ユタカピ

貧困層・底辺層出身。 毒親育ち。元肥満児。元不登校。 10代で鬱になり、20代でパニッ…

ユタカピ

貧困層・底辺層出身。 毒親育ち。元肥満児。元不登校。 10代で鬱になり、20代でパニック障害になりました。 心療内科に通院中。 胸糞話ばかりなのでフォロー非推奨。

最近の記事

貧困家庭の特徴

私が見てきた貧困家庭の特徴。(自分の両親も含む) ・夫の稼ぎが悪いので共働き。 ・経済力が無いのに子供が3人以上いる。 ・両親は低学歴、無教養、非常識。 ・団地や狭いボロアパートに住んでいる。 ・子供の事より自分が優先。パチンコ、お酒、タバコ、美容室、洋服、化粧品、ペットにお金をかける。 ・自分に都合の悪い事が起きると周りの人のせいにする。 ・お金の事でしょっちゅう夫婦喧嘩をする。 ・母親は仕事、家庭、貧困のストレスで常にイライラしている。 ・親自身のストレスを子供にぶつけ

    • SSRI

      今日初めてルボックス50㎎を飲んだ。 精神は全く安定せず、副作用の持ち悪さに襲われた。 パキシルといい、私にはSSRIは合わないようだ。

      • 許せない相手には

        許せない相手を無理に許す必要は無い。 許せない事を人にしておいて、許してもらおうなんて考えが甘いんだよ。

        • 異常な家庭環境3

          両親はパチンコが好きだった。 私が未就学児〜小学校低学年の頃は、二人がパチンコをする時は私も連れて行かれた。 幼い私一人を家に置いておけないからだ。 パチンコ店に入ると鼓膜が破れそうな爆音・タバコの副流煙が私を襲った。 両親はパチンコをしている間は私を何時間も店内に放置した。 私は一秒でも早くここから出たかったのだが、帰りたいと言った所でパチンコに夢中で私の話など聞かないし、「うるさい!」と怒られるとわかっていたのでひたすら何時間も我慢していた。 私はこの時間が大嫌

        貧困家庭の特徴

          今の状態2

          やりたい事は沢山ある。 しかし、気力が無くてなかなか手がつけられない。 集中力も持続力もあまり無い。 やり始めてもすぐに疲れてしまう。 子供の頃は 好きな事ならすぐに手を付けられたし、延々とやっていられたのに。 今はそれが出来ない。 太っていても元気だった子供の頃に戻りたいなぁと切に思う。

          今の状態

          鬱&パニック障害の診断を受けて10年以上経ち、治療のおかげて寝たきり状態やパニック発作は起きなくなった。 しかし、普通の人達と比べると仕事も家事も全然出来てないと思う。 以前はその事で自分を責めていたが、今は生活に困らない程度は出来ているので良しと考えるようになった。 いくら周りの目を気にしても、いくら自分を責めても、仕事も家事も出来るようにはならない。

          不登校になった2

          不登校になってから数カ月後、「このままではいけない」と思いフリースクールに通った。 フリースクールは中学校二年生の間ずっと通っていたのだか、母親は気に入らなかったらしく最後までずっと「あんな所に行かないで」と言っていた。 一度、フリースクールから家に電話が来たのだが、何も知らない父親が電話に出て「結構です」と言って切った。 勉強教材のセールスと思ったらしい。 自分の思い通りにならなければ納得しない母親、子供の事に無関心で何も知らない父親には心底呆れてしまった。

          不登校になった2

          痩せるのに必死だった

          中学校一年生の時にスクールカースト頂点の女子にイジメられ、ろくに友達も出来ずに孤立した。 「イジメられるのは太っているせいだ」と思いダイエットを始めた。 当時は食べないダイエットが主流で、家では食事は殆ど摂らず、給食もカロリーが高そうな物は食べなかった。 それでも体重は思うように減らず、下剤を飲んでいた。 いつも栄養不足で頭がボーッとし、空腹でイライラ・フラフラしていた。 この頃から冷え症になった。 家でも学校でも、痩せる事で頭が一杯だった。 痩せてはリバウンド

          痩せるのに必死だった

          肥満児になった原因

          子供の頃、食事とお菓子を食べる量が異常だった時期がある。 おやつにスナック菓子1袋・クッキー1箱・菓子パン1個を一度に食べ、食事は3食+夜食を食べていた。 お腹は苦しいのだが、食べるのをやめられない。 今思うとストレスによる過食症だったと思う。 小学校3年生からブクブクと太り始め、標準体重+10キロの状態になった。 学校では意地悪なクラスメイトから体型の事でからかわれ、家では母親が太っている事を罵った。 太っている事は事実なので言い返す事が出来ず、只々毎日傷ついて

          肥満児になった原因

          不登校になった

          中学校一年生の時はなんとか通学出来ていたが、二年生になってとうとう事切れた。 無気力になって一ヶ月位は寝てばかりいたと思う。 当然母親や先生は学校に行かない私を物凄い剣幕で責めるのだが、もう何もかもどうでもよくなっていたので何とも思わなかったし、何も感じなかった。何も考えられなかった。 だだ、近所にあった男子校のチャイムと休み時間毎に担任がかけてきた電話のベルが非常にうるさかった。 この時だけは必死に指で耳を塞いでいた。

          不登校になった

          縁切り神社

          近所に結構有名な縁切り神社を見つけたので行ってみた。 縁切り神社というから怖いイメージがあったが、商店街の中にある、とても小さな神社だった。 地元の人が参拝していたり、家族で初詣に来ていたりと、参拝客が途切れる事は無かった。 神主さんや巫女さんはおらず、商店街のお店で絵馬を売っていた。 縁切り神社は神様に縁切りをお願いするのでは無く、絵馬にお願い事を書くのだそうだ。 私は「持病」「弱い自分」「嫌な過去」と縁が切れますように と書いた。 歩いて数十分の所にあるので、

          縁切り神社

          高校時代のアルバイト

          貧困家庭だったので、私は高校入学と同時にアルバイトを始めた。 宅配弁当屋の盛り付け・弁当箱洗いをしていた。 弁当のおかず・ご飯を盛り付けを朝の5時から7時までやり、一度帰宅してから登校、下校してからまた弁当屋に行き今度は弁当箱洗いをした。 これを週6日でやっていた。 時給は朝が1200円、午後が900円だった。 お給料は学校(美術科)で使う画材や資料、携帯代、洋服代、コスメ代、交際費などに使っていた。 学校で使う物も含め、自分が使う物は全部アルバイト代から出してい

          高校時代のアルバイト

          精神科・心療内科通院歴

          高校時代に学校も家庭環境も嫌になり、家にあった風邪薬ニ瓶を一気飲みして自殺未遂。 救急先で運ばれた医師が親に私を精神科に連れて行くように言い、数日後に初めて精神科に通う。 精神科では自律神経失調症・鬱病と診断された。 カウンセリング内容も飲んだ薬の名前も覚えていないが、受付のお婆さんが嫌味ったらしく、やたらとキレていたのを覚えている。 治療費が高く、カウンセリングも薬の効果もよく分からないので、何回か通って行かなくなった。 20代になり、家で急に心臓が痛くなり動悸が止

          精神科・心療内科通院歴

          飲んでる薬・飲んでた薬

          今はトフラニール・レキソタンかワイパックス・ドグマチールを服用中。 抗不安薬はレキソタンが眠くならないので一番好きなのだが、法律の縛りで年に一度しか処方出来ないらしい。 レキソタンが無い時はワイパックスを飲むのだが、眠くなるのでしんどい。 トフラニールの副作用で物忘れがあるらしいのだが、確かに記憶力が落ちたし、思考力も落ちた。 日常生活で眠気と記憶力低下が本当に困る。 パニック障害が一番酷い時は トリプタノール・デパス・アナフラニール・リーゼを飲んでいた。 トリプ

          飲んでる薬・飲んでた薬

          中学校時代の担任の先生

          カースト頂点の女子も酷かったが、担任の先生はもっと酷かった。 体育の男性教師だったが、ジェルでガチガチに固めたリーゼントヘアで、物凄く派手な蛍光スポーツジャージを着ていた。 教育者なのに言葉遣いが物凄く悪く、生徒に向かって「てめえ!」だの「ふざけんな!」だの大声で怒鳴り散らしていた。 私が音楽の先生の伝言を伝えた時に、何故か「バカヤロー!」と怒鳴られた事がある。 教育委員会に言葉遣いの件で二度注意された事を男子生徒の前で何度も自慢していた。(聞かされていた男子生徒はドン

          中学校時代の担任の先生

          鬱の始まり

          小学校までは周りとの格差も気にならず、普通に登校していたし、肥満児だった事を除けば普通の子供だったと思う。 嫌なことがあっても一晩寝れば立ち直れたし、友達と趣味の漫画やイラストを描いて遊んでストレスを解消できていた。 しかし、中学校ではは家庭環境・学力・容姿などでスクールカーストがあり、貧困家庭・肥満児・低学力の私は最底辺にいた。いや、圏外だったかもしれない。 当然カーストの頂点にいた女子にイジメられ、人間不信になった私は友達が出来なかった。 学校ではイジメられ、家に

          鬱の始まり