カサンドラからサポーターへ
嫌だからやりたくない/倫理の欠如
発達障害で大変な事はいろいろありますが、中でも理解に苦しんだのが倫理がないことでした。家での二人は完全に自己中で家族をぞんざいに扱うので、私は特に体調を崩すと、自分の存在価値がないようにまで思えました。
自閉スペクトラム症であるうちの二人には、家族を看病するという考えがありませんでした。看病することは人の世話をすることなのでそれ自体が苦手というのもあるのでしょうが、私が熱があると言っても「ああそうなんだ」くらいの反応で、手を貸さなきゃという考えにならないのです。何をしたらいいのかも言われないと分かりませんでした。人の異変に気づけないし、突然やりたくない仕事をさせられるのは、とにかく嫌なので怒り出していました。
相手の気持ちになることも苦手なので、病人を労わるという考えもないので具合が悪いのになぜか不機嫌にされ、時間になっても食事や水も貰えず酷い目にあいました。
ムスメは、私と七転八倒した末、今は私が咳をしたりすると時々「大丈夫?」などと声をかけることができるようになりました。そんなことと思うかもしれませんが、倫理がないということは、そういうことも教えないと分からなかったりするのです。
苦手でもやらなければいけないことがある
家族の誰かが病気になったら、苦手でも看病するのが道理です。家であろうとパニックを怒りで表す行為も止めなければいけませんが、苦手だからと言って努力せずに病人を無視するのは「人でなし」つまり、”人情・恩義をわきまえない、人間とも思えないような人(オックスフォード辞典の定義)”ということです。
因みにモトオは、人でなしでした。結婚直後から、特に病気になると不当に扱われましたから。愛情のない言動に私が爆発し、改善要求し話し合いを重ねましたが、何も覚えていませんでしたから、彼に関しては全て無駄でした。学習したかのように思えたこともありましたが、ムスメを医者に連れて行くことさえも一度もしませんでした。結局、彼は努力することなく、別れた今は一人だけの生活を満喫しているようです。
ムスメは、小さい頃であれば百歩譲って許されていた言動が、ある程度大きくなると、やはり問題になりました。看病する意味や何をしたらいいのか分からないことが分かってからは、私も感情的にならないよう努めて教えましたが、そこは素直に人の話が聞けない自閉スペクトラム症です。「やりたくない」が強く先行して「なんで私が?!」と我がまま全開になるので、私も応戦してしまいました。
私は具合が悪くなることで、自分がうるさく言い過ぎる傾向にあることに気づきました。具合が悪いと小言をいうパワーがないので、最小限しか話せません。ムスメの様子を静かに見守るしかなかったのですが、すると、ムスメはゆっくりですが、頼もしいところがあることに気づけたのです。
長い間、何もかも夫と同じで何かおかしいと恐怖すら感じていましたが、発達障害を勉強して、試行錯誤を繰り返して、ムスメの抵抗にあってもダメなものはダメと冷静に対応できるようになりました。
落ち着いて話せば分かる
先日、私は三回目のワクチンを打った後、寝込みました。
「私はいつも世話をしてあげてるし、あなたが病気の時は看病してるのに、あなたは私を看病するのが嫌だと断るんですか? なんでって、どういうこと? ママもそんなこと言う人の面倒をみたくないので、断っていいですか? ひどくない? 悲しいよ。 あなたが病気になって私から看病したくないって言われたら、あなたは、どう思いますか?」
いつものように「なんで?!」とムスメが抵抗してきたので、淡々と訴えました。
詳しくはまた書こうと思いますが、経験を繰り返す内、ムスメの抵抗も軽くなってきて、今回もなんとか看病してもらえました。具合が悪くなるのは嫌ですが、ムスメにとっては良い経験になっていると思います。
お互い心地よく一緒に暮らす為には、両方の努力が必要不可欠と思います。少しづつゆっくりですが、できることが増えてきているので、これからも応援したいと思っています。
先日ムスメは「人を看病しないと言うことのどこが悪いのか、言われないと分からない」と言っていました。大変でも大切な人の為に働くという倫理がないのと、自分のことでいっぱい過ぎて人の世話をしたくないという気持ちが勝ってしまうのでしょうが、倫理の問題は、分かっていても毎回微妙に傷つきます。
皆さんご存じと思いますが、親子関係の鍵を握るのは親です。私が身を持って理解できたのは、支援の仕事のお陰でした。子供を変えたければ、まず大人・親・先生が変わらなければいけないのです。いままで散々失敗してきましたが、その失敗も無駄ではなかったかなと最近のムスメを見ていてゆる〜く思います。そうは言っても、頑固な特性の持ち主ですから、まだまだ色々あるのですが、小言だけは控えるようにして精進して参りたいと思います。