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お祝いと愛情

すごく温もりに満ち溢れた日々を過ごしてきている。

たくさんの人に卒業と就職をお祝いしてもらった。わたし以上に、別れと旅立ちを想ってくれる人たちがいる。

美味しいものをご馳走してくれて、「美味しい?あなたが美味しいとおもってくれたなら、それがいちばん嬉しい」と笑ってくれた。 「遠くに行っても、ひとりで抱え込まないで、頑張りすぎずに、いつでも連絡してくるんだよ」「助けてくれる人はたくさんいるんだから、いつでも頼るんだよ」って事ある毎に言ってくれる。
自分一人でこなそうとしていた引越し準備や退職準備を手伝ってくれたり、わたし以上に真剣に考えてくれて、先回りして動いてくれる人たちがいた。

4年前までは、どんな準備もわたし一人で、右も左も分からないまま半泣きでなんとかこなしていた。相談する人を探すところから始めて、何が分からないのかすら分からないまま、片っ端から自力で調べて、手続きをしていた。
それに慣れてしまっているからか、自分の範囲内で何とかやりくりしようとしていたけれど、今いる土地では、祖母も叔母叔父も、友人も、会社の上司も、みんながサラリと手を貸してくれて、なんならわたしより考えて動いてくれている。みんなの優しさと親切さを有難く感じると共に、とても驚いている。

これまではわたしがいちばんしっかりしてなきゃいけなかったのに、今では安心して肩の力を抜いて準備が出来ている。考えることも、交渉も多いけれど、あんまり悩むことなく、ここまで来れている。ひとりで判断できる強さもあるけれど、どんな小さな悩みでもすぐに相談できる祖母がいること、親身になってくれる叔父叔母や、助けてくれる友人や上司がいてくれることで、スムーズに事が進んでいると思う。ありがとうみんな。なんでこんなにも優しいんだ。

でも、その優しさに守られながらも、わたしを揺るがす存在とは、切っても切り離せないみたいだ。父と母。わたしからは何も連絡をしてなかったけれど、まさか、それぞれからアクションがあるとは、思わなかった。

悪いアクションでは無いんだけれど、正直、ちょっぴり病む。
父は、継母と共にお祝いをくれた。
母とは、母方の祖母に会う予定ができて、ついに4年振りに再会することになった。お迎えに来てくれるそうで、ご飯も用意するし、家にも泊まっていったら?とLINEが来た。4年間、声すら聞かず、LINEでの事務的な文面のやり取りしかしてこなかったのに。

かなり心の整理はついたと思っていたけれど、どうしても傷つく想ことを恐れて、あれこれと考えてしまう。
父が、また距離感を誤って、自分の心を癒すためだけにわたしに近づいてきたらどうしよう。
母が、お金をせびってきたり、祖父母の介護をするべきだって言ってきたらどうしよう。

わたしの心に入るのを、絶対に許しちゃいけないのに、わたしはきっと会ってしまったらケアラーの役割をするんだろう。親はわたしが安心してわたしらしくいれて、甘えられるような相手じゃないから。
お金をくれても、ご飯を食べさせてくれても、何かをしてもらったら見返りを求められるんじゃないかって、怖くなっている。
わたしが大卒で正社員で就職できたことをアテにしてくるんじゃないか。「育ててやったんだから」「金をやったんだから」と言われ、親を許したり、親が頼ってくるのを受け入れるのが当たり前だって思われたらどうしよう。
仲直りという聞こえのいい言葉で、またわたしの人生が親に奪われたらどうしよう。わたしが、親にとっていい子として生きていかなきゃいけなくなったらどうしよう。

そんな事しなくていいって思うかもしれないけど、本当に、親といると「いい子ちゃんモード」に入って、自分を押し殺しちゃうのを知ってるから。幼少期からずっと「いい子ちゃんモード」を強いられてきて、ありのままのわたしは否定されてきたから。怖いよ、やっぱり。

よく、子どもが産まれたらとか、結婚したらとか、ハレノヒのタイミングで親と和解するとか聞くけど、わたしはどうしてもそれだけは嫌だよ。親が自分の人生に入ってきて欲しくない。
だって、親と一緒にいて安心できたことも、わたしの人生をわたしとして生きることを許されたことも無いんだもん。

親は一生わかんないと思うの。わたしがどんな思いで生きてきたが、親のどんな態度が苦しかったか、親のケアラーであることがどれだけ自己犠牲を伴ってきたか。理解できないし、したくないし、自分が子どもに負担を強いていたなんて考えたくない人達だから。

自分がいちばん可哀想で、自分がいちばん大事だから、そのためなら他人を傷つけてもなりふり構わない人達だからさ。

父が、「ずっと誕生日をお祝いしたかったけど、できないのが辛かった」って話してたって聞いた。
わたしがいちばん辛い時、なんの助けにもならなくて、幼少期から子育てもろくにせず、病気の母と祖母とわたしに家のことを任せっきりだったくせに。自分のDVが原因で妻子が家を出たことをいつまでも自分がいちばん可哀想な被害者だと思っていて、わたしや弟の気持ちなんか1ミリも考えたことないくせに。
わたしが、生まれてきたくなかった、誕生日が苦痛だって気持ちも知らずに、わたしの気持ちをガン無視で、時には幼い弟も使って自分の気持ちを満たそうとしたくせに。
今回のお祝いも、再会した時の誕生日に貰ったお金も、正直、「このお金があるのなら、あの時わたしの保険料を払ってくれればよかったのに」と思ってしまう。
母の社保から抜けて、自分で保険に入って暮らさなければならなくなった時、既に1人で学費も生活費も稼いで暮らしていた頃だったから、学業も諦めて、体の調子も悪いまま自分が生きるために働かないといけなくなるような、そんな危機があったんだけど、あの時の父と継母の言動を、わたしは一生忘れないよ。何も助けてくれず、何も寄り添わなかった。元々何をしてくれたこともなかったから、頼りつもりもなかったけれど祖母が呼んでくれたその席で、わたしと一緒に考えることすらしてくれなかった2人を、わたしは忘れないよ。
だから、ありがとうは言うし、何よりずっと支えてくれた祖母の気持ちもあるから受け取るけれど、葛藤がある。受け取ったからと言って、許してないよって言わないと、また父はわたしを傷つけてくると思う。わたしの気持ちを理解しようとも、聞こうともしない人だから。

母のことも、そう。どんだけ良くしてもらっても、「返せって言われる?」とか、「じゃあ介護してね」とか何か見返りを求められるんじゃないかって怖くて仕方ないよ。会った時、何を話せばいいかも、どんな顔をしたらいいかも分からない。
謝れって言われたら?育ててやったのにって言われたら?

わたしが頑張ったことを、また父と母の気持ちを満たすために「ありがとうごめんね」って言わなきゃいけないの?これでまた仲直りして、またケアラーとして生きてくの?嫌だよ。

わたしは、わたしの人生を歩むし、わたしの人生に影響してもいいのは、正直祖母と叔父叔母だけだよ。それ以外はダメ。
幼い弟も、どうしても両親が頼りにならないのなら、何とかするけど、基本は両親が頑張んなよって感じ。
年は離れててもわたしだって同じ子の立場だから、大きい弟であっても、小さい弟であっても、わたしが世話をするのはやっぱりおかしいと思うし、おかしかったと思う。親がわたしにできなかったぶん、取り返せるのはあとは幼い弟のぶんだけだよ。
わたしと大きい弟のぶんは今からどう頑張っても、父も母も取り返せないよ。謝ることしか出来ないし、謝ってもらったって、っていう気持ちでもある。

でもね、こんな話しても父や母には伝わらないのよ。そして、誰にも話せない。わたしが、折り合いをつけなきゃいけない。親子関係って結局、親が変わることは無いから、子どもが距離とったり、心の整理付けたりするしかないんだよね。そもそも変わるような親だったら、小さい頃から子どもをひとりの人間として対等に大事に関わってくれてるだろうからね。そもそも論になってしまうのよ。

これまで、しばらくは関わりがなかったぶん、わたしにとって親は過去の人って感じだったの。わたしの今の生活には関与しない、過去の人。でもそれが、ちょっとしたことで現実の人となって、わたしに襲いかかってくる。

少し冷静に自分を見た時、本当にわたしにとって親は安心できる相手でも、信頼できる相手でもないんだなって思うよ。それが何よりの、これまでの子育て(とも言えない、どちらかと言うと親育て)の結果なんだよな。祖母に対してはこんな不安1ミリもないもん。

父母の愛情を感じるタイミングはこれまで何度もあったよ。でもね、愛情と安心は別だし、愛情を疑うような言動もかなり多かったから、やっぱり信じられないんだよね。基本人を信じて生きてるわたしにそう思われるって相当だよ。

だから、頑張るよ。わたしはわたしを守るために、父母とは関わることがあっても、距離を置くよ。これも試練だ。わたしがこれから素敵な大人になるための、試練なんだ。

人生の節目って、本当に色んなことが起こるな。わたしを支えてくれる人達は、本当にありがとう。

特別な時だけ祝いの言葉やお金をくれるんじゃなくて、
わたしの気持ちを大事にしてくれたり、寄り添ってくれたり、一緒に何かを楽しんだり、そういう日々の積み重ねで安心感や信頼関係ができていくんだよ。
誕生日や祝い事だけ、形式ばったことだけしたって、普段から愛情もって接してくれる人たちとは雲泥の差があるし、受けとるわたしの気持ちも全然違うよ。
正直気まずいもん。だったら、小さい頃から大事にしてくれればよかったのに。生まれてきてよかったって思えるような関わりをしてくれればよかったのにって思っちゃうよ。

それが出来ないことも、出来なかった事情も、全部知ってるけどさ。それでもね、わたしはわたしの気持ちとして思っちゃうよ。
そもそも、わたしがクリスマス以外のイベント事苦手になったのも親と育ちのせいだしな。毎年クリスマスだけサンタという第三者の存在のおかげでめちゃくちゃ楽しめてるけど、母の日父の日敬老の日こどもの日バレンタインホワイトデー就労感謝の日誕生日は軒並みダメです。母や父が「立派な親だ」と満足できるように頑張らなきゃいけなかった強制的なイベント事は全部だめです。年末年始GW系も「帰省しないの?」への返答がクソだるかったのでイベントだと認識しないシステムに切り替えました。

高校中退してるから卒業も久しぶりだし、元々小中とさして卒業に思い入れもなかったタイプだから、みんながめちゃくちゃお祝いしてくれて「おお……!嬉しい……!!こんな感じなんだ……!!」みたいなお気持ち。父母以外からのお祝いは素直に嬉しいです。ちょっぴり他人事だけど。

人から、自分の人生の節目をこんなに祝ってもらえること、有難いし嬉しいし、新鮮。やっと自分の人生を自分で生きれてる気がする。

わたしのために人を集めてくれたりとかも、身内のみだと思ってたから、想像以上にみんながお祝いしてくれてびっくりです。人からの好意というか、愛情をあんまりちゃんと認識できてなかったのかもしれない。こんなに大事にされてるのに、あんまり人から大事に思われてるっていう自覚がないのかも。予防線はって生きてんのかもしれない。それか、元々人間はみんな自分がいちばんかわいいでしょ!という人間観を持ってるのも影響してるのかも。

わたしもみんなを大事に思って生きていけたらと思います。もうちょい心の整理をして、無事に旅立ちたいな。がんばれわたし!大事にしてくれる人たちを抱きしめて生きていこう。

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