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猫日和 34 猫1号 シロ

大きな団地のゴミ捨て場に出る階段で鳴いていた。
階段の3段目にいて、上の段にも上れず、下の段にも下りられず、ただ鳴いていた。
子供がどこかから連れてきて、遊んで、夕方になったので、また明日、と思って、そこに置いたのかもしれない。大人が、道路に這い出て、車に轢かれないよう、わざと動きにくい場所に置いたのかもしれない。

か細い鳴き声は、心に刺さり、両手ですくい上げて部屋に持ち帰ってしまった。幼い猫の寂しい鳴き声が心に刺さるよう震えて聞こえ悲しくなる様は、神の巧妙な御技と言うしかない。

私の実家は犬を飼っていて、猫がいたことはなかった。今も、私の兄弟は独立してこの方ずっと犬を飼っているが、それはごく自然な生活の在り方で、また、彼らは猫を飼うことはしない。
猫は、庭の芝桜を荒らしたり植木をひっくり返したりするので、私の育った家では、むしろ嫌がられていた。他所の猫を触ったり抱いたりすることも、家にいた時には叱られそうで、しなかった。
婚家の義母もスピッツを飼っていて、猫は嫌いだった。

それなのに。
拾ってしまった。

それから猫との付き合いが始まり、初めは育て方も分からないまま、何とか暮らしてきた。
シロを拾わなければ、私にとって猫は一生縁のない生き物だったかもしれない。

シロは、なかなか肝の据わった雌猫で、いつも私のすることを、斜め上から、人間って馬鹿じゃない?という視線で見ていた。

シロが7歳の時、夫の両親と同居するため、一軒家に引っ越した。

猫は歳を取ってもあまり見た目は変わらないが、流石に20年近くなると、背中のラインが変わり、骨が目立って老婆になる。
最後の頃は歩く時も、ゆるゆると、一歩一歩確かめつつ、爪の音も高く、歩いていたのだが、
私が急いで台所に向かったり、リビングに取って返したり、宅急便が来たり、せわしなく狭い部屋の中を行き来する、その道筋に、シロ様が歩いておられることがある。踏まないように飛び越えて先に進む、、、と、、、

無礼者!

と、ガーッと声を出して一喝された。
追い抜くんじゃない!

すみませーん

と謝って、でも、そのゆるゆるしたスピードにはとても合わせられない。

私を叱った猫は、シロ1匹だった。

あまりにも頼りない、救いを求めるか細い鳴き声。
それが、私の猫と共にあるという人生の方向を決めてしまった。


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