#エッセイ (国際政治より)『人材難』

 今朝のニュース速報で、アメリカの大統領選から現職のバイデン大統領が選挙戦から撤退というニュースが飛び込んで来ました。先週の半ばくらいからテレビなどで撤退の可能性が報道されており、それも分からないではないとは思っていたのですが、いざそんな報道を知るとやはり驚きは隠せません。
 確かにテレビの中で見る最近のバイデン大統領はウクライナのゼレンスキー大統領をプーチン大統領と言い間違えたり、またトランプ元大統領とのテレビ討論でも言葉に詰まっていたり、歩く姿も足元の覚束なさを感じるなど、傍から見ていても大”丈夫かな?”と思わずにはいられない姿を晒していました。
 実は前回の2020年の大統領選の時にも私は密かにバイデン候補(当時)の高齢による衰えには疑問を持っていたのですが、何だかあの当時の選挙戦では民主党の支持者だけに限らず報道機関を含む世論に影響力持つ全ての人達によって無理矢理にでもバイデン氏を当選させたように見えたのです。選挙後の投票の票読みが何となく杜撰なように思えましたし、またマスコミの報道でもそう思わせるような発言もあったりして、是が非でも当時のトランプ大統領の再選をアメリのインテリ層が総力を結集して阻止しているようにしか思えなかったのです。民主党支持者を中心に前回の選挙戦で、トランプ大統領の再選を阻止できるなら実は誰が候補でも良かったのではないかとしか思えなかったのです。そう考えると何も高齢のバイデン氏ではなくもっと若い候補が出てきても良かったのではないでしょうか?バイデン氏は2020年の選挙の24年前にも大統領選に出ていて負けているという報道がされておりましたので、候補としてはありえなくも無かったのかもしれませんが、如何せん歳をとりすぎてもいるように思うのです。ではトランプ氏なら年齢的な問題がないのかといえば、これもまた違うと思うのです。彼も今年78歳という高齢で、あの巨大な力を持つ国のトップとしては年齢を重ねすぎていて体力的にだだけでなく、彼にも今後認知症の症状が出ない無いとも限りません。アメリカという国はあんなにも大きく豊富な人材が揃っていそうなのにどうしてこんなことになってしまったのでしょうか?
 今回のこのアメリカの大統領選における人材不足を対岸の火事であると、私たち日本人は高を括っていることも出来ないような気がするのです。それはトランプ氏が大統領になる事によって日本の対米外交が難しくなるという事も勿論あるとは思うのですが、今はそれを横に置いて、実は私たちの国の政界も人材難なのではないかと思うのです。現在の総理は岸田さんです。政治資金の問題等で岸田さんは火消しが上手く出来ない状況であり、景気も思うようにはよくならないという環境で世間の支持率も゙下がり気味であらり、党内で孤立しつつあるようです。自民党内が揺れているこの時期にどうやら岸田おろしが秋に向けて加速しそうな勢いも感じられます。では、次の総理候補って誰なの?と考えるとちょっと微妙です。確かに石破氏や河野氏や高市氏などの名前が挙がっており、また少し早いような気もしますが小泉進次郎氏などの名前も挙がっているようです。どれもインパクトに欠ける感じがするのです。おそらくはどの方々もそれなりに充分な政治活動はしているのでしょうが、私の様ないち国民からしてみると、石破さんがやや軍事オタクと言う事以外に、その他の方々がが何をしているのか、また何を主張したいのかという事が見えてこないのです。その昔、私が子供の頃はニュースなどで、自民党内では三角大福中などという大物議員がいて、それぞれに得意な分野を引っさげてテレビや新聞を賑わせていたと思い出します。それぞれの人の功績の是非はともかく、それぞれの人が強烈なリーダーになり得るという迫力はあったと思うのです。田中角栄元総理は日本列島改造論を引っさげて土建を中心としたインフラ政策と日中国交正常化、福田武夫元総理は財政のエキスパートとして戦後初の赤字国債の発行で景気の下支えをしたりしていました。中曽根元総理などはどちらかといえば内政より外交と防衛政策が得意で、日米の経済と軍事関係強化に努めるなど、それぞれに目玉の政策が分かり易く示されていたと思うのです。あの当時の国政選挙はそんなアクの強い自民党指導者たちに対する信任投票の様相を示していたと思うのです。昭和の時代には良くも悪くもパンチの有る総理候補が何人もいたのです。”こいつがこけたら次はこいつが・・”というように人がいなくて困るという事は無かったと思うのです。
 ではなぜ日米ともに政治の世界ではこんな状況になったのでしょうか。それはおそらくですが、本質的に国家運営をする上で実はそこまで困っていないという事なのかもしれません。世界情勢や環境問題または財政赤字など問題は山積していますが、今この瞬間に目の前ですぐに対応しないと国民の生活が成り立たないような状況ではないのでしょう。裏を返せば誰がやっても同じという事なのでしょうか?もしくはリーダーが誰であったとしても国の土台と体制がしっかり出来上がっているので、そこまで強烈なリーダーシップが必要ないという事なのでしょうか?もしそうであるならば、総理としてそれなりの権限を持っていても力を発揮する場は思ったより無く、そしてやり甲斐は感じられ無いのならば、大した金にもならないので、若くて優秀な人が本気で政治を目指さなくなるのも分からないではないですね(そんなことも゙無いのでしょうが・・)。日本のことだけでもう少し別の見方をするならば、もしかしたら政府が手を付けなければならない事が多すぎて、政策の目玉が打ち出せないのかもしれません。だからこそ総理候補といわれる人が目玉になる分かり易い政策提言が出来ない為に何を言っているのか分からないという感じになり、昭和時代の政治家に比べて見劣りがする様に思えるのかもしれません。米国に目を向けてみると、トランプ元大統領は明確に”アメリカファースト”を掲げていますが、これまた偏りすぎており、逆にアメリカの衰退を連想させ、それが物足りなさか危なっかしさを感じさせているのでしょうか・・・。
 少なくともアメリカ国内では国民の政治離れはそれほど起きているようではないのですが、政治のトップを目指すという人は少ないようです。また日本国内では制度は整い、経済もある程度安定しているので”誰がやっても一緒!”という感覚でなり手がいないように感じます。あまり良い言い方にはならないですが、やはり幕末や明治維新の頃の様な危機感が国に無ければ有能な人材が出てこないのでしょうか?裏を返して言えば、状況や、環境が人を育てるのかなと思うのです。





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