親ガチャ失敗だと思っていたけど。

私が小学校3年生になる時に
母は私と妹を連れて家を出た。
学区内なので、父にはすぐ家を突き止められ、
酔っぱらって押しかけて、登下校中の私達に会いに来たりもした。
別居の理由は、暴力を振るわれたからだと思う。
日常茶飯事ではなかったのだと思うのだが、
口喧嘩がエスカレートして手が出たのだと思う。
祖母(母からすると姑)とも同居だったので、それも1つの要因だと私は思っている。
父が私達に暴力を振るったり、酷いことを言ったりは一切なかったので、
父や祖母がいた時の家は安心できたし、
父と母が喧嘩しても、大して気にもしなかった。

それがいざ別居となり、
家に押し掛けてくる父に迷惑していた母を見て、私は両親の深刻さを知り、恐怖を覚えたのだ。
あの頃の大人たちの言い合いは、子供の私に完全に通じていたわけではないが、何となく言っている意味は汲み取れた。
大人たちの、意味のない保身や、
親権どうのこうの等々、
子供の私にとっては、
何も意味のないものだった。

だって私は安心して生きたかっただけなのだ

母が選んだ借家は隣がシンナーをやっている若い男が住んでいた。
幻覚が見えるのか夜中に叫び声が聞こえたり、
上半身裸でお茶っ葉を借りにきたりした。
そのうち、警察に連行されていなくなったけど。

父親がいない私達家族を見る近所の目は、
子供ながらに少し冷たいもの、そして軽んじられていたと思う。
安心したくて、母に再婚してほしいと、頼んだこともあったし、
母方の祖父母の家に引っ越しもしたいと思った事もある。
家に男という強い人間がいるだけで、安心なのだ。
今もまだ、シングルマザーに対する目は根本的には変わってはいないと私は思う。

苦労した子供時代のような文を書いてきたけど、
私は父にも母にもそれぞれの形で愛されてきたのだと思うし、祖父母にも見守られてきた。

だけど、それはこの年齢になってから言える事です。
子供時代はもちろん、子供を育てながらでも
両親の離婚を恨んだ瞬間もあったし、
自分が離婚再婚してもなお、
両親が離婚を選んでいなかったら…と、
被害者ぶった思考の時もあった。

私は与えられたものが、
少なかったなんて、今は思わない。
だからといって、
何を得したのかはまだ分からないけど、
ただ人生がどう転ぶか分からない体験は、
人より早めに経験できたと思う。
トラウマのように小さい頃の思い出が脳裏に浮かんで悲しくなる瞬間もある。
けど、私たち人間は声を出すことも出来るし、
文字で訴えることも出来る。

恨み辛みを出したっていいんだ、
そうしながら、自分を癒し、
与えられたものに気付く事が最高に楽しいのだ


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