人生観が変わる屋久島旅
屋久島に行ったのは5年前の2017年かな。
行く前から色々な方に〝人生観変わるよ〟とか言われてましたが、人生観が変わるって事自体あまりピンとは来ませんでした。
実は、何故屋久島に行ったか?なのですが末期癌で闘病していたお父さんを旅行に連れ出そうと〝どこに行きたい?〟と聞いたら〝どこも行きたくない〟と。
少ししたら思い出した様に〝あっ、強いて言えば屋久島行ってみたいな〟と。
確かお母さんに言ったかしたけど病院の先生もダメって言ったんだっけなぁ。
結局、その夢は叶わず他界しました。
どうしても引っかかっていて屋久島旅を新婚旅行として渡航したのがきっかけでした。
当時池尻大橋で営んでいた居酒屋のお客さんに屋久島出身の方がいらしてお話を聞いたり、お友達をご紹介して頂きいたりしました。
友人も新婚でまだ新婚旅行行ってなかったのでお誘いしました。
まぁ、観光名所と呼ばれている所は駆け足で巡り名物料理は大体堪能して、3日間しかなかったので縄文杉ツアーは諦め太鼓岩の登山にしました。
当時はタバコは吸うは、お酒は飲むわ運動はしないはで全く体力作りをせずに挑み苦しい思いをしました。
登山的な事なんかした事は子供の頃以来なのでしっかりした登山靴を買い、ゴアテックスのジャケットにハットと完全装備で挑みました。
はぁはぁゼイゼイ言ってたら他の団体の外国人の方はビーチサンダルにTシャツ短パン、、、
軽装過ぎる軽装でポカンとしました。
雨の日は死人が出るくらい危険と聞かされていたので〝えっ?〟って感じwww
まぁ、慣れているのでしょうね。
とにかく自然の偉大さやエネルギーを身体に浴び苔の素晴らしさ空気の澄んだ感じに水の清らかさを知り驚きながら登山しました。
バックパックにお父さんの写真を入れて登り景色を見せながら巡る屋久島旅。
車で走っていたら富里の友人坂巻義徳君の絵が建物に描いてあり写真を撮って連絡した。
20年前にアパレルやっていた時にコラボして以来の友人は東京都内でもバッタリ会う確率が高く原宿、渋谷と。
この絵もこの後の私の人生に大きく関わって行くのです。
コロナ禍前から月に一回くらいのペースで電話したり連絡を取り合っておりコロナ禍に入り富里に通っているうちに移住することに。
屋久島に行ってから不思議と自然が気になり結局的に緑豊かな富里市に引っ越してしまうという事に。
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