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「困ってるひと」を読んで、忘れたくないと思ったことのメモ

ある日突然、治療法のない難病にかかってしまった作者、大野更紗さんのエッセイ。あまりに壮絶な闘病ぶりに目を覆いたくなるくらいだったけれど、病気を抱え命がけで書いた理由を知りたい、と思って読み進めた。最後まで読んで本当に良かった。

更紗さんは、どんなに理不尽なことがあっても誰も悪者にせず「どうしてこうなるの?」と客観的な分析(と、ユーモア)を交えて語る。

読んでいて涙が出そうになる章もあったけど、同情してほしいわけではない、感情論ではなく、冷静に厳しく世に問いたいことがあって書かれた本だと思うので、読みっぱなしにしてはいけない。そう思って、レビューを書いている。

1番ショックだったのは、「なんでも言って」という友達に頼りすぎた結果、友達が疲弊し、「もうできない」と告げられたエピソード。

わたしを助けられるのは、わたししかいないのだと、大事なものを失ってからやっと気がついた。 (本文より)

圧倒的な困難を前にして個人的な援助は持続不可能である。ひとは他の人のために、ずっと何かをしてあげ続けることはできないのだ。

国際協力や震災ボランティアの活動でも目にし耳にすることだけれど、結局は「組織」「制度」の基盤がない限り本当に困った人は助けられない。

目の前の人にその場で優しくしたとしても、必ずしも相手のためになるとは限らない。結局、戦うのは困ってるその人自身だから。

そして日本はこんなにも、弱者のための「組織」「制度」が脆弱なのだと改めて知って震撼した。障がい者手帳を取得し、サービスを利用するための手続きの煩雑さも衝撃である。

ひとが、最終的に頼れるもの。それは「社会」の公的な制度しかないんだ。わたし自身が、「社会」と格闘して生存していく術を切り開くしかない。難病女子はその事実に愕然とした。(本文より)

この本の執筆も、更紗さんの「社会」との格闘の一つなのだと思う。想像もつかないくらいに、孤独でしんどい戦い。

ギャンブルのように、ロシアンルーレットのように、いつ誰がどんな困難の当事者になるかなどわからない。自分の周りの人も、もちろん自分自身も。

あまりに重たいこの現実をどうやって受け止めたらいいのか考えあぐねていて、もっと学ばないと、簡単に解決策を口に出すことなんてできない。

困難を抱える人を支えるものは、本当に、
公的な制度しかないんだろうか。

だとしたら、自分にできることは?
自分や自分の周りが同じような状況になってしまったらどうしよう?

モヤモヤする。

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