本の棚 #6 『”やりがいのある仕事”という幻想』
『”やりがいのある仕事”という幻想』
森博嗣
いまは就活の時期だろうか。
コロナ禍の就活とは
果たしてどんなものなんだろう。
約11年前…私も就活をした。
みんなが「ゴーセツゴーセツ」
と唱えていたを覚えている。
雪国出身なので「豪雪」しか
浮かばない。
ゴーセツには一度だけ参加した。
友人と東京ディズニーシーに
遊びに行くついでに。
そしてミッキーと
お喋り亀さん以外の
そのゴーセツの記憶は
1mmも残っていない。
そこで一度就活にピリオドを打った。
「これは向いてないな」
と感じたのだ。
やりたくなったらやる。
無理矢理やるのはなんか違うと
すねたといっていい。
そして数カ月後に再開した。
採用されたとしても
そこでずっと働くわけじゃない
就職で自分の価値が決まるわけじゃない
一つの経験として「やってみよう」
と思えたのだ。
−−−−−−−−−−−−−−
仕事というものは、今どんな服を着ているのか、というのと同じくらい、人間の本質ではない。
なるほど。
そこまで言っちゃうか。
でもそうだと思う。
仕事だけでその人の
幸せが決まることはない。
もちろん一日の結構な割合の
時間を仕事に費やすが
それでもまだ時間はある。
自分が楽しいことをやるために
仕事で金を稼ぐという人もいる。
仕事に重きを置きすぎるほうが
かえってリスクが高いのかもしれない。
仕事で受ける評価がよくても
電車で座りながらPCカタカタ…
休日もあるのかないのか…
それは私には無理だ。
仕事で発揮されるような能力の多くは、あくまでも外面的なものであって、内面的な性格はほとんど問題にならない。極端な話、「振り」ができるかどうかが大事な場面ばかりだ。
自分の内面的な部分が
仕事の能力とリンクしたほうが
いいと思っている人は多い。
営業や接客業は明るくて
しゃべり上手な人が
いいのだろうか?
結論そんなことはない。
むしろ逆かもしれない。
普段暗くて人の話を聞く側で
自分のことはそんなに話さない。
そんな人のほうがお客様から
評価されることが多い。
振りをする
ん〜演出する?
舞台上の演者みたいな。
そんな仕事に対する姿勢のほうが
いいのかもしれない。
個人的な悩みの解決のキィになるのは、一般論、客観論、そして抽象論である。
自分だけに起きた特殊な悩み
そんなものはほとんどない。
一度客観的に自分から
切り離した上で
答えを出すことが
ときには重要になる。
本当に素晴らしい仕事というのは、最初からコンスタントに作業を進め、余裕を持って終わる、そういう「手応えのない」手順で完成されるものである。
そのための準備という名の
「自己鍛練」にこそ
手応え、やりがいがある。
準備とは
成功や失敗を振り返り蓄積し
自分の知識やスキルを高め
ミスやハプニングが起きることを
想定して「余白」をつくっておく
そんなようなことか?
人生のやりがいとは?
自分で作るもの、育てるものだ。
幸運にも両親や家族から
こうしなさいとか
ああしなさいとか
言われた記憶がほぼない。
「勉強しなさい」
なんて聞いたことがない。
※兄は言われてた…笑
既定のレールなんてない。
だから自分で選べよ。
とも言われてないけど
そんな気持ちを勝手に感じた。
本当に楽しいものは、人に話す必要なんてないのだ。
人からのいいねを求めない。
この読書記録もそう。
自分が本を読んでそのときに
感じたことを記す。
のちのち見たらおもしろいかなと
思っている程度。
サポート頂いた分は全て書籍代として本屋さんに還元します!