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「要する」まえの「自分のことば」を持ってる人に憧れる

大学生のとき、想いやビジョンを語る人は「意識高い系」って揶揄される文化があった。今もあるのかな?あまり聞かない気がするけど。

ゆとり世代らしさなのだろうか、まじめとか熱いとか、そういうのってちょっとダサい、みたいな空気が生んだ言葉だと思っている。

最近思うのは、この「意識高い系」のなかに「ホンモノ」と「ニセモノ」が混ざってるよね、ということ。

いろいろな人に話を聞いているうちに耳が肥えてきたのか、私は両者をずいぶん見分けられるようになってきた気がする。

「ホンモノ」の人たちを、私はこう呼んでいる。

「自分のことばを持っている人」

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今、インターネットはパンクしそうなくらい情報だらけで、「名言」なんてそれはもう、あちこちにあふれかえっている。ちょっと嫌味な言い方になってしまうけど、誰もが「それらしいこと」を言うことができる時代だと思う。

スマホでキーワードを入れて検索して、著名人のインタビューや”いいね”が多いツイートから「名言」を拾い、それをまるで自分のことばのように話すことはいとも簡単にできてしまうから。

モノと同じように、「ことば」もすごいスピードで消費されていく時代だと、そう思う。

私が高校生のときまではスマホがなくて、自分の考えたことを表現することばが見つからないときはうーんって考えて絞り出すしかなかった。読んだ本の中から好きなことばを拾っては「好きなことばノート」に少しずつためていったのが懐かしい。(そのノートが入った手提げを大学生のときに駅のトイレに忘れて、なくしてしまったんだけどね。1週間泣き暮らした)

あのころよりもずっと速いスピードでぶんぶんとことばが飛び交う今、誰かのことばを簡単に使いまわしてしまっている自分や人の話に、げんなりする。

一方で、ずっとこの人の話を聞いていたい!って思う人に出会うこともある。それが、「自分のことば」を持っている人だ。

自分の手を動かし、自分の頭で考えたうえで紡いだことばはとても心に残る。誰かが言ったことの使いまわしではなく、自分の経験や倫理観などの裏付けがある。

そういう人たちにはよくメディアからインタビューの申し込みがあるし、トークイベントにも引っ張りだこ。

これだけことばの溢れる世の中で、価値になることばを生み出せるって本当にすごいことだ。

先日は私がライターをしているsoarというメディアのトークイベントがあった。イベントレポートの担当だったので猛烈にメモをとりながら聞いたのだけど、ゲストのみなさんが自分のことばを持ってる人たちだったから、ものすごくおもしろかった。


自分のことばを持ってる人たちに共通しているのは、いつもモヤモヤしてるってことだと思う。

きれいにまとまった正解を持っているのではなくて、常に「それって正しいの?」「もっと良いやり方があるんじゃないの?」と考えてアップデートし続けるから、ことばはどんどん変化する。決まりきった名言を言い続けてる人はいない。だから、おもしろいんだな。

「要するに」でまとめようとすると、きれいな正解になってしまう。

例えば、

”みんな違ってみんないい”とか、
”多様性が認められる社会にしよう”とか、きれいなまとめ方ってたくさんある。鉄板の言い回しも出てくる。

けど、「要するに」に甘んじると、上っ面のことばの独り歩きになる。

昨日のゲストの人たちの話も、「要する」ことはできてしまうんだけど、読者が読みたいのは「要する」前のことばだと思うから、そのとれたてフレッシュな「自分のことば」たちをいかに伝えるか、っていうことに細心の注意を払いつつ、イベントレポート記事の執筆にとりかかろうと思う。

私も、「要する」前の「自分のことば」を持てる人になりたい。そのために、インプットしたものを何度も何度もかみ砕いて考え、思考の森をモヤモヤと彷徨い続けたい。

日々、鍛錬である。

(武士みたいな終わり方になってしまった)

#コルクラボ #コルクラボガーデン #soar #ライター #ひとりごと #エッセイ


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