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自己紹介

私は12年間、
生活の為、お金の為、仕事だから我慢は当たり前と
自分の気持ちを押し殺して
嫌いな仕事を続けてきました。

もっとやりがいのある仕事がしたい!
あるはず!
と12年間思い続けてきました。

だけど、私は得意なものも特別な資格もない
ただの会社員。

私にしかできない
「何か」が欲しくて
34歳で生き方を変えようと決心しました。

がんばらなければ幸せになれないと思い込んで、
自ら苦労の道を進んでいました。が

幸せって嫌なことを
がんばることではないことに
気がついたのです。

34歳のあの時、勇気を振り絞って
自分のために生きると決めて
動き出して本当に良かったと
心から思います。

綺麗事に聞こえるかもしれませんが
いろんな挑戦や行動していく中で
人の喜びが私の喜びだということに
気づきました。

現在は、届けたい想いや、
届けるべき言葉を言語化して
濃いファンを作る集客サポートをしています。

私自身、想いを言語化することがめちゃくちゃ好きで
ブログやSNSやメルマガを発信しつつ
本の出版にも挑戦中です。

私はケータイ販売員を
12年間勤めてきました。

出勤時間は毎朝10時。

まだ始業すらしていないのに、
早く1日終わらないかな・・・
と憂鬱な気持ちで出勤。

毎日思っていたことが
朝目が覚めた瞬間
あぁ…今日も始まった。

家にいるのに
帰りたい・・・と思ってしまうほど
苦痛でした。

仕事内容は、接客と販売です。

ケータイショップは
「受付」をするだけと思われていますが、
営業職となんら変わりませんでした。

「とにかく来店したお客さんを
手ぶらで帰らせるなんて有り得ない。」
「売り手の流れに持っていくことが当然。」
と上司からは毎回言われ続ける日々。

数字だけしか見てくれず、
部下の気持ちは無視でした。

必死で頑張っているにも関わらず、
数字でしか見てもらえないことに
ショックな気持ちと、
そんな会社に勤めている自分に
がっかりしていました。

来店されたプラン変更だけのお客さんに対しても
必ず営業をかけなければなりません。

断られることは当然と思いながらも、
必要のない商品やオプションを
必ず提案していました。

プラン変更だけできている方や
操作説明を聞きに来ている方へ、
全く関係のない商材を
提案しなければならないんです。

不審がられないようにする為に
しっかりとコミュニケーションを取り、
わずか5分から10分で信頼関係を築き、
洗脳させるような営業トークをしていました。

お客さんの迷っている表情を見ていると
胸が痛くなるんですよね・・・
騙しているようなそんな感覚でした。

次々に来店されるお客さん。

また同じ話ししなきゃいけない・・・
と常に憂鬱な気持ちでした。

理不尽なクレームも多く、
とにかく窓口の私たちは当たり散らされ、
怒鳴られ、ひどい時は
胸ぐらを掴まれたこともありました。

こちらが悪いわけでもないのに
ペコペコ頭を下げて謝らないといけないことも
何度もありました。

お客さんの様子を伺って
お客さんの機嫌を取っている自分も
ものすごく嫌でした。

なので接客業にも関わらず、
お客さんを快く迎えることが
できませんでした。

私が店長だった時は、
上司と部下の板挟みもありました。

上司からは
「実績が足りない。あと◯件!達成率が低い!」
と言われるものの

部下からは
「もっと私たちの気持ちを考えてほしい」
と訴えられる。

部下へはモチベーションを
上げさせる責任があり。

上司には数字で結果を見せなければならない。

両者へうまく立ち回らないといけないストレスが
どんどんたまる一方でした。

部下同士の人間関係のトラブルの解消が
とてつもなく面倒くさかったです。
当時はそんなこと言えませんでしたが・・・

人間関係の修復の板挟みで
ものすごくエネルギーを消耗していました。

スタッフが30人ほどいる店舗を
受け持ったこともあり
一方の肩を持つようなことをすれば、
一方は拗ねてしまう。

スタッフ間の恋愛の絡れもあったり。

会社は学校じゃないのに・・・
と思いながらも
人間関係のトラブルも対処してきました。

学校の先生をしているかのようでした。

こんな事ばかりしていたので
私は一体何をしているんだろうと
考えてしまうこともありました。

そんなストレスが溜まりに溜まって、
やることと言えば、
会社の仲間と週1~2回
名古屋駅へ飲みに行くことです。

当時私は岐阜の店舗に勤めていましたが、
岐阜からの終電が早いからという理由で
わざわざ名古屋駅までみんなで行っていました。

とにかく長い時間飲んでいたかったし
家に帰りたくなかったのです。

そして毎回必ず2~3件のはしご。

そして終電ギリギリまで会社の不満を言い合う、
飲み会という名の
「愚痴大会」でした。

まずは生ビール3杯、
次にレモンチューハイ2杯。
お店を変えて
ワインのボトルを1本開けていました。

これは一人分の量です。

終電に乗ったものの、
ベロベロに酔っぱらっているので
電車内で爆睡してました。

気持ちよく眠ったまま
二つ先の駅まで乗り過ごしてしまうことも
何回かありました。

戻って来れる電車が無いので
仕方なく今にも雪が降りそうな真冬の道を、
真夜中に2時間かけて徒歩で
帰ったこともありました。

この生活を繰り返していたおかげで、
お金のために働いているにも関わらず、
そのお金を飲みに行くために使い、
どんどん太るし胃も痛くなるし
体もボロボロ。

終電まで飲んで、睡眠もしっかりとれず
心も体もクタクタの日々を
繰り返していました。

お金が貯まる代わりに、ストレスが溜まり、
ストレスを失くすために、お金が無くなる。

なんのために働いているのか
わかりませんでした。

ストレス発散だと思ってやっていたことが、
悪循環を招いていたのです。

飲みに行っての愚痴大会も、
その場だけはスカッとしていました。

ただ愚痴を言い合うだけで、
根本的な問題解決にはなっていなくて。

それでも繰り返すことしかできなくて
負のループから抜け出すことができずにいました。

当時私は結婚をしていました。
そこでもいくつか問題がありました。

その一つが
なかなか子供ができなかったことです。

「結婚したら子供は自然にできるもの」
と思い込んでいました。

周りは結婚したらすぐに妊娠して
子供ができてとても幸せそうで。

だけど私はできる気配がない・・・

周りにはたまに言わる、
「子供は?」
この言葉を言われるたびに
勝手に追い詰められているような
気持ちになっていました。

傷つけるつもりで
言ってるわけではないことは
わかってはいるものの
悩んでいる本人からするとその一言が
とても重く感じました。

子供が欲しいと意識し始めてからは
お酒は当然控えていました。

基礎体温を測り、タイミング法なども試し
それでも全然できなくて。

2年ほど経った頃、
体に異常があった訳ではないけど
不妊治療をすることにしました。

不妊治療もフルタイムの正社員をしながらだと
周りの協力がないとうまくいきませんでした。

病院に行く日は、
こちらから指定するのではなく、
先生が決めたその日に
行かなければなりませんでした。

通院回数も
その時の体のリズムよって違いました。

もともと仕事がシフト制だったので
休みも固定されているわけではありません。

事前に決まっているシフトも、
病院を優先しなければいけないから
その都度職場のみんなにお願いをしてました。

私は職場に、全ての事情を伝え
通院する事を了承してもらい
必死に両立しました。

会社では早退、遅刻のたびに
みんなに迷惑をかけてしまう。

職場のみんなも
嫌々仕事をしている人が多かったので、
嫌な仕事を私の分まで
誰かがやってくれている・・・。

それを重々感じていたので
申し訳ない気持ちで頭を下げる日々。

けどなかなか結果が出ない。

子供ができない悔しさと、焦りと、
職場のみんなへの申し訳ない気持ちで
このままこの生活続けていけるのかと
不安な気持ちが大きかったです。

当時夫も、子供は欲しいと言っていたので
お願いをしました。

「正社員をしながら不妊治療は難しいし
職場に申し訳ないから
会社を辞めるか、パートに変えて
治療に専念したいんだけど・・・」

そして返ってきた答えが

「正社員の福利厚生、育児休暇、
産休がしっかり貰えて給料が貰えるのに
正社員辞めるのはもったいなくない?
会社のみんなに協力してもらえているんだから
そのままで大丈夫でしょ!」

マジか・・・
怒りと悲しみとで
めちゃくちゃショックでした・・・

私がどんな思いで職場に頭を下げてるのか
わかってるくせに
そんなことよりもお金のことばかり。

気持ちを一番わかって欲しい人なのに、
寄り添ってもらえない虚しさ。

私はなんでこの生活をしているんだろう。

結婚って一体なんなんだろう・・・
と疑問を持つようになりました。

何度も訴えましたが、
答えが変わることはありませんでした。

なんで私ばかりが
こんな嫌な思いして
必死にならなければいけないの?

そもそも私の体に
異常があるわけでは無いのに。
とイライラがどんどん積み重なっていました。

もう子供が大事なのか、お金が大事なのか
何を大事にしているのかわかりませんでした。

そんな状態で治療を始めて一年経っても
子供を授かることはありませんでした。

こんな思いまでして
がんばる必要があるのかと考えると
バカバカしくなってきて
通院することをやめました。

そしてまた狂ったようにお酒を飲む生活が
再開しました。

そんな時に出会ってしまた心惹かれる男性。

けれど私は既婚者で。

現実世界では許されることではありません。

結婚していながら
他の男性を好きになるなんてありえない
と思っていました。

でもそうなってしまっている自分がいる。

なぜ私は幸せでもないのに
結婚しているんだろう・・・

結婚したら幸せになれるはずと
思っていたのに。

既婚者である自分のことを責めました。

他の男性へ心変わりしてしまっている自分のことも
めちゃくちゃ責めました。

そんな自分が情けなくて
恥ずかしかったです。

だから誰にも相談できず
ずっと一人で抱え込むことしか
できませんでした。

このまま自分を押し殺して
これまでの生活を選ぶべきか。

離婚をし新しい道に進むべきか。

好きになってしまった彼とは
付き合っていたわけではありませんでした。

この先の確証があったわけでもありません。

ただ、このまま、今までと変わらない人生を
歩んでいくと考えた時に
全く光が見えませんでした。

なので身勝手すぎるかもしれませんが、
人のために生きる選択ができず、
離婚に向けて動き出したいと思い始めました。

上司の前で自分を押し殺して・・・。

部下の前で自分を押し殺して・・・。

お客さんの前で自分を押し殺して・・・。

家でも自分を押し殺して・・・。

もう、自分を犠牲にするのは
やめたかったのもあります。

別居前の1ヶ月は
地獄のような日々でした。

週5日フルタイムで仕事をして、
帰ってきてから話し合いという名の
無言の時間が早朝5時まで。

これが毎日でした。

眠たそうにすると怒られ、
何か話せば責められ。

不倫をしたという結果のことばかり責められ、
なぜそうなってしまったのかの
過程のことは全く触れられず。

もう無理だなと確信に変わり、
その後1年ほど別居し、離婚となりました。

夫と同じ会社に勤めていたこともあり
仕事自体我慢して続けていただけだったので
長く勤めた仕事を辞める決断をしました。

離婚をしてから私の人生は
急スピードで変わり始めました。

仕事を辞めてから、
海外旅行も半年のうちに3回行きました。

やってみたいと思っていた
ヨガ教室にも通い、
会ってみたかった人の講座を受けに行き、
自分をとことん満たして楽しませました。

挑戦してみたかった仕事にも就いて
新しい世界にどんどん飛び込んでいきました。

だけどいつも
心の奥で拭えない感情があり続けていたのです。

元夫を裏切ってしまった・・・

いくら上手くいかなかったとはいえ
やっぱり私が我慢すればよかったんじゃないか、
私のせいで上手くいかなかったんじゃないか、
と自分を責め続けていました。

そんな私が幸せになんかなっちゃいけない。

ずっとそう思い込んでいました。

罪悪感を感じなかった日はありませんでした。

常に楽しいこと、ワクワクすることをしていれば
辛いことも嫌なことも
紛らわせられると思っていました。

「離婚をし、新しい人生を歩む」
と自分で選んできた道だけれど
その自分を受け入れることが
できなかったのです。

そんな時に
自分と根本から向き合うことを
自分の本音を知ること学びました。

知識をつけて表面上の自分を変える
ということではなく、
根っこの部分の本当の自分を理解し、自分と向き合い
自分を好きになって受け入れてくのです。

自分のいいところ、
辛い過去、
生まれてから今までのことを
棚卸しをして、本気で向き合いました。

めちゃくちゃ苦しくて、辛くて
涙が止まりませんでした。

自分の事を全然知らなかった自分がいて、
本当はやりたくないことを
我慢して頑張っていた自分にも気づいたから。

自分の事を今まで以上に理解をし、
自分の気持ちに寄り添うことを意識していったら
自分を受け入れることができたのです。

誰にでも幸せになる権利はあります。

それがどんな人でも。

自分を責めることはしなくてよくて。

まず自分自身が幸せになって
それを循環させるもの。

自分自身が幸せに満ち溢れていると
自然と周りも笑顔になります。

自信を持ってイキイキ過ごしていると、
周りは私を見て
「楽しそう」と応援してくれるようになりました。

そして、この葛藤からの思いを
広めていきたくて、起業する事を決めました。

私は会社員を卒業してから
たくさん自分の事を観る時間を作りました。

自分が心底幸せになったら、
こんな自分もまあまあいいじゃんって
思えるようになったら
何をやっている自分もいいなって
思えるようになりました。

自分の選択も挑戦も、面白いなって
思えるようになりました。

失敗した自分のことも
責めることは無くなったし、
失敗しても自分は絶対に
成長できると信じられています。

ネタにできてラッキーと
思えるようにもなりました。

だから、いつも楽しくいられています。

そして、自分が幸せになったら周りにも循環することが
わかりました。

「やすよさんがいつも楽しそうだから、
 一緒にいると楽しくなる」

「やすよさんのエネルギーを浴びると元気になる」

「何か悩んだり、困ったことがあったら、
 やすよさんのところにすぐに行きたい」

有難いことに、
そう言ってもらえることが増えました。

それは、周りのために自分を犠牲にしていた頃は、
決して耳にすることができない言葉でした。

どんな経験も必ず意味があること。
ダメなことをしたからって
ダメな人間ではないということ。

一番いけないことは
自分を責め続けること。

私の経験を通じてたくさんの

「楽しく自分らしく生きる幸せな女性」

を増やしたいと思いました。

自分を知ることができたから
自分らしい生き方、
働き方をしたくなりました。

自分らしく生きることを追求したら
これまでの経験や自分を活かして
サービスを届けていきたいと思えました。

お金や地位や名誉、世間が思う幸せために
必死で努力することではなく、
自分の幸せ、自分の心地いい在り方に気づいて
自分の世界を幸せにすることを
大切にしています。

がむしゃらに頑張るのではなく
「楽しく」をいつも一緒に!

その後、この想いを誤解なく伝えたくて、
本当に必要としてくれる人に届けたくて
文章での表現と伝え方を学びました。

私にしか伝えられないことを
伝え続けていったら
ブログのファンができました。

ただの一般の私に
会いたいと言ってくれる方が増えていきました。

サービスを出すと
24時間以内に満席になることもありました。

私から文章や伝え方を学びたいと言ってくださる方が
増えていきました。

伝え方を変えただけで
売り上げが上がったと報告してくれる方もいました。

楽しく働き続けるための発信をしていったら
来てくれるお客さんが、いいお客さんばかりになりました。

上司の前で、部下の前で、お客さんの前で、旦那の前で、
自分を押し殺して頑張っていた過去の自分がいたから
変わりたい!って思えたと思っています。

変わろうと思ったから
今こうやって楽しくいられます。

あの頃の私は頑張るところを
ただ間違ってしまっていただけだけでした。

素敵なお客さんばかりに出会えるようになったから
心から貢献したいと思えるようになりました。

素敵なお客さんが嬉しそうだと
私も心から嬉しく思えることがすごく嬉しいです。

楽しい環境、楽しい働き方、幸せな生き方は
自分自身で創っていけます。

幸せな人たちがどんどん増えて広がっていくことを願って
貢献し、伝え続けていこうと思っています。


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