪口言ってるもん。ぜんぜんボーナスももらってないし……去年より減ったぐらいだよ」
 と答える。この説得に成功すれば相手は安心する。これは人間関係上、自分を守るために必要な謙遜である。

 そういえば、以前同じチームに、「僕なんてクズですから褒められるようなことは何もないんですよ」「僕のようなゴミが作ったソフトは不具合があって当然ですよね」とか自分をめちゃくちゃ下げるのがクセになっている男の人がいた。

 私は当時のリーダーと共に、彼に対し、半年間にわたって「自分を下げるクセはやめた方がいい。メンタルにも相手の心証にも良くない」と言い続けた。彼は途中で現場を離れたが、その時には、ありがたいことにそのクセを止めてくれていた。
 自己満足かもしれないが、良かったと思う。

まとめ

 基本的に、謙遜はしない方が良いという私の考えについて書いた。

 あくまでも私の考え、生き方だ。謙遜するかどうかは各個人の判断であって、謙遜する派の方を否定するつもりはない。私が下手なだけで、うまく謙遜することにより円滑な人間関係を築いていて、何も問題ない人もいるかもしれない。

 でも、できたら私は人を褒めるとき、相手に喜んで欲しいし、人から褒められたなら、素直に感謝し、心をあたたかくして喜びたい。


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