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来年どうなるか想像できない(x_x;)ので「60年後の暮らし」を考えてみる

 来年どんな生活をしているか、世界はどうなっているのか想像するのは難しい。喉元すぎて熱さを忘れ平穏に戻っているのか、第3波に喘いでいるのか。来年は時に委ねて、今は「60年後の暮らし」を考えてみようかと思います。自分たちは死んで、子供たちが老人になり、孫たちが生きる世界を。

 60年で、世界はどのくらい変わるのでしょうか。振り返ると1960年の日本は、高度成長期のまっただ中、各地に大団地が登場し、白黒テレビや洗濯機や冷蔵庫が家庭生活に普及しはじめ、新幹線や首都高、地下鉄や東京タワーやホテルが突貫工事で建設され、東京の都市基盤が整備されていきます。週刊少年サンデーやマガジンが発刊され、『渚にて』の映画が公開。テレビでは鉄人28号が放送されました。また、国会前に集まった30万人を前に、日米安全保障条約が東西冷戦下における対共産主義陣営に組み込まれ、中国では、中ソ論争を経て、後の文化大革命につながる毛沢東の独自路線が強調され、韓国では、弾圧政治を行っていた李承晩政権が国民のデモで崩壊。アメリカでは、ケネディが民主党の大統領候補に選出されて、南ベトナムでは、解放民族戦線が結成されています。

 60年というのは、暦の一巡。甲乙丙丁…と数える十干(じゅっかん)と、子丑寅卯…と数える十二支の組み合わせの「干支(えと)」が、最小公倍数の60年で一回りする過去であり未来でもあります。今年2020年は、庚子 (かのえね :コウシ)。庚は、「更」に通じ「植物の成長が止まって新しい変化を迎えようとする状態」。子(ねずみ)は、「孳」という字で、孳る(しげる) 孳む(うむ)とも読み、「新しい生命が生まれようとする状態」を指します。その掛け合わせである今年は、60年に一度の「新しい変化の兆しが見え始める年」になるはずでした。

 前回の庚子の年に始まったモノは、この60年間で何をどう変えてきたのでしょうか。そして、この時代を経ても変わらなかったモノは何でしょうか。
 テレビや洗濯機、冷蔵庫やクーラー、新幹線や首都高、地下鉄やシェアサイクル、スカイツリーやホテル、パソコンやスマホ、グーグルやライン、ユニクロやコンビニなどがなかった60年前の世界。それに囲まれた「現在の暮らし」を考えてみるために、「今」を折り返し点として、それらを60年後に喪失させてみる。「今」を失った世界として未来を描いてみます。

 これは、『終末もの』や『破滅もの』とも言われるSF のサブジャンルですね。「ポスト・アポカリプス(黙示録)」では、大規模な災害や戦争によって人類の文明が崩壊し、文明を支えていた様々な社会基盤が機能しなくなった世界で、人間はどう生きるのかが描かれます。
 大規模な戦争や人工知能の反乱、宇宙からの侵略、致命的な伝染病の拡大などはハリウッドに任せるとして、もっと静かな変異を想定しましょう。
 60年後の八ヶ岳山麓での暮らしで、喪失されている社会基盤は3つ。「貨幣」と「人口」と「国家」。ハードSFとして描くなら、その過程をリアルに設定しなければなりませんが、そこはちょっと曖昧に。パンデミックで経済疲弊した大国間で他者排撃が強まり地域紛争に発展。サイバー攻撃が金融システムに不具合を誘発。世界の貨幣価値が蒸発してしまいます。全ての貨幣資産が御破算になって社会経済は崩壊。日本では2019年時点で6,700万人いた産業従事者は、第一次産業の220万人以外の97%が失業します。出生率は激減、自殺者が多発し医療や介護制度も機能しなくなり急速に人口が減少します。行政と政治は不在となり法律は無力化、国家は瓦解していきます。

 この設定でどのくらい人口が減るのでしょうか。パンデミック前に予測された日本の2060年の人口は、8,600万人。内3,400万人が、65歳以上。2019年の平均寿命は、85歳、1960年時点では、65歳ぐらいでしたので、医療や介護が、貨幣や保険制度が消滅してもなお、1960年までの後退で持ち堪えたとして、ざっくり65歳以上の3,400万人の生存が難しくなります。また97%の失業が、60年間出産を97%抑制したとすると、2060年に存在するはずの59歳以下の人口4,600万人の97%、4,400万人が産まれなくなり、残りは、800万人。貨幣価値消滅のインパクトを生き残れるのは、もっとずっと少ないかもしれません。しかし、1億人以上が60年間で亡くなるとお墓はどうなるのかな。林立する高層ビルがそのまま墓標になっているかもしれません。

 ポスト・アポカリプス作品の代表作といえば、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』ですね。映画が公開されたのは1984年。アメリカとソ連が、中距離核戦力全廃条約 (INF)に調印したのは、1987年になります。

 『風の谷のナウシカ』では、相変わらずの戦争やいさかいごとの中で、長い黄昏の時代を生きる人々が、また、『借りぐらしのアリエッティ』では、床の下に住む滅びゆく小さな種族が描かれます。そういう意味では、『もののけ姫』のモロ一族も「滅びの美学」を生きているのかもしれません。『少女終末旅行』では、消えゆく灯火の最後の輝きが描かれ、『未来少年コナン』では、旧世界の残照の中、今を生きるダイナミズムが描かれます。いずれも印象に残るいい作品です。

 60年後の八ヶ岳山麓で、我々の孫たちは、「貨幣」と「人口」と「国家」を喪失しています。が、その中で、彼女たちが迎える「新しい変化の兆しが見え始める庚子の年、2080年」の暮らしを描く物語。構想noteを始めたいと思います。

2020年9月1日
※タイトル画は、野辺山の電波望遠鏡の副反射鏡上から八ヶ岳を望む主人公

八ヶ岳山麓暮らし 2080 キャラ設定編(1)  ➡︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎こちら
八ヶ岳山麓暮らし 2080 キャラ設定編(2)  ➡︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎こちら
八ヶ岳山麓暮らし 2080 エピソード編   ➡︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎こちら


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