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僕の体験した東京の90年代 第12回 小沢健二 ファンタスティカ

デビューシングル「天気読み」のリリースに向けて、フリー・コンサート後の宣伝効果に今一つ納得が出来なかった僕は、その夜の写真を使用した全面広告を朝日新聞に、と東芝EMIの宣伝部長に直訴した!
オリジナル・ラヴを辞める、と伝えたあの宣伝部長に、1年後には違うアーティストで全面広告を打ってくれ、と。いやあ、甚だ失礼だったと思う。

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折角広告を出して頂いたので、自分なりになにか新鮮な恩返しは出来ないだろうか?

夕刊を読むサラリーマンのように、この広告が見えるように新聞を広げて読んでる風パフォーマンスはどうだろう!
山手線の車両の一つを片方一列に座って、夕方5時から夜11時くらいまで。
まあ、ハッキリ言ってどのくらいの効果があったかはわからない。
でも1993年7月21日、山手線のある一車両、6時間くらいはこの広告にジャックされたはずだ、小さいジャックだけど。

その後、アルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」がリリース。
「犬は吠える」は確かトルーマン・カポーティーの「The Dogs Bark」からだったかな。それを聞いた時にすぐ内田裕也さんのバンド名「トルーマン・カポーティー・ロックンロール・バンド」を思い出した。

小沢君とは「今夜はブギーバック」の途中まで仕事をした。
「LIFE」が大ヒットした後の武道館に、マエストロのリズムボックスを持って行ってプレゼントしたことを覚えている。

山手線での小さなジャックは、WACK WACK RHYTHM BANDのメンバーにお願いした。僕が初めて手掛けた店の店長がワックワックのリーダーのKoi.Kだったからだ。

僕が手掛けた初めてのお店 "ファンタスティカ"。

それはフリー・コンサートで配られた、この1枚のフライヤーが物語の始まりでもある。

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ちょうどオリジナル・ラヴのマネージメントを離れたあたりから、「宇宙」をテーマに作ったあの富ヶ谷の地下室が段々と手狭になっていた。すると東北沢、大山町の交差点近くに、小さな二階建ての物件が出てると紹介してもらった。
1階、2階ともに1部屋ずつ。所謂ワンルーム。
「別々でも、2フロア一緒でも借りれますよ。」とのこと。
よくよく話を聞いてみると、1階は店舗OKだった。

お店!

それまで全く人生で考えたことがない可能性が目の前に急浮上。

(そうか、ここを借りたらもしかしてお店出来ちゃうのかな、、ただの打ち合わせ場所のために借りるのももったいないし、面白いかも...!)

即決!

いつのまにか、仕事でヨーロッパに行く機会もかなり増え、フリー・マーケットやモールなど、様々な場所で買い集めた販売出来そうなコレクションもあるにはあるし。

しかも今でも懇意にしている友人が、当時結婚してL.A.に。店舗の話しをしたら買い付けのアテンドをしてくれる、と言う。
この彼女、日本でもスタイリストの傍らアーティスト活動も。
今では日本人唯一のMUTE RECORDS契約アーティストに、しかも最近なったばかりだ。

こうして欧米を中心に僕が面白いと思ったものを扱う雑貨店、
「ファンタスティカ」が誕生した。
フライヤーのデザインはバッファロー・ドーターの山本ムーグくんと常盤響くん、解説/推薦文は小沢健二くんが書いてくれた。

海外買い付けのサントラ、レア・グルーヴ、レゲエから、ブラジルまで行ってJames Vynerにもらったブラジル買い付け盤、古着からディズニー、宇宙ものまで。ブラジル盤レコードについては、松浦俊夫くんがこちらの記事にも詳しく書いてくれている。

最近本も出版したが、ヴィンテージ・ポスターの収集、販売もこの頃から始めたことだ。

路面店なのに、オープンしている時は表のシャッターが開き、宇宙の布が現れる。閉まっている時はシャッターが降りている。
店を回って裏口からしか入れないので、かなりハードルが高い店だったと思う。

いつの日か、雑誌のインタビューで小西康陽くんが、全国にファンタスティカの支店があればいいのに、と書いてくれたのは嬉しかったな。

そして2階には、ヴィンテージ楽器らで埋め尽くされたレコーディング・スタジオを設営した!
そう、この時にもう自身のレコーディング・スタジオで次々と作品を生み出すことになる。

まだ1993年、いまから27年前だ。

ちなみにこの写真はもう少し後。1番ヴィンテージ楽器にまみれていた頃だ。

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