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個人書店を開く夢

SNSで個人書店が入荷本紹介をする投稿が好きだ。ただ入荷しましたというだけでなく、読みどころやどういう気分に合うか、もしくは店主の偏愛が垣間見えるような文章が添えられた投稿を見かけると、まったく興味のないジャンルの本でも手に取ってみようかという気にさせられる。

もう殆どまわりを気にしなくなったけど、いまもなお、何度やっても俄然HSP(HSS型)だし、何度やってもINFP(仲介者)なので、自分のことをさて置き、相手のことがよくわかる特性がある。この特性が性格を構成するピークの時期には、占い師ばりにお悩みを当ててしまったり、相手の心の中を読んでは言って欲しそうな言葉をかけてみたりしたこともあった。そうするとやたらと頼られたりするのだけどそのうちに虚しさを覚えて、私は権力者に向いてはいないのだなと悟る。というか自分がどこにいるのかわからなくなったのだった。他人のことはよくわかるのに、自分のことだけがわかってあげられない。そんな10〜20代だった。その特性は生きづらさの原因のひとつだと認識したが、いまでもそれは簡単にいなくなるものではないから、会話中にそのルートで脳内に言葉が浮かぶこともある。その占い師としての言葉を差し出すときもあるけれど、大抵の場合、その言葉はしまっておいた方がよい。すっかり大人として、自分にも相手にも気を遣いすぎないようになった。

個人書店の投稿は、相手のことが見えているかどうかはわからない。ひょっとしたら届けたい「あなた」に向けて書いているかもしれないし、ただただ店主の本への想いが、私の気分にふれるのかもしれない。ただ、いいなと思う。私もこれをやりたい。とくに好きなのは奈良の本屋「とほん」や、仙台の本屋「曲線」。曲線さんは、オンラインショップの本紹介も愛があるし、購入するとおまけでついてくるフリーペーパーも充実していて素晴らしい。ほかにも全国数多の書店があるので、すべてに詣でることは難しいから、未知のオンラインショップでも購入していきたい。

選書に興味があるし、おもしろい本を嗅ぎ取る嗅覚はある(そう思わないと本読みはやってられない)。Instagramで選書屋さんを見かけることはあるけれど、私がやるならばどのような形だろう?同時代の本であれば、ジャンルはわりと横断していると思うけど、すっかり同時代でピンとくる本ばかりを求めすぎて、近代〜昭和小説をまだまだ読めていなくて落ち込むことばかり。先日は内田百閒「冥土」や横光利一「機械・春は馬車に乗って」を購入したが、安部公房「壁」やサン・テクジュペリ「人間の土地(人間の大地)」も読みたい。セリーヌ「夜の果てへの旅」もずっと積読だ。ああいまからでも文学部に通いたい。一気に””すべて””を知りたいから国ごとに分けることもすっ飛ばしたいが、精読には時代背景や異文化理解も伴うだろうから、そのようなことは難しいのかもしれないな。そこまで突き詰めるには、この後の人生すべてを捧げることになってしまう。

本を薦めたいし、本を選びたいし、本を集めたい。この本への想いの萌芽に気付き始めると、究極的には、私も個人書店を開きたいという夢に行き着く。行き着くよ。行き着いてしまったから、どうしていこうか。荻窪の本屋「Title」辻山さんの「本屋、はじめました 増補版」をいま読んでいる。これで本気になってしまうのか、どうしてしまおうか。一生の仕事を決めるには、人生は短いよな~~~!



2日間で3日分の就業時間を働いていた約1年前にも同じようなこと言ってた。人は変わらないね!

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