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ひとりにしてくれ

日々せわしなく過ごしていると、時々思う。

「ひとりにしてくれ」

noteに登録している人にはひとりでいるのが好きな人が多そうだと勝手に思っているので、人目を気にせずそんな言葉を発してみた。

私はひとりであれこれ考えるのが好きで
それを中断されてしまうのが本当に嫌だ。
何かしているときに声をかけられるのが嫌いだ。
申し訳ないけど、少しでいいからひとりにして
放っといてと腹の底から叫びたくなることが多々ある。

そんな中
この一週間はなんと、悲願が叶い
一日の大半をひとりで過ごすことができた。

こうして書いてみると、ひとりになれたという事実に
涙が出るほど嬉しい自分に気づく。

ああ、ずっとひとりになりたかったんだ、と。

半日とか、数時間とか、一人になる瞬間は細切れにあるし
早起きすれば家族は寝ているから
ひとり時間を捻出することができないわけではない。

今、ひとりの時間をたっぷり過ごしてみてわかること。

細切れのひとり時間なんて、私の中ではひとり時間には入らん。
ってこと。

ひとりでだれの目も気にせず
仕事のことも考えずに
ただただ好きなことをする。
それが自分にとってかけがえのない幸せなんだと改めて気づく。

今週始めにひとりになってから
家事をあらかたやっつけて
やることなくなったからX(Twitter)やYouTubeで
生産性のまったくない娯楽に浸ってみた。
すごく癒やされた。言いようのない幸福感に包まれた。

それにも飽きてしまったあとにようやく訪れるのが

本当の【余白】の時間。






余白ができると、何かがそれを埋めようとする。
その何かは、私にとっては、家事や娯楽をだいたい
やってしまったあとに出てくることが多い。
前にひとりになったときも、そういえばそうだった。


写真を撮りには行けないから
今まで撮った写真の見直し、現像・レタッチ。
インスタグラムへの投稿。
今入っているコミュニティ内のプロフィール整理や
導線作り。

noteに想いを綴ること。

すべて取り払ったあと、心の奥の奥から出てくる
自分を開放したい欲求が
写真と文章で爆発する。
時間を忘れて没頭する。

普段は、フルタイムで働いている仕事のことが
神経質な私はどうしても気になるし、子供のこと
食事の準備、洗濯や掃除、送迎、買い物・・・
それらでいつもパンパンな
私の狭いキャパシティよ。

それらが一気になくなると、ようやく出てくる自分らしさ。
久しぶりだねと言いたくなる、自分の核の部分。

自分らしさを、もっと愛してあげたいと思う。
みんなが自分らしさを愛して、内に秘める才能を表現できたら
世の中もっと素敵になるんじゃないだろうか。

今回はボーナスタイムだったけど
家族の中での信頼関係をもっと築いていけば
自分の判断でひとり時間を作ることは可能だと思う。

結論:ひとり時間をもつことを今より優先させるべし



(ちなみに、勘の良い人はすぐ気づくと思うけど
例の流行り病に【また】かかり出勤停止ということで
念願のひとり時間をもらうことになったのだった。)
おわり。


海にプカプカ浮きながら見上げた青空








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