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綺麗な顔したキミの汚い部分が見たい

新宿で待ち合わせするのに慣れてきた。

仕事を終わらせてヨレたファンデーションと取れた口紅を速攻で直して、電車に飛び乗る。
最近暗くなるのが早くて少しだけ寂しい。秋の香りはティーンエイジャーに戻った気で目一杯遊んでた社会人2年目を呼び覚ます。

若干ノスタルジックでセンチメンタルな気分になりながら三連休最終日の空いている都営新宿線に揺られ、着いた先は「新宿三丁目」。

また来てしまった、新宿。

新宿三丁目はJR新宿駅ほど嫌な気分にはならない。
やっぱり人は多いし臭いけれど、新宿駅東口ほど下品ではないから。

改札を出て目指すのはA5出口。
地下道を歩いているうちにだんだん汗ばんできて化粧崩れが心配になる。初対面の人にドロドロテカテカの顔は見られたくない。最初はやっぱりパーフェクト、とは言わないけれど完成度の高い自分で会いたい。

今夜会うのは感性と感覚が似ている信頼できる友達(A)と(A)が紹介してくれる友達(C)。

ちなみに前回の「友達の輪を広げようキャンペーン」で生まれた愛は「8月31日」ってタイトルでnoteに記録した。

イヤホンから流れるMSCの「心にゆとりとさわやかマナー」をBGMに地上へつながる階段を目指して歩く。

地下道は長いけれど、新宿とヒップホップは驚くほど相性が良くて勝手に気持ちよくなりながらA5出口に繋がる階段の一番上と地上との狭間に見える4本の脚を目指し駆けのぼった。


つるまない

地上に出るといつもの調子の(A)と、その隣にはお上品な猫ちゃんみたいな顔をした(C)が。

この人、絶対「怒り」って感情を知らない。ってのが第一印象。

はじめましてと挨拶を交わして(C)が予約してくれたお店へ向かう。新宿駅東口とは違い、人の間を縫うように進むことはなくてストレスフリー。

8月から勝手にはじめている「友達の輪を広げようキャンペーン」だけど、人見知りの私からすると初対面の人とぶち当たっていくのは正直怖い。

でもそれ以上に同じ場所で同じことを繰り返して何も起きない人生の方が怖い。

確かにそうやって生きる方が安全だし、安心できるから人は寄ってくる。同じような人種と同じように生きる。それはひとつの幸せのカタチ。

でも私は人と会って、たまに失敗してボコボコになりながらも自分のしょうもない美学を突き通して、たまに転がってるラッキーを集めて生きたい。

私は、生きている。皮膚を切り裂くと血が出るし、心臓の鼓動を感じる。

死姦趣味はないから死体みたく生きる人はいらない。

お店に入って(A)のひと夏の恋が終わった報告を聞き、それに対していつもの調子でどんどん言葉を返していく。

なんていうか、人へのアドバイス(説教)って分かりやすく短い方がいい。長々と遠回しにオブラートを何重にもして話すよりずっと親切だと思う。人の時間も自分の時間も無駄にしない。

一緒にいて不幸になる人はさっさと断ち切ろう。
縋り付くのはダサい。ましてや最低なことをされたのに縋り付くなんて女も男も廃る。
(A)、あなたは自分で言うようなブスじゃないし中身も最高なんだから自信持ちなよ。自信家になれとは言ってるわけじゃない。自分を低く見積もるのはやめてね。本当、あなたは最高だから。って私なりの愛をぶつけて終了。

愛は伝えなきゃいけない。というか伝えたくなる。抑えきれなくなる。

人を断ち切るのって本当に難しいし辛い。
ワックな奴を生贄に、最高のパートナーを召喚させて曲が書けるような人生を歩んじゃえばいい。

誰に向かって口聞いてんだよ、私のことを好きにならないなんてセンスないね、そんな奴はこちらから願い下げ、ぐらい強気で生きたっていいんじゃない?

だって人生には最高なものしかいらないもん。


匂いがしない

(C)は如何なるときもお上品な猫ちゃんだった。

私がキツイ言葉を吐き、感情を露わにして(A)を詰めている横で優しさ溢れる棘のない言葉を掛ける。角がない。匂いがしない。

(C)は例えると支那そばみたいな人で。

シンプルでみんなが美味しいって言う、清く正しく優しく生きている感じ。

本当に(A)は今回、私と真逆な人と会わせたなと。
でもそこに不快感は全くない。(A)のこと自体、見たことない世界と繋いでくれる「外交官」として絶対的信頼を寄せているし、(C)のことも話してて好きになった。

(C)の好きなところは、人に対してちゃんとリスペクトがあること。敬意を払ってくれる。

「変わってるね」とか「ぶっ飛んでるね」とか、簡単に一言で片付けようとしない。

自分の物差しで勝手に人のことをはからない。

一度、受け入れてくれる。

私は人に迷惑を掛けるぐらい好き嫌いが激しいし、平気で無視もする。周囲に常に喧嘩を売って、売られてもいない喧嘩も買ってるタイプ。

ものすごい斬れ味の日本刀振り回してる感じ。

その分、もちろん返り討ちに遭うこともある。

陰でコソコソ言われたり、人が離れたり。

陰でコソコソ言われるのはスターである証だと母に教え込まれて以来気にしなくなったし(笑)、離れて行く人は仕方ない。私に引き止める権利はないし、どうぞご自由に。

だけど私は清く正しく優しい(C)の汚い部分が見たくて見たくて仕方なくなった。匂いが知りたくなった。

いや、汚い部分じゃなくていい。

もしかしたら(C)は私なんかが全く想像出来ないような本当に穢れを知らない人かもしれない。

もしそうなら、美しさに美しさを重ねた道徳の教科書に載っちゃうような部分が見たい。

キミの「極端」な部分が見たい。


極端な人はセクシー

とうとう(C)の匂いが感じ取れなくておかしくなってしまった私は「本音で喋ること」を提案。

いきなり初対面の人に「本音で話せ」なんて恐怖以外の何者でもないよね、ゴメンね。

ここで言う「本音」って言うのは、人と違うことをしたとかエキセントリックなことをしたとか秘密にしてたことを暴露することではない。
その事実ではなくて、その出来事を経て感じたこととか変化とか、そういうの聞きたい。絶対に譲れない部分とか。

一貫して(C)は本音で話してくれていたと思うし、嘘もなかったと思う。私は(C)が枠から飛び出したところが見たくて堪らなかった。

でも、予想通り。

優しいだけは面白くない。弱さからくる優しさだったらそれはは無意味。

(C)が優しいだけの人だと言ってるわけじゃなくて、絶対人には「極端さ」が入ってる引き出しがある。そこを開けたい。

センスが良くて綺麗な顔した(C)に引き出しから出した「極端さ」がくっついたら恐ろしいことになると思った。

「極端さ」は美学。美学はセクシーに繋がる。セクシーは魅力。

人を繋ぎ止められるのは肩書きや外見なんかじゃない。一時的には繋ぎ止めるとは思うけれど長期戦には向かないと思う。

でも魅力でなら末永くガチガチに縛り上げられる。

「付き合おう」という口約束も、結婚という法的効力も魅力的な人の前では何の意味もなくなってしまう。

でもその分のリスク?みたいなものはあって。
極端になると人と人付き合いがうまくいかなくなる。(と思ってる)

「極端さ」は色んなことを邪魔してくる。

人生に変化はつきもの。変化も成長も少なからず痛みを伴う。

だけど「極端」さのおかげで私はたくさんの素晴らしい人たちに囲まれてるから自分の「極端さ」を愛してるし、痛みもその人たちがいれば余裕で乗り越えられる。

地獄に落とされても彼らがいれば絶対にやっていける。笑


Break Out Of Your Shell

バイバイしたあとグループラインに(C)から連絡が。

「(A)はこの場を作ってくれて、Yayoiは仕事終わりに時間を作ってくれて本当にありがとう。これからワクワクして堪らない」とのこと。

しかも「もう少し自分の感情に素直でいようと思った、ありがとう」と改めてお礼まで言ってもらえて。

最後の最後までキミは美しい。

私の日本刀、人の殻をぶった切るのに使ったわけ。

たまにはいいこともする。

これからも私は日本刀の手入れをして切れ味の良さを保ちながら、人からボコボコにされようと思う。

失敗もトラブルも全部受けて立つ。

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