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LEICAと人生を楽しんでみる #1

母の急逝、そして一人住まいになって酷く落ち込む父を励まし通院に付き合う毎月の帰省が当たり前になって3年が経過した。

典型的昭和のモーレツ会社員だった父ときたら平日は午前様が当たり前で夕食を家族で一緒に食べることなんて滅多になく、そのせいで僕が大学生になって友達と飲み歩くことが当たり前になるまでは夕食はいつも母と二人だけだった。さすがに週末は家族の夕食での団欒もあったし、よく3人で外出もしたし、時折(父の罪滅ぼしだったと思うけど笑)外食にも行ったりはしていたけど、まぁそんな家族は日本中の至る所にあっただろう。

そして母が亡くなってから初めて父と差し向かいで晩御飯を食べることが増え、時折思い出したように母との思い出を話す父を見つめていると、ふとその状況に戸惑っている自分を感じたりする。父との距離感の取り方が分からなくなったり、それを自分自身の息子との会話に重ね合わせてみたり、ちょっと不思議な感覚になったり。この辺りの表現はなかなか言語化しにくい。

そして父も90歳を越えている。年齢相応のボケはあるけど、独り住まいで最低限のことは自分で出来て、たまに適当な晩御飯を自分で作って、歯は全部自前でお煎餅をバリバリ食べて、毎日の晩酌も欠かさない、そんな90歳は滅多にいないよ、ほとんどはボケるか身の回りのことが何も出来なくなって介護施設とか今時当たり前だし、って嫁や友達によく言われる。

それでも昔に比べると年老いた父を見るのがすごく寂しくて、父がいなくなったらこの世に僕は独りぼっちなんだ、そんなことをいつも考えているようになった。

自分はといえば、前職時代の反省もあってこの10年はそれこそ完全に仕事中心で家庭を顧みず、自分のプロフェッショナルとしての矜持に拘り、海外出張も3ヶ月ごとに2−3週間は当たり前、年間を通じて気がつけば3ヶ月以上は日本にいない、お陰でマイルステータスは最上級のメタル会員まで到達、それぐらいにハードに仕事をやっていた。いつも頭の中にあったのはたった一つ。

「仕事したなーって思いながら死にたい」

コロナ禍で仕事がZoomになっても相変わらず朝から晩まで仕事を変わらずやっていたし、海外出張が再開されたらすぐにSFやNYに飛んでいた。

「あんなに素敵な女性はいなかった」「最高の女性だった」

母がいなくなって火が消えたような食卓で父がふと漏らした一言が僕のはすごく衝撃だった。

果たして自分が死んだ後にそんなことを言ってくれる人がいるんだろうかって。父と母はそれなりに喧嘩もしたし、お互いに不満を僕に漏らすような夫婦だったけど、それでもそんなことが言える父をを見ていて、自分の生き方をすごく考えるようになって、もっというと自分自身が「死」ということをすごく身近に感じるようになった。

僕自身もそのありかたを考えざるを得ないことがこの3年間に色々とあって、もっと違う生き方を考えなきゃ、周りを見る余裕がなくてはダメなんじゃないか、「本当の優しさや強さ」ってなんだろう、そんなことを日々考えるようになって。

そんな自問自答を繰り返せば繰り返すほどに分からないことが増えて、でもそれが人生、分からないから面白い、そう考えていいんじゃないかと少し思えるようになってきた。

日々仕事や生活をしていればどうしても雑音もいっぱい耳に入ってくるし、周りから見える自分という「像」という「イメージ」に縛られてしまうけど、カメラを持って街を歩けば少しそこからは解放されて、自分自身の存在を許せるような、そんな気がする。

自分を考えるのに道具に頼るのはダメだ、という妙な思い込みもこれまではあったけど、これからはカメラと共に人生を楽しんでみてみることにする。

"Experience the joy of life with Leica."


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