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【エッセイ】金継ぎに思うコト

ここ数年、年始にやっている事がある。

 金継ぎだ。

悲しいかな私の拙い手元によって、壊れてしまう器があとをたたない。そうした器を、年に一度まとめて修復する。

え、そんなに割る?と思われるかもしれないが、私は割る。出来るなら割りたくないが、ひとえにそそっかしいのだろう。

ちなみに往年の大女優•高嶺秀子さんは、皿を割ったことがないらしい。

信じられない。多くの人は少なくとも年に一度は割ってしまうのではないか。実際、私が通う金継ぎ工房にはいつも4〜6人、多い時は10名ほどの参加者がいる。皆、ごっそり持ち込んだ器を前に、俯き加減にしている。

作業はなかなか楽しい。黙々とひびや割れを接着し、修復したキズに金粉をまぶし仕上げる。

他所様の器を見るのも楽しみの一つ。年季の入った伊万里の欠けたのが、金を纏って蘇ったりすると、方々で感嘆の声があがる。
「素敵ですね!」
「有難うございます。母に貰ったもので…そちらの器もいい色ですね。金がすっかり馴染んで、まるで元からそういう器だったみたい」
「そんな……そうですか?」
などと皆でひとしきり褒め合う。終わる頃には妙な連帯感まで生まれ、うっかり来年も来ようと思ってしまったりする。駄目駄目。割らないにこしたことはないのだから。

器はたいてい旅先で気に入った物を持ち帰る。今年直したのは萩で見つけたうさぎ焼。これがまたどんな和菓子にもあう。

藍色のマグは伊豆で出会った。これで飲むコーヒーが、なぜか一番美味しく感じる。おやつの時間にはこの二つが欠かせない。

装い新たとなった彼らに、きっと今年の日々も彩られていく。愛着が増すのも、もっと大切に扱おうと思う気持ちも、傷の数と比例するのかもしれない。

年末の帰省で久々に母と喧嘩をした。正月早々……と父にいなされたが、身内ながら出過ぎた行為を私が看過できなかった。

東京に帰り、母から「おうた子に教わるとはこの事やね」と短いメールが届いた。別れ際の所在なさげな姿を思い出し、胸が締めつけられた。

吐いた言葉は戻せないし、あった事を無かった事にもできない。

でも、また繋がることはできる。

繕うことで輝きを増すのは、器に限ったことではないはずだから。


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