見出し画像

さっぱり承認味人間☀️

【エッセイでし】いろいろ破綻してます🍅

語られまくった『承認欲求』について、未だに苦しめられている人が存在すると仮定しよう。
ならば……そうだな……

やめいっ笑

『承認欲求』は原動力たりうるか❓
なると思います。全然アリです🐌  🌱
けれど、隠しちゃいけんと思います。

子どもだろうが社会人だろうが芸術家だろうが詩人だろうが――

もったいぶってんじゃねェやい‼️

……ってのが、その『後ろめたい』ようなコソコソした気持ちを、前面にもっともっと出しちゃえよ。なんとなく『出しちゃマズイ』程度の認識なんじゃないの? 主張せず察してほしいなんて都合がよすぎ。
(破綻部分 承認欲求の話からズレてる)

特に詩人。
もったいぶってカッコつけてると、その辺の小学生にすら負けちゃう。
事実、私が涙を流した詩は岡山の小学生が飼い犬について書いた詩……のみなのだ。
あの日以来私は、『大人に詩って難しい』という感覚がこびりついている。
素朴であり続けるには……永遠の課題だ。
(悪口部分 急に関係ない詩人への飛び火 しかも泣けりゃいいってモンじゃない)

『ウチら面白いでしょ〜笑』みたいな雰囲気がプンプンする押し付けがましい人工物のような動画等もそうだ。うん知ってる捻くれてます。
ヤツらとて、岡山の小学生の詩の前には塵と化す。

『存在(そのもの)を認知してほしい、〜のように見られたい』ってのが承認欲求のソレだろうか。

おうおう 出せ出せ

ってなカンジですよ。
出したからこそ見えてくる。そして世間の反応をビシバシ肌で受け取るのだ。その先に待つのは肥大、またはバラバラ融解事件か。

ま、なんにせよさぁ
『私は承認を得るために○○を頑張る❗️』ってさっぱり宣言をしてくれた方が、好感を抱ける。

が、欲望を曝け出した以上、腹を括らなきゃいけない。ガンバレ。

なので私はシンプルな欲求に留めたい。

読みたい 書きたい スッキリ❗️

これで事足りる。
最近さぁ……私物を全然買ってねぇんだ。
本とお菓子とコーヒーぐらいか……果汁グミおいしい☕️

(破綻 『私はこのような人ですよ』と喧伝することにより、暗に承認を求めている)



【結論1】
い、勢いで文章書くの……たのしぃ〜❗️

【結論2】
この記事大した内容じゃないな……

【結論3】
アルフォートと果汁グミおいしい

【結論4】
行動に対し、過度な見返りを求めるからギャップに苦しむ。
その源泉は往々にして家庭環境にある。つまり、家族間(血の繋がり云々でなく)の不和が欲求不満を募らせ、他人、別の共同体、無数の他者へと要求をする。
しかし、最も長く一緒に過ごす人との相互承認がなければ砂上の楼閣。ずっと満たされないまま世間を彷徨うハメになる。

逆に、家庭環境が円満なら……自立できる年齢なら方法はあるが、扶養されている立場の人がどうすべきか。
このような問題に私個人の力は到底及ばない。干渉も難しいし、円満の形だってそれぞれだ。

全世界に蔓延る承認の呪縛は、これからも根を張り人々を苦しめるのだろうか。
承認について思考を深めていくと、いつも私は息苦しさをおぼえる。
だからこそ、曝け出し、さっぱりお天道様の下を歩くような人間を目指したい。

『無数の他者』から安定した『承認』を得るなんて夢物語。割り切らなきゃならない。
『共同体』からの承認も、タダじゃない。無償の愛など転がっておらず、理由付けに立脚してる。
『他人(単数)』は可能性自体は大きいが、かくも人間の情緒ときたら。
『家族』……家族『だからこそ』難しいという問題もある。しかし、身近だからこそ、辛抱強く対話する機会は多い。でも、難しいよな……全部。



おまけ 徹夜したキツネ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?